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午餐会(ごさんかい)

ただいま休止中!!
再開未定どえ~~す!!

伏見稲荷神社

2006年03月05日 | 神社参拝記
伏見のお稲荷さんへ行ってまいりました。
用事のついでに、寄りました。神社内は車が多いですね。楼閣の手前までのほとんど駐車スペースになっております。
今日は本殿までで留めて、奥の「お山参り」は今回は止めておきました。
千本鳥居とかはこの奥の山の参道に有ります。まあ、有名なところだから京都来たら必ずおまいりすべきところですね。結構、願いがかなうと言いますので。

以前に、この置くの山へ行ったことが有りますが、なんとも言えないですね。独特な雰囲気が有ります。此処にはまだ神さんが居るような感じですね。
朱色の鳥居が至る所においてあり、信仰の厚さを感じます。
此処へは、少し登山気分で昇ってもいいでしょう。結構山道できついですね。息が上がらないように歩きたいなと思う。

恒例のおみくじは、こんなのあるんだというようなものでした。凶では無いのは確かです。何が出たかは「ひみつ」ですが。

帰りに、お土産物屋を少し見ました。招き猫やらろうそくやら売っておりましたね。
そうそう、JRの東海道線がつながった頃はこの稲荷神社前を走っていたとか。ランプ小屋というものがこの稲荷神社前にあります。現存するJR最古の建物だそうですので。「ほ~~」っというような感じですね。
中には実際使われていたランプが保管されているらしいです。非公開ですので頼んでも入れません。外見だけ見ましょう。

凶を引く&小冒険の道

2006年02月11日 | 神社参拝記
今日は石清水八幡宮に行ってまいりました。二度目の書き込みです。
ふもとの八幡サテイーに愛車(?)を止めてテクテクと歩きました。
なかで、お参りをし、おみくじを引いたら「凶」でした。(TT)
石清水八幡宮で30番と見たら、すかさずもう一回おみくじを引きなおしましょう(笑

帰りは、ちょっと違った道を歩こうということで、昇ってきたところを下らずに、神馬舎の右に(左が昇ってきたところ)道があったのでそこを下っていきました。
このみち面白かったです。冒険しているみたいで。
人は歩いた跡はかなり有るので大丈夫でしょうと思いながら。地肌むき出しの道を歩く。
途中狭いところがあるが石段になっていて歩くのには困らなかった。後半は、落ち葉の絨毯状な場所も有り(此処は要するに誰も掃除をしていない)ふかふかな場所を踏みしめて下りました。
かなり、駐車場から離れていたのでサテイーまで戻るのも「まあいいか」って感じでした。

八坂神社

2006年01月15日 | 神社参拝記
八坂神社です。
友人と行きました。
人は、あまり多くないような感じでした。
写真が見つからないので文面だけです。

ご存知、祇園祭りは此処のお祭りで有りまして、

由緒は
八坂神社は、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱神子神)を祀ります。
日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。
八坂神社の歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前-斉明天皇2年(656)と伝えられています。都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。
八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。
(HPより)

此処を参拝して、知恩院へ。結構雰囲気があっていいですが、階段に苦労しました。(笑
でも知恩院は仏寺ですのでここでは触れません。m(__)m
特にこの辺はあまり用事が無いので来ないところではある。

あと、上加茂、お稲荷さん、松尾大社、貴船神社がまだです。書き込みも手を抜いてる感じがするので、ちょっと休んでまた書こうと思う。

幸神社

2006年01月15日 | 神社参拝記
幸神社(さいのかみのやしろ)です。


出雲路幸神社というのが本当の名前らしい。
場所は、同志社の東に当たります。

出雲阿国が巫女をしていたという神社です。(某番組にて、宮司さん談)
縁結び&御所の鬼門よけの神様。

私が行ったときの感じは、京都の街のかなにあるごく普通の神社でしょうか。御金神社と雰囲気が似ています。囲いが独特なのが京都風なのだろうか。普通はオープンなのだけども。



HP1

HP2

HP3


由緒
御所の鬼門を守るために創建された。現在の御所が鎌倉時代に建設された事を考えると、 鎌倉時代にこの場所に遷座されたと考えられる。道祖神として崇敬を受けているが、何故か「縁結び」の神様としても崇敬されている。

下鴨神社

2006年01月15日 | 神社参拝記
下鴨神社です。
此処の糺(ただす)の森と社が世界遺産に指定されております。
以前、此処で古本市を行っていたので良く分かっておりましたが。何もないと静かです。でも、結構人通りがある。



此処は拝殿(本殿)です。その前には干支の神様がずらりと居ますので生まれた干支の神様を拝む。

中は西殿と東殿に分かれておりましてこの拝殿で両方を拝むこととなる。(みたい)
ここで気付いたこと。
仏式と同じ御朱印帳なるものが存在することを知りました。今度買おうかなと思う。美人の巫女さんが硯の前で座っておられましたが私が居た時間では誰も御朱印帳を頂く方は居ませんでした。(数分でしたからでしょうね)ちなみに御朱印帳は800円と1000円ともう少し薄いのが有りませたので。

子牛寅の拝殿
反対側と真ん中にも干支の拝殿が有ります。



契約の神様です。珍しいのでパシャッ。西殿かな。この奥にも拝殿があるみたいです。後で知ったのですが。
ぶれている。(ToT)
写真に有るとおり地面には雪が積もっておりました。そして、ボタン雪がかなり降っておりました。さぶっ。

ここでもおみくじ。なんと真っ赤なおみくじでしたが。凶でも大吉でも有りませんでした。他の方は白色やら色々あるみたいですね。凶でもお持ち帰り下さいとのことです。次回来るときまでお財布にでも入れておいてくださいと有りました。

北野天満宮

2006年01月15日 | 神社参拝記
北野天満宮です。
ご存知の通り、学問の神様で菅原道真をお祭りしております。

北野天満宮に行く前に大将軍神社へ行くはずでしたが、場所が分からずに通り過ぎてしまいました。怪しい商店街に中にあるようなのでどのくらい怪しいか再度トライして見てます。事後期待してください。

受験シーズンだけ有って人は多いですね。毎月25日には出店が並びます。まだこのときもちらほらと店が残っておりました。
初物ですが○○焼きというものをはじめて見ました。食べてないけどかなり興味をそそられた。ちなみに「○○」とは伏せ字で無いので。こう書いて有りました(笑
。お好み焼きのような生地が金輪の中に入れて焼いて、上に卵が割って玉子焼きのようになっておりましたおりました。


由緒
当宮は菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、国を鎮め守る神として平安時代中期多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされています。菅公は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤しまれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍されました。永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得ました。寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の御崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として菅公の御分霊がお祀りされるなど、「天神様」として親しまれ、以来学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれています。

ちなみに。NTTの104で「きょうとぎょえん」と検索したらこの辺の怪しい商店街の「京都魚苑」という魚専門のペットショップびつながりますので要注意。(笑
何故か?
京都御苑もこの京都魚苑も同じ北区にあるからで、京都御苑は登録が無いようだからである。
(京都チャンネル「謎パラ」より。)

御髪神社

2006年01月11日 | 神社参拝記
嵐山のもっと奥にある、御髪神社(みかみじんじゃ)です。
トロッコ嵐山駅真正面に入り口がある。


日本で唯一の髪の毛の神様です。でも、私はまだ必要が無いとおもうけども、もしかしたら一生必要が無いかもしれませんが。一応お参りしました。(親類で禿げてる人居ないので。)



拝殿はこのようになっています。
猫が3匹住み着いているようで、社務所の下で鳴いておりました。


三匹の猫。

此処は、オフシーズンでなかったら結構人通りがあるようですけど。トロッコ列車が動いていない時期はあまり人が居ないです。居てもカップルか自転車かな。


上の方が危ない方(?)はぜひとも一度お参りを!!


御髪神社

野々宮神社

2006年01月11日 | 神社参拝記
所変わって。嵐山。
野々宮神社(ののみやじんじゃ)です。

此処は有名で有ります。
源氏物語縁の社であるとのことで、オフシーズンである今も結構ひっきりなしに人がこられております。


入り口です。観光用人力車とかタクシーも入ってきますので注意です。


祭壇です。



この先に安産のお社が有ります。私はこの辺で失礼しました。m(__)m

伊勢斎宮・源氏物語旧跡 (&由緒?)

 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
 嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
 野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。
 そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。

黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語、謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。
詳細はこちら

でも此処は人が多すぎですね。(笑

安井神社(安井金毘羅宮)

2006年01月08日 | 神社参拝記
安井神社です。
穴の開いた岩を願をかけてくぐると縁を切れる、裏からくぐれば良縁をもたらすとの信仰がある。有名スポットです。

縁切り&縁結びの方が強い感じです。



北の入り口


岩くぐりの岩です。実際数人やっておられました。
ストーカーよけ、携帯のいたずらよけのお守りも売っております。おみくじここでもひきました。このおみくじ一風変わっております。栞になるようなもので甘くていい匂いがします。300円でした。もう一つ、あるのですがそちらはやっておりません。


拝殿の横にあった陳列ケースにはお守りが有りました。




こちらが表参道??

此処は、あらゆるものの縁切りが出来ます。例えば、悪運とか病気とかストーカーとか。(笑
女の方だけでなく男も行きましょう。

安井金毘羅宮のHP

場所は、京阪四条駅又は五条駅下車。四条からは東南方向に有ります。五条からは東北方向に有ります。四条からのほうが行きやすいと思います。建仁寺で五条方面からでしたらかなり回り道になります。又は恵比寿神社経由でしたらかなり近道になると思います。
両方とも、東大路道りまでいったら行き過ぎで、東大路安井の交差点を目指してください。こちらからは北側の入り口に入れます。

他にも、変わった神社の情報が入って来ていますので、おいおい行きます。

宗忠神社

2006年01月08日 | 神社参拝記
宗忠神社

吉田神社の東南に有り、ひっそりとした神社です。前回の稲荷神社の南側に隣接しています。

まあ観光客がちらほらと居るだけですのでおまいりにいきました。
黒住教とか言う宗教らしいけど。神社の形態を取っているのでお参りしておきました。
始まりが、江戸時代文化十一年よりのことらしいです。
天皇の勅願書になっていたとも由緒書きに記されておりました。
神道十三派の一つで有ります。


神道十三派とは(近代神道)、
神道大教、黒住教 (神道黒住派) 、神道修成派 、出雲大社教 、扶桑教 、実行教 、神道大成教 、神習教 、御嶽教 、神理教 、禊教 、金光教 、天理教 である。

かなり突っ込んだ内容のようですけど。行っていた大学が「記記」(古事記・日本書記の事)をやっている大学だったのでこのような内容に結構興味を持っております。m(__)m

吉田神社2

2006年01月07日 | 神社参拝記
吉田神社その2

吉田神社を元来た方向に戻りますと斎場大元宮があります。


斎場ですから。お葬式をとりおこなった場所ですかと思いきや、そうではないようです。土御門天皇により文明16年に造営
此処は、お正月と節分しか門が開けれないようですのでラッキーでした。



斎場大元宮の中左側の奥です。左右対称このような祠がある。この前には八角の祠が建てられている。


右側の後ろからの八角祠です。




吉田神社より東へ行ったところにある稲荷神社です。




稲荷神社の拝殿です。

もう一つ。


なんと少し行ったら大文字が見えます。山の上が三角に禿げたところ。(笑

斎場大元宮の由緒
昔左京室町に在った社を吉田兼倶が後土御門天皇文明16年(西暦1484年)に現地に造営、同年11月24日奉請の上遷座し、吉田神道の根元殿堂として道を説き教を設けて神祇道の振興に多大の貢献をしたのである。また、後陽成天皇天正18年(西暦1590年)勅によりて八神殿を社内後方に奉遷し、吉田兼見奉仕して鎮魂祭(ちんこんさい)を行い、慶長14年(西暦1609年)更に勅を受けて神祇官代として伊勢例幣使(れいへいし)の儀礼を修め、明治4年迄継続したが翌5年八神殿の神璽を宮中神殿へ鎮座した。彼の有名な宗源宣旨(そうげんせんし)並裁許状(さいきょじょう)を発行し神職界の宗家と仰がれ神道の中心地であった。
毎年節分には特殊神事が行われ厄除祈願の参拝者群集し一般の崇敬極めて篤い社である


竹中稲荷社の由緒
竹中稲荷社と称し鎮座並由緒は余り明かでないが古紀に「在原業平の居を神楽岡稲荷神社の傍(かたわ)らに卜(ぼく)す云々」とあり、天長年間既に社殿の在った事が知られ、又古伝に「天保年間に京師幾萬の子女郡詣し昼夜の別なく満山に踊躍(ようやく)す是を蝶々踊(まい)と云い其の後数千の鳥居参道に樹立し雨雪為に傘を要せず」などとあり、現在の地に天保11年(西暦1840年)信徒の寄附金で造営されたもので右説と同時代であり頗(すこぶ)る旺盛(おおせい)を極めたものである。現今も竹中稲荷講社が組織され多数の崇敬者が講員に加入されている。明治5年末社に定められた。



そうそう、この吉田神社に京大受験生がお参りしたら、必ず落ちると言う話があるらしい。


吉田神社HP詳しくはこちら

吉田神社

2006年01月05日 | 神社参拝記
平安神宮から北へ少々上がって、人通りが少なくなって、鳥居が右っ側に見えたのでふらふらと吸い寄せられるようにしてそちらへ向かう。

こんな怪しい鳥居があった。吉田神社の入り口。
山になっていて、上には公園になっているようである。

ここで、デジカメとして大変重宝している携帯がなんと此処を通り抜けたとたんフリーズしてしまいました。(ToT)
写真二枚がオシャカになっておりました。


吉田神宮の本宮です。こちらには車で近くまで来れるようです。


山陰神社。料理の神様のようです。此処は料理・和菓子の神様が居られます


菓元神社。こちらが菓子の神様です。
神様は、田道間守(たむまもり)の命、林浄因(はやしじょういん)の命が居られるとのことです。

吉田神社でもおみくじを引きました。
こちらでは吉でした

またもや、大吉ではないです。

吉田神社のある場所は、京都大学の裏に当たります。東側になりますか。私が入ったところは聖護院側のあたりになります。京都大学の南側の出口よりもう一本南になりますね。吉田神社の本殿の場所がちょうど京大の南側の入り口に当たると思う。

由緒を検索しましたらかなり天皇と縁の深い神社であることが分かりました。
神道の一流派である吉田神道というものの総本山であり、神道のほとんどを占めた時期があるらしいということが分かりました。元々は奈良の春日大社の一部であったらしいのですが。
書ききれないので本宮だけを。

由緒
清和天皇貞観元年4月(西暦859年)中納言藤原山蔭卿(ふじはらやまかげきょう)が春日の四神を勧請(かんじょう)し平安京の鎮守神として吉田山に創建される
爾来永延元年(西暦987年)一条天皇の行幸を始め正暦2年(西暦991年)大社の一に列せられ、堀河天皇嘉承元年(西暦1107年)四度官幣に預る等、皇室の崇敬極めて厚く、殊に神職吉田兼倶が吉田神道を創設し、後土御門天皇文明16年(西暦1484年)斎場所(さいじょうしょ)大元宮(だいげんぐう)を造営してより益々隆盛加はり神道界の絶大なる権威を保持したのである。旧社領590石


天理教や金光教も神道の十三派の中に入る宗派である。このことは今の今まで知りませんでした。実は、高校の頃の知り合いに天理教の者が数人身近に居たのですが、まったく興味がもてなかった。しかも天理教の教会に遊びに行ったことも有ったのですけど。祭壇に鏡が有って、云々。私は、今もまったく興味が無いけど。

平安神宮(追加記入あり)

2006年01月05日 | 神社参拝記
京都岡崎にある(東山三条を北へ少々上がる)平安神宮からです。


門を入ってすぐのところで取りました。人が多い~~~。
参拝しておみくじを引く。
末吉でした。

凶でなくて良かった~~~。

平安神宮の由緒の方は。
コピペですが。

平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。
当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。
その状況下で京都を救ったのは、京都復興への市民の「情熱」と全国の人々の京都に対する「思い入れ」でした。数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。
これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。
千年以上も栄え続けた雅やかな京都を後世に伝えるために、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。
その後、皇紀2600年にあたる昭和15年には、市民の懇意によって平安京有終の天皇、第121代孝明天皇のご神霊が合わせ祀られ、「日本文化のふるさと京都」のおや神様として広く崇敬を集めることとなりました。詳しいリンク先

実はこの平安神宮は明治時代の万博(第4回国内勧業博覧会。明治28年開催)の会場跡地利用であるとも言えます。(覚めた意見ですが)
この次の第五回(明治36年開催)で大阪の新世界と通天閣が出来ます。(これは余談です)


参拝の仕方

鳥居の前で一礼
参道は真ん中を歩かない(石畳の上)
手と口を洗う
・まず右手に手水を取って左手を洗う
・左手に手水を取って右手を洗う
・最後にもう一度右手に手水を取って左手に水をため、そこで口を洗う(柄杓で口をすすいではならない)
・最後に残ったお水で手水を立てにして、手水の柄に水を流す。
参拝
·鈴鐘を鳴らす
·神霊に向かって拝礼(神様への挨拶)
·賽銭を奉納する(神様への供物)
·二礼二拍手一礼


テレビで見ていて結構やってない人が多いので、いい加減なものになっているようである。(人の事いえないけど、)

この間、放送していた占いで有名な細○さんも少し違っていた。(笑

出雲は4拍だとかある様である。神社によってまちまちな様であるが、二礼二拍手一礼に一応は統一されているらしい。

決心!!というほどでも。

2005年12月29日 | 神社参拝記
お正月で、どれくらい神社に参拝できるかやってみようかなと。まるで鉄腕ダッシュの企画みたいな事を考えております。
お賽銭お入れること、写真を撮る事。お守りも買いたいがそれは断念です。(高いし、いっぱい有っても仕方が無いので)

そうそう、三が日の意味も正月の元旦、2日、3日の意味でないみたいです。本当の意味は「年の初め」「月の初め」「365日の初め」の三つの意味であるそうです。かなりこの手の歪曲が多いのだなとあらためて思う次第です。

ちなみに、この三日間風邪ひいてます(笑

予定は未定ですので。UPできたら、又はこの書き込みが消えたら断念したと思ってください(笑

御金神社

2005年12月25日 | 神社参拝記
某ローカルテレビでこんな神社を紹介していました。実際行って見ましたのでUPします。



御金神社です。「おかね」とよんだあなた。「うぬも悪よの~~」(自爆。
「みかねじんじゃ」と読みます。金属の神様だそうです。
金山比古神、天照大神、月読神を祭っております。実際、お金の神様でも有りますので金持ちになりたい方はお参りは必須かな?

そうそう、見てもらったら分かりますが、鳥居が金色なんですよね~~(笑
場所は、二条城のすぐ近く。御池西洞院上がるです。