6月17日(水)  足の動きだけの練習ではない

2009年06月17日 | 練習日記
6月17日(水) 

 今日は私が用事で指導できる時間も少なかったので、空手の練習をメインに行った。ところがこれが結果的に失敗だった。みんな頑張って技の形をとろうとしているのだが、土台の方に注意がまず向いてしまう…。

 一般部でも、「空手を学ぶためにはまず、(空手ができる)人間としての体を創らなければならない」と指導されるが、児童部を教えているとこのことがよくわかる。端的には足腰の鍛錬である。 土台の強化と平行して空手の技を学んでいかないと砂上の楼閣で、成長期とあいまって簡単に崩れて言ってしまう。

 一般部もそういうわけで、足腰の練習ばかり行った。しかしそれだけで型が上手くなっているから驚きである。考えてみれば足腰の動きも気合いをいれて練習している。結果、その(意欲的な)認識でもって足を動かすのだから、自然と足を動かす時の認識も「足を前に出す」といった単調なものでなく、「ヨシ!行くぞ!」とでもいうような、勇猛果敢なものへと変わり、それがまた、足腰を強化していく……といった、認識の面をも指導している練習なのだ、と分析した。

6月13日(土) 白は汚れても白!

2009年06月13日 | 練習日記
6月13日(土) 白

 今日の練習では掌底で木に当てさせたり、段ボールを持って体当たりさせるなどの練習を行った。これは当たった時などの感覚を覚えたりする練習である。
 
 相撲もあえてこけるように、男女で組ませたりした。これは倒すのも練習であるが、こけるのもまた練習である。高学年になると胴着が汚れるからこけるのを嫌がるのは前もってわかっていたので、概略こんなお話をした。

 「白というのは汚れても白だ。胴着というのはちょっと汚れているくらいがかっこいい。話しは飛ぶけれど、瀬戸大橋という中国地方と四国地方を結ぶ橋がある。これを建てる時に、橋の色は何色にしようかという話になった。汚れが目立ちにくい色(おそらく灰色あたりかと思う)がいいんじゃないか……というところで、話しが決まりそうであった。けれどもある人(リーダー格の人と思われる)が白がいい、とこう言った。そうしたら「白では汚れが目立ちすぎる」と当たり前のよう批判された。これに対して「白は汚れても白である」と反論したそうだ。そういう話しがあって瀬戸大橋の色は白である。……最近は柔道でもカラー柔道着になったりしているが、もともとは白だった。白というのは日本人のきれいな心を表しているようなものなんだ。話は飛んでしまったが、白は汚れても白だ。だから相撲で胴着を汚しなさい」

 話の元は昔、夜中にチラッと見たプロジェクトXの再放送だったと記憶している。「白は汚れても白だ」は妙に心に残った言葉であった。会話として成立はしているが、この「白」というのは自然環境の豊かな、日本人の精神の象徴として挙げているのだと思う。言ってみれば単に橋を造るだけでなく、「日本を代表する橋を造るんだ!」という精神の高みとしての白なんだと思う。


 一般部ではファウルカップを付けずに掛かり稽古をしたところ、初めて金的をくらってしまった。痛みが継続するのでしんどいものである。痛みには、戦闘意欲が衰えない痛みと、戦闘意欲が激減する痛みとの2種類があるが、金的の痛みは後者である。
最近の健康状態がそれなりに良いと思っていたが、組手における0コンマ何秒に如何に像を描き、そしてそのレベルで体を動かすレベルには、オマエはまだ達していないのだ、「自惚れるな!」とお叱りを受けた気がした。

6月10日(水) スキップ

2009年06月10日 | 練習日記
6月10日(水)

 いつも児童部の練習ではランニングを10周ほど行っているが、単調なのでスキップを取り入れることにした! これも空手的に行うもので、つまり膝を鋭く前蹴の形で上げながら前進するのである。ケンパほどではないにしろ、片方の足で勢いよく飛んでいるぶん、もう片方の足に負荷がかかってなかなか良い練習であった。
 
 今度はこれを後ろ向きでやってみる。これも予想外の動きでなかなか面白い。スキップというのもリズム感が必要なようだ。

 今日は当て方の練習をしたのだが、ほとんどどうしても当てる方優先となってしまい、立ち方などの形が崩れる。しかし今日の目的は当てる部位の拳をかたく握ることや、虎趾の形をきちんととるための練習であったので、よしとする。

 一般部は型のための足の練習を行ってから型を行う。足の動きが良くなるのは想定内として、着眼の動きまで良くなるのには驚いた!これは気合いを出して練習したり、鋭く足を運ぶことを意識的に行うことにより、認識がシビアになったのではないかと私は考える。

5月20日(土)の練習 児童部の練習の仕方

2009年05月20日 | 練習日記
5月20日(土)の練習
 
 最近の一般部の練習では、リズムに合わせて体を動かす練習が多いので、児童部にも取り入れてやってみることにした!やってみたは良いが、いまいちのってこない(汗)。全員の頭の上に?マークが浮かんでいるようである。

 練習の形として全体で準備運動を私が担当し、それから個別の練習を各指導者が行い、私が巡回しているが、上級者以外はなかなかうまく回っていない。全体練習→個別練習→全体練習という形が良いと思った!

 一般部は足の移動の練習を行ったが、時間の都合であまり練習ができなかった。

5月9日(土) フィードバック

2009年05月09日 | 練習日記
5月9日(土)

 暖かい季節になり、大分体も動かしやすくなってきたようだ。スポーツドリンクにも書いてあったが、「季節の変わり目はカラダの変わり目」であるらしい。

 今日はケンパなど、新しい練習を取り入れた。しかし、新しい練習を取り入れても、その練習の意味などきちんと教えないと、ちょっとした遊びのようになっていまい、空手の上達へとつながらなくなってしまう。そういった練習も、基本技などがより見事になるために行うものなのだから、基本の練習にフィードバックしてしっかり行わなければならないと思った!

5月6日(水) 部分練習

2009年05月06日 | 練習日記
5月6日(水)
 
 一旦身に付いてしまった技というのは、変えるのが非常に難しい。子どもに言葉で聞かせても、癖のようになってしまっている。全部をいきなり変えるのは難しいので、部分からすこしずつ変えていく必要がある。

 一般部では膝上げを高速で行ってから前蹴を行ったところ、皆良い前蹴が出るようになった。前蹴の時にそれほど膝上げを意識していないということか。
 案外、こういう練習は皆楽しく行う。同じ練習のみ、というだけでなく、部分練習も取り入れながら、指導をしていきたい!

5月2日(土) ゆっくり組み手

2009年05月02日 | 練習日記
5月2日(土)

 一般部の練習では、相手にゆっくり攻撃し、その技受ける練習を行った。
 
 この練習は、やってみてわかったことだが、ある程度基本の技が身に付いて対処できる者が行えば効果があるが、ほとんどの場合、①どんな技が来るのか ②技が来た時にどのように対処したら良いのか、の二重の混乱になってしまう。
 端的に言えば技を使う練習だから、まずは約束組手などのように、技の使い方を創る練習をまずした方が良い、と思った!

4月30日(水) 声

2009年04月30日 | 練習日記
4月30日(水)
 今日は暖かい日でダッシュなどを連発したこともあってか、練習中に何名か気持ち悪いというものがあらわれた。体力面も考えて練習メニューを組まなければならないと反省。
 
 入門者には声を大きく出すように指導するのだが、振り返ってみると練習中に声を大きく出す時があまりないことに気付く。もうちょっと、大声を出す練習をつくっていきたいと思う!

 これは一般部にも言えることで、一般部の声や気合いが小さいからこそ、児童もその影響を受けて声がおとなしくなってしまう、ということも考えられる。

 一般部から変える必要がありそうだ!

4月25日(土) 知恵をしぼる!

2009年04月25日 | 練習日記
4月25日(土)
 今日は雨だったので児童部の練習は屋根のある所で行った。
 
 空手の練習は動き回ることが多いが、こういう時にはその場でできる練習をすれば良い!知恵を絞って練習すれば、それなりの練習はできるものだ。練習内容も昔の修行者は、おのおの工夫しながら技を磨いていったはずである。
 
 一般部では最近骨を鍛える練習をしている。この練習をすると、汗をかく。汗は汗でも冷や汗であり、やればやるほどぞっとしてくるからおそろしい。
 
 約束組手なども行ったが、怖さがないといけない。慣れていると、慣れているだけに、言い方は妙だが新鮮な「怖さ」が薄れていってしまう。これではだめである。
 
 私は中学生の紫帯と行った。私はわざと受けずにいたが、相手の突は当たらなかった。軌道をそらしたのである。当てることを怖がったようで、「当てろ」と何度か指導することで、ようやく当てるようになった。当てる側にも当てる勇気が必要であるということだ。

4月22日(水) 土台

2009年04月22日 | 練習日記
4月22日(水)
 子どもに教える時にはしっかりと立てるように指導しているが、なかなかガッチリとした立ち方にならないのが難しい所だ。突技や蹴技、受技の練習も楽な立ち方をしてしまうと、そのレベルでの技が出来上がってしまう。これまで練習の種類を変えたりしてきたが、まず原点に立ち戻って、基本的な練習から始める必要がありそうだ。
 一般部では中学生に腹筋の力があまりないことがわかった。しっかりとした前蹴が出せるには上体がのけぞらない必要があり、そのために腹筋の力が大事である。

4月18日(土) 木登り

2009年04月18日 | 練習日記
4月18日(土)
 我々人間は動物から進化してきたはずなのに、チーターよりも速く走ることが出来ず、まぐろよりも泳ぐのが遅く、猿よりも木登りが上手でない。
 
 今日の練習では木登りを行った。この木登りはきちんと行うと拳の握りや足の裏の力のこもり方が、以前とは比較にならないほどみなぎってくるようになるから不思議だ。
 木登りの練習をさせると、「どこそこの位置が登りやすい」と楽なポイントを見つけて登ろうとする者もいる。登ることが全く出来ない者なら、初歩的にこういう方法も良いだろうが、慣れた者がこのようにやっていては遊びである。

 本当は「木『登り』」なのだが、それが難しい者は固着、もとい、掴まらせるようにしている。これがまずかったか、登るためにつかまるのではなしに、掴まることが目的となってしまったようだ。具体的には木のつかみ方がダッコちゃんになってしまった。手のひらや足の裏だけでつかむのではなく、腕全体、足全体でつかまる、といった様子である。そのことに今回気付き、特に足の裏できちんとつかむことを指導した。

4月15日(水) 初心者の指導

2009年04月15日 | 練習日記
4月15日(水)
 今日の基本技の練習は高校生に任せ、私は新しく入った入門者に拳の握り方を教えた
 指導者にならないと、こういう練習はただ教わっただけの練習で終わってしまう。私が初心者にこういった練習を教えるのはもう何回目になるか忘れてしまったが、教えるたびに初心に戻る感じがして、自分も勉強になる
 
 入門者が来るというのは、人数が増えるぶん、指導の仕方も初心者ばかりではなく、全体的に見る練習もしなければならない。要は指導の質を上げることが要求される。このように、入門者が来ることは二重の意味で指導者のレベルを上げてくれることになる
 一般部では組手が上手くなるためには、型も上手くならなければならないということで、型の動きを相手を設定して約束組手的に行った

4月11日(土) ためらい

2009年04月11日 | 練習日記
4月11日(土)
 土曜日の子どもの練習ではよく相撲や鬼ごっこをするのだが、高学年ともなると転ぶ(胴着が汚れる)のを嫌がる。「女子を見ていると足をかけている途中で力を抜いてしまう」との指摘があった。
 そういうこともあって今日は指導者に追突をブチ当てる練習を行った
 一概に突を当てさせても、当てる点が小さければ小さいほど「鋭い」技になる。例を挙げれば針などがそうだ。
 はじめは当てることにためらいを感じていた者も、だんだんと力強く当てることが出来るようになった

4月8日(水) 新しい気持ちで!

2009年04月08日 | 練習日記
4月8日(水)
 今日はさいたま市の小中学校では始業式、入学式が行われた。新しい気持ちを持って過ごすというのは、それなりの意味がある。
 「『今年から自分はこうなってやろう』とか、『今日の誕生日を境にこういう人間になろう』といったように、自分で勝手に月日を設定し、設定した月日から変わっていくのが人間だ」と我々の流派の最高幹部は説かれる
 自分の技を新たにつくりなおすつもりで、今年度も頑張ってほしいという話しをした。
 一般部では木の間をすり抜けたり、木に蹴をブチ当てたりする練習をした。足場が不安定なことも手伝い、わずか数分で息があがってしまうなど、効果的な練習であった

4月4日(土) 肩触り組手 学生と社会人

2009年04月04日 | 練習日記
4月4日(土)
 今日は水曜日見学に来ていた児童がいたので、少し一緒に練習をさせることにした。ダンスを習っているそうでなかなか動きが良く、将来有望な可能性を感じた!
 一般の方は肩触り組手を行った。若い高校生は社会人と比べ、前半押されながらも後半体力でやり返すという場面が多く見えて、面白かった。普段おとなしい中学生は一定時間攻撃されまくってから後に、吹っ切れたように動きが良くなった。「必要は発明の母」ではないが、やっと「必要」になってから勝負心を「発明」したという感じであった。本当は、普段から指導者が勝負心を指導していかなければならないと反省。