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終わらない手紙 / D.o.a.L.

2005年01月27日 21時54分14秒 | about him
 ええと。 わが友人 (というか彼) の話でもしましょうか。

 昨年十一月のブログ休止直後、彼が、わが家に転がり込んできた、という話、私、しましたかしら?

 このブログ (のようなもの) を割と読んでくだすっているかたは わかるのかもしれませんが、私の付き合っている人は、とっても貧乏 ... 。 自慢するようなことではありませんが。

 自由奔放に生きている人で、「仕事 (お金) のための生活」 よりも、「生活のための仕事 (お金)」 という考え方をしているのか、いわゆる日雇い労働者をしていて。 好きなことをして、とりあえずの生活が出来ていればいいや、と、将来に備えた蓄えなどして来なかったところ、寒い冬の訪れとともに 大きく体調を崩し、仕事に行けなくなってしまいました。 なんの保証もない生活をしているので、仕事をしなければ、もちろん収入がゼロになってしまいます。 当然のごとく生活苦に陥り、わが家へ避難しに来た、ということなのですけれど。

 かたや私は、一応は保証されたサラリイマンとして、それなりの暮らしをしていて。 それなりに蓄えもあって。 住まいは、以前は同居人がいたため ちょうどあまっている部屋があるので、とくに問題はなく。

 女の一人暮らしは、なにかとこわかったりするので、むしろ大歓迎とばかりに。

 あたたかな部屋と手づくり料理のおかげ ... かどうかは わかりませんが、とりあえず仕事に行けるくらいまでには回復できました。

 そうして、二人仲良く暮らしていたのです、が、今月から、彼の仕事が夜のシフトに変更となりました。 いわゆる夜勤というもの。

 夜通し働いて、朝 帰宅して、シャワーを浴びて、寝て。 夕方に起き出し、午後七時くらいに出かけます。 そして、また夜通し働いて、朝 帰ってきて、シャワーを浴びて、寝て。 夕方に起き出し ... 。

 いっしょに住んでいながら、顔を合わせられるのは、朝のほんのわずかな時間のみになってしまいました。

 あたたかいベッドで朝寝の夢にまどろむ私の隣りに、そっともぐりこんでくる彼の身体は、水を打ったように冷たくて。 とても、せつない気持ちになります。 そうして、私は、ひとり天井を見上げて、彼が寝息をたてるのをじっと待って。 彼を起こさぬよう、そうっと寝室を抜けて、そうっと支度をして、こっそりと会社に出かけていきます。

 なんだか、ワケアリな関係みたいですねえ ... 。







 彼が朝、帰ってきたときにあたたまるようなものを。 と思って、煮物だとか おでん だとか、そんなものをこしらえておくことにしました。 温めるだけになっていれば、きっと彼も食べてくれるだろう、と。

 帰宅してみると、食卓には、きれいに平らげた空(から)の鍋と、チラシの裏に書かれた 置き手紙が。

 私への感謝と、私への気遣いと、お天気のこととか、なんやかや。

 なんてことない、数行の手紙でしたが、それは、読んだだけで、とてもしあわせな気持ちになれるものでした。

 そういえば、ブログ (一時) 復活第一弾として上げた記事 「幸福なフォント」 にいただいたコメントで、『Three frogs which smile.』 のあくあさんが、「好きな人の書いた文字が幸福フォント?」 とおっしゃられていました。 いかにも書き殴ったようなオトコの字、という感じの彼の文字。 けれども、これこそが、「幸福フォント」 なのかしら、なんて思ってしまった次第。





 そうそう。

 彼の書いた字を見たのは、付き合いはじめて間もないころでした。 私たちの出逢いの場所、お互いに出入りしていた音楽関係の場所、に置いてある落書き帳 ―― よく、民宿やらペンションのようなところに行くと置いてある雑記ノートのようなもの ―― に書かかれた彼の日記を見たとき。

 その場所に来たら、必ずのように日記をつけていた彼。 人当たりがよくて人気者の彼は、そこへやって来たら、必ずみんなと わいわいやっているのですけれど、ふっと気がつくと、ひとりの世界にふけるように、すみっこで日記を綴っている姿を何度か見かけました。 みんなと話もしたいけれど、書き留めておきたい出来事や想い、というものがあるのだろうか。 なんて思ったりしながら、ひとり、せっせと日記を綴る後ろ姿を、いとしく見つめたものでした。

 そして私は、あるとき、その落書き帳を開いてみました。 彼がいったい、どんなことを書いているのかと。

 何人かの書き込みがありました。 ああ、○○さんらしい文章だわ、とか、このドラえもんの絵、似てないわ、などと思ったりしながら、ページをめくっていき、ある書き込みを見た瞬間、これだ、というものにぶつかりました。

 彼は、じぶんの書き込みに署名をしていないのですけれども。

 字の感じ。 文章の感じ。 書いている内容。 それらで、これは彼が書いたものにまちがいない、と確信できるような。

 手書きの文字という媒体で はじめて知る、彼の、なにげないつぶやき。

 「コイビトの日記」 を覗き見する 妙などきどき感から、とめどもなく、ぱらりぱらりとページをめくっていきました。

 あ、わたしのことが書いてある! ―― まだ、私たちが付き合うまえの書き込みにどきどきしたり。

 ああ、そういえば、あのころ、あんなことがあったっけ。 こんなこともあったっけ。 なんて。

 いろんなことを思い出したりしながら、私は、「幸福フォント」 を味わい尽くしました。

 誰に宛てたわけでもない、そのメッセージを。






 このブログも、もしかすると、ダレデモナイ ダレカ に宛てた 手紙だろうか?

 もし、何年か経って (このブログが残っているとして)、 このブログを彼に見せたら、どんなふうに思うのだろう?

 手書きの文字、ではないけれど、彼は、どきどきするだろうか。 幸福な気持ちになってくれるだろうか。 それとも、怒るかしら。 こんなに勝手にじぶんのことを書かれて。





 夜勤に行くまえに走り書きしたと思われる彼の置き手紙に、私は、返事を書きました。 彼に倣って、チラシの裏に。

 新たに買って来た食材のこと、電子レンジでの温め方、どこにお醤油があるか、とか、卵がもうすぐで賞味期限が切れるので早めに食べるように、とか、なんやかや。

 すると、また翌日も、チラシの裏に置き手紙が。

 なかなか体調が完全に回復しないじぶんへの、苛立ちとか焦りとか、そんなこんな。

 私は、また返事を書きました。

 とにかく、しっかり栄養を摂って、充分休むこと。 そうしていれば、きっと、じきに春が来る、と。

 すると、また翌日も手紙が。 そこには、私への感謝の気持ちが書き連ねてありました。

 私は、やはり、返事を書きます。

 ―― そうして毎日、手紙のやり取りをするようになった私たち。

 携帯電話でメールすれば済むことなのですけれど、なんとなく手紙のやり取りはつづいています。

 チラシの裏の、メモ書きみたいなもの。 殴り書きされた、ただの紙っきれ。

 けれど、それが、すれちがいの日々を送る私たちをつないでくれる、唯一のもののような気がして、手紙を途切れさせまいと、私たちは、チラシの裏にペンを走らせているのです。

 手で書く紙。 を、私は、今夜も綴るのです。 ひとり、ぼんやりと、幸福な気持ちで。










 BGM:
 ・Police ‘孤独のメッセージ / Message in a Bottle’
 Sting が在籍していた、三つ巴 (スリー・ピース) バンドの第二作アルバム、“白いレガッタ / Reggatta De Blanc” より。

 この、「孤独のメッセージ」 という邦題は、なかなか粋ですね。



 ・Johnny Thunders ‘恋人の日記 / Diary of a Lover’
 Johnny Thunders というと、“So Alone” や Heartbreakers 名義の “L.A.M.F.” あたりが有名かもしれないが、個人的に名盤だと思っている、“Hurt Me” という弾き語りアルバムに収録されている。

 恋人の日記を読んで、‘She's live in my world’ と 会えないさみしさをまぎらわせるかのように じぶんに言い聞かせている部分に、せつなく、共感を覚える。



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15 コメント

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本人 (byrdie(雲雀))
2005-01-27 21:57:34
この物語は、ハクションです。(??)
ちょっとしたことば (あくあ)
2005-01-27 23:15:42
いやん。幸福フォントを味わっているんですね。

そこら辺にある紙に書かれた文字。

自分あてではないものはなんとなく覗いている様な気恥ずかしさを感じ、

自分へ宛ててくれた言葉には、文字から気持ちが伝わるような気がして、言霊なんだなぁと思います。



時間がすれ違ってしまうのはとても切ないけれど、その人の生き方も尊重したい。

手書きの文字の手紙はそのすれ違って出来るちょっとした隙間を優しく埋めるクッションになりますね。



うり坊日記のうり坊さんhttp://blog.goo.ne.jp/uri4416/

が1月21日の日記に手紙の気持ちを書いてました。

それをなんとなく思い出しました。



お二人の時間が合う時に手紙とは違ったココロの会話を交わせますように。
誰もみな手をふってはしばし別れる・・・ (take)
2005-01-28 05:45:45
そして君は摩天楼で/僕にあてハガキを書いた

「こんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくのと」



そして僕は腕をふるって/君にあて返事を書いた

とても素敵な長い手紙さ(何を書いたかはナイショなのさ)



そして毎日はつづいてく/丘を越えて僕たちは歩く





~小沢健二「僕らが旅に出る理由」



あふれる幸せを祈ってます。

言霊 (byrdie(雲雀))
2005-01-28 11:09:26
あくあさん、こんにちは。



(すみません、勝手に文中にリンクを貼ってしまいました)



ああ、そうですね、言霊なんですね。

たましいがこもっているものなんですね。



ほかの人にとっては、なんてことのない日記。

どうでもいいような紙切れ。

お世辞にも上手とは言えないような文字。

けれども、見る人によっては、それらが、特別な意味を持つのかもしれません。



特別な意味を持った言霊たちが、ひとりきりの部屋のなかでふわふわ浮いて、わたしを優しく包んでいてくれるのかも ... 。





うり坊日記さん、お邪魔してみますね。

ご紹介ありがとうございます!

LIFE goes on (byrdie(雲雀))
2005-01-28 11:19:55
take さん、こんにちは。



ああ、そうそう、「僕らが旅に出る理由」も、シンクロしていますね。

なんだか、(一時)復活後の記事、そんな感じのものばかりですね。

多くの人が心にいだくような、普遍的なテーマなのかしら ... ?



文字に置き換えること、なにかカタチに残すこと、こうして生きていること自体が、誰かに宛てた手紙のような気もします。

終わらない手紙を綴りながら、毎日がつづいていくのかも知れません。





> あふれる幸せを祈ってます。



ありがとうございます。

Unknown (海藤 輝)
2005-01-29 15:44:36
手書きの字の暖かさ。

いつもワードを使ってると

忘れそうですね。

この前、友人に手紙を書いたら、

きっとメールで送るより

深い感情が伝わったのかなと感じたり。



ああ、いいなぁ。



会えないのは辛くても、

字にはその人が出るから。

好きな人の手書きの字って、

どうして胸がぎゅっとなるんでしょう?



byrdieさんの文章で、上記のように

思いをめぐらしました。
shadows of love (byrdie(雲雀))
2005-01-31 11:25:41
海藤 輝さん、こんにちは。



携帯電話や PC が普及している今だからこそ、手書きの文字のあたたかさが、より伝わりますね。

たまには、手書きの便りも、いいですよネ。

(印刷された書面でも、一言でも、手書きの文字が添えられていると、それだけでうれしかったりします)



置き手紙は、きっと、今の彼にできうる、最大の気持ちを表現したものなのだろうと思います。

それがわかるので、なんとかたえてみせよう、などと、クサイことを思ったりします。





> どうして胸がぎゅっとなるんでしょう?



ほんとに、なぜでしょうね。

やっぱり字に、その人を見てしまうんですね。





コメント、ありがとうございました!

  (みみず )
2005-01-31 23:09:51
素敵ですね。本当にそう思います。

私は、大切な人に宛てて書いた手紙も

結局は出せずに、引き出しにしまったままです。

きっと、これからもずっと出す事はありません。

ほんの一言でもいいから、私も大切な人から手紙が欲しいと思ったりします。

その人が、気持ちをこめて書いてくれた手紙が欲しい、、、です。

byrdieさん達の姿が本当に素敵に見えます(u u*)



just my imagination (byrdie(雲雀))
2005-02-02 10:34:26
みみずさん、こんにちは!



ありがとうございます!



みみずさんが書かれたお手紙は、引き出しのなかに、出されることなく眠っているのですね。

出すことが重要だったのではなくて、書くことそのものが重要だったのでしょうか。

いつか、その手紙を書いたことが、素晴らしい思い出になるといいですね ... 。



> ほんの一言でもいいから、私も大切な人から手紙が欲しいと思ったりします。



そうですねえ ... 。ほんとに、一言でもいいのですよね。



そういえば、むかしの人は(?)、大切な人からもらった手紙を後生大事に、服のかくしポケットなどにいれて、肌身はなさず持ち歩いたりしていたのでしょうか。

今のように通信手段が豊かではない時代ですものね。

そういう気持ちって、とってもわかるような気がするのです。

手紙に、逢いたくても逢えない人の、面影を見るのですよね。

再開してるの、しからんかった!(笑) (しなたま)
2005-02-02 23:41:58
ああ、もう、いつの間に!!

いま気がつきましたよ。

そして、この記事、すげーいいすね。



ぼくは好き好んで、モスのトレー下敷きの紙を裏返して、良く手紙を書きます。

もちろん紙は常にノートから、クロッキー帖から様々、持ってます

でも、これだけは「あえて」やります。

うーん、その動機はなんなんでしょうか。



あ。そういや。最近、だれにも書いてないなー。





元気そうでなにより!

今度、数々のご無礼を挽回させてっ!(笑)

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