6月17日(水)
今日は私が用事で指導できる時間も少なかったので、空手の練習をメインに行った。ところがこれが結果的に失敗だった。みんな頑張って技の形をとろうとしているのだが、土台の方に注意がまず向いてしまう…。
一般部でも、「空手を学ぶためにはまず、(空手ができる)人間としての体を創らなければならない」と指導されるが、児童部を教えているとこのことがよくわかる。端的には足腰の鍛錬である。 土台の強化と平行して空手の技を学んでいかないと砂上の楼閣で、成長期とあいまって簡単に崩れて言ってしまう。
一般部もそういうわけで、足腰の練習ばかり行った。しかしそれだけで型が上手くなっているから驚きである。考えてみれば足腰の動きも気合いをいれて練習している。結果、その(意欲的な)認識でもって足を動かすのだから、自然と足を動かす時の認識も「足を前に出す」といった単調なものでなく、「ヨシ!行くぞ!」とでもいうような、勇猛果敢なものへと変わり、それがまた、足腰を強化していく……といった、認識の面をも指導している練習なのだ、と分析した。
今日は私が用事で指導できる時間も少なかったので、空手の練習をメインに行った。ところがこれが結果的に失敗だった。みんな頑張って技の形をとろうとしているのだが、土台の方に注意がまず向いてしまう…。
一般部でも、「空手を学ぶためにはまず、(空手ができる)人間としての体を創らなければならない」と指導されるが、児童部を教えているとこのことがよくわかる。端的には足腰の鍛錬である。 土台の強化と平行して空手の技を学んでいかないと砂上の楼閣で、成長期とあいまって簡単に崩れて言ってしまう。
一般部もそういうわけで、足腰の練習ばかり行った。しかしそれだけで型が上手くなっているから驚きである。考えてみれば足腰の動きも気合いをいれて練習している。結果、その(意欲的な)認識でもって足を動かすのだから、自然と足を動かす時の認識も「足を前に出す」といった単調なものでなく、「ヨシ!行くぞ!」とでもいうような、勇猛果敢なものへと変わり、それがまた、足腰を強化していく……といった、認識の面をも指導している練習なのだ、と分析した。