**馬耳東風**

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アメリカ、理想の国の衰退

2016-03-19 | 世事諸々
アメリカは誰にも等しくチャンスがある国、幸運の前髪を掴めば途方もない成功も夢ではない、といわれて久しい国ですが、健康サプリメントの広告ほどにも本当ではありません。実情は、ささやかな希望すら叶えられていない人々が大勢いる国、といったほうが多少なりとも真実に近い表現になるかもしれません。

ニューヨークでもロスアンジェルスでも、だれでも否応なく目にするのが富裕の中の貧困、マクドナルドの店の前で物乞いする老若男女のすさんだ姿、人混みにも裏通りにも、年々増えている英語もおぼつかない物乞いの姿、虚ろな目をして悄然とした人々の群れ、土地の人によると、昔も物乞いはいたが彼らは人間的だった、朝夕には挨拶を交わし、ときには笑顔を見せ、コインを幾つか振舞われると丁寧に礼を言ったものだった・・と。どうしたというのでしょうか、ほんとうに。

アメリカ東部の一流大学医学部に研究者として招聘されていた日本人医師の話です。医科大学卒業後研究者の道を選び、それなりのキャリアを求めて所属先を探していた所、上記の大学医学部K教室の研究者募集要項をみつけて応募し採用されたのでした。研究内容は新薬開発及び臨床試験とあったので望むところでした。

その大学で数年研究者として過ごせばそれだけで立派なキャリアになるので期待は大きかったのです。ところが行って見るとその大学のK教室勤務は数日間のみで転勤させられました。大学から一時間ほどドライブしたさきにあるメリーランド州の原野ともいえる荒涼とした場所で、そこにコンクリート剥き出しの窓の少ない建物があり、地上より地下が深い、退避壕にも見える色彩のない建物だったそうです。厳密には新薬開発の研究施設というよりその実験動物の施設で、新薬を動物に与えて効果を観察し、解剖し記録するといった仕事の連続だったのです。

仕事の半分は動物の飼育管理でアメリカ人の医者の卵の誰一人引き受ける者のいない仕事だったのです。その証拠にこの施設で働いていた(研究者)は全て外国人だったそうです。日本人医師の(共同研究者)はバングラデッシュからの全額給付留学生で、そうと知るとワナにはまった気がしたそうです。それでもキャリアのために2年間の契約期間を済ませて帰国したそうです。

ひと頃日本でももてはやされた経歴にMBAというものがありました。ハーバード大学MBAというのが最高のものということでその資格者はたいそう誇りにしていました。MBAとはマスター オブ ビジネス アドミニストレイション、という経営学修士号でビジネスの世界では最高のキャリアとみなされていたものです。日本でもこの資格者は銀行でも商社でも投資会社でもリーダーとして優遇され政府の経済関連諮問委員にも数名名前を連ねていました。アメリカ流の、したがって世界の最先端経営学理論であり、その理論は強いカリスマ性を有していたのです。その影響下で、

競争なくして成長なし・・・という力強いフレーズがこの頃の首相の口癖でした。一体どんな成長を期待していたのでしょう。

国際競争力のためと称して労働条件を犠牲にし、低賃金雇用を可能にし、そのためすざましい格差社会が現在進行形で日本でも蔓延しているのです。現在、若者の25%は時給労働者であり、昔流にいう日雇いで、雇用は必要な時必要なだけ、というMBA思想(雇用者有利)に支配されて、このありさまです。最近、それでもMBAに違和感を覚える人も増えてきて、MBAはひょっとするとアメリカによる日本人洗脳の有効な手段ではなかったのか、と一抹の不審を抱くものも増えています。この理論の敷衍はアメリカに利があり、なかんずくアメリカの富者に集中的に有利になると疑われているからです。

会社は誰のものですか、株主のものでしょう!

とは霞ヶ関の経済産業省の官僚でもあった村上某の言葉で、テレビ生出演中に自信に満ちた声で言い放ったものです。MBA保持者でカリスマ性もありましたが、さすがに、ただちに頷く者はいませんでした。それ以前に松下幸之助というさらなるカリスマの心地よい言葉がまだ耳に残っていたからです。

「会社は従業員みんなのものです、従業員は家族です、不況だからといって家族をクビにすることはありません・・・」

会社と従業員の関係について、彼我に相当な理解の開きがあったのです。

アメリカの投資家は(日本のため)に投資をするものなど一人もいません、投資家は常に利己的なのです。利ざや稼ぎの短期投資が殆どで、体力のない日本の会社を物色、その株式を数ヶ月かけて大量に取得すると、遊休資産の土地などを売却しろと株主総会で主張します。売って株主に配当すべきである、と平然と主張するのです。そして、過剰な従業員は解雇すべきと、これもまた当然のことと主張します、それが彼らの経営理論だからです。そこには自己利益以外に一片のセンチメントもないのです。

勿論、その主張は日本の会社にだけ向けられたものとはいえません、自国においても、おそらく世界のどこの国であってもそのように主張するものと思われます。それが、アメリカ流だからです。しかし、アメリカにおいてもこうしたアメリカ流があまねく是認されているわけではないのです。大いに批判にさらされつつあるのです。

最近の新しい傾向といえばその通りでしょうが、今になって、人々は漠然とながらこれまでのアメリカの流には不安を抱き始めていてるようです。貧困が混在する繁栄では、どんな暮らしも快適とはいえず、ひもじさに囲まれて食べるハンバーガーがお美味しいはずはないからです。

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