麒麟がくる
今回の大河ドラマは、今までになく、 登場人物を心理学的というか、育ってきた環境がいかに成人後の人生に影響を与えるのか、というようなところに視点を置いているようで、そこがまた面白く思える。
と共に、ウザいとも思ってしまう。
特に信長。
信長って母親の愛を切望していて、涙を流すほど母親を恋い焦がれていたというのは本当なんでしょうか。
信長のこういう描き方って、意外。でもそれが、弟暗殺に繋がっていくような描き方に、なんか違和感。
(実際に、そういう母親だったというのも定かではないようです。)
というのも、信長ってそんなにヤワだったの❓
義龍もそう。
将軍も帝も比叡山もみんな、家庭や育ちに問題がある人ばかり。
家康だって、幼い頃から人質人生で、それもまた、家康の人生に大きな影響を与えたかのような描き方。
確かにそうだとは思いますが、本当にそれだけだったのかなあ。
このドラマ、子供をこんなふうに扱ったらこうなる、ような見本みたいで、子育ての良いお手本になるようなお話ばかり。
では、信長の家庭環境がもっと普通で母親の愛ももっと受けていたら、歴史で有名な信長は存在しなかったのか、ということにまで考えが及びました。
家康も人質ではなかったら、江戸時代は来なかったのかな❓
比叡山の人も、兄と比べられることも無かったら、もっと普通の仏僧として生きていかれたのかな❓
第一、初対面(と思う)の光秀に自分の育ってきた環境をベラベラ言いますか❓
浅井さんもおかしな人物のように描かれて。
結局、ほぼ正常な家庭、正常で優秀な人間だったのは光秀だけのような描き方。
父親は早くに亡くしてしまっていましたが、家族仲良く、奥さんとは相思相愛。が、そういう光秀が殆ど無計画な本能寺の変を起こしてしまうってどういうことでしょうか❓
確かに、家庭環境が人格形成に多大な影響を及ぼしているとは思いますが、そればっかり強調しているようなドラマの内容に、ちょっと違和感。
家庭環境のおかげでこうなって、そこに大義名分はあるのか、内容がすっごくみみっちいと思ってしまう。
帝だって、信長は屋根を直してくれたからって、それだけ❓と思ってしまう。
この 麒麟がくる、光秀以外はスケールが小さい人間のように描いてあるように思えてしまって、どうなの❓と思ってしまいます。
また、光秀が殆ど苦悩することもなく生きていくのもおかしいようにも思えます。
もっと何か、別の描き方ってなかったのかな。
今回のような描き方は新解釈だそうですが、どうかなあ。
つまり、光秀だけが100%良い人物のように描かれていて、他の登場人物には「この逆境を跳ね返して大義を果たす」ような大きな目標を持っているようには見えず、天下太平なんて口先だけのように見えてしまっているところが、イライラしてしまう。光秀以外の人物のそれぞれのステージが小さいというか。
いっそのこと、光秀が将軍になったら❓