原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能汚染!!
核兵器禁止条約批准せよ!!
反原発!! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!!
80歳近くのマグロ仲卸の方に聞いたことがある。
「桟橋にマグロが陸揚げされると、白い制服の検査官がよってたかってガイガー計数機で調べてたよ」。
60年も前に見た異様な光景は、今も目に焼き付いているという。
今でこそ、日本はマグロの輸入大国だが、敗戦後のしばらくはアメリカのツナ缶需要をうけ、輸出の花形だった。復興の旗印として多くのマグロ漁船が遠洋をめざすなか、1954年3月1日、「第五福竜丸」が、南太平洋ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により「死の灰」を浴びた。焼津港に帰港後、乗組員23名は「原子病」と診断されている。
築地市場にも、このときの漁獲物のうち、マグロ3本と大量のサメが送られている。焼津からの急報で上場はストップ。科学研究所の調査で高濃度の汚染が確認されると、市場内はパニックとなった。卸売場を洗浄車が走りまわり、場内アナウンスが緊急を告げ、市場の片隅に汚染された魚は埋められた。冒頭の記憶は、市場内に設けた「原子魚対策本部」の連日の放射能検査の様子である。
必死の対策が続いたが、消費者の魚への不信感は大きく、マグロのセリが中止になるという異例の事態にまで追い込まれた日もあった。
しかし、アメリカの水爆実験は予定の6月まで続き、9月には「第五福竜丸」の無線長、久保山愛吉さんが亡くなっている。「原爆反対」の激しい抗議行動が各地で起きた。初の核廃止をうったえる活動であった。
広島、長崎の原爆の災禍からわずか10年で起きた事件。市場の正門近くの壁には、いきさつを記したプレートがかかげてある。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhjXnqU5ma6_KiAmYVY23TQHnFQZcjbM1fiftY3sKPh0M85fpr8u0mqcOK6u9_cYbzEEBdaUaCkJZ6W6Y6DsbX8AFf8H1_chYDrKOmDnumlNQbC_D6L58sKvgnzTpxJfcrUJFPFYaWYabe851nWlrGV-U6gs37yZwt9zUOWgeFLolcPAdb7fXyrYVFMIYo/w640-h452/%E7%B4%B0%E8%8F%8C%E6%88%A6%E9%83%A8%E9%9A%8A%E5%93%A1%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%BE%8C%20_PAGE0002.jpg)
アンケートから
12月17日(日)
10、トークイベントの機会はめったにないため、聞くことができてよかったです。勿論、学校や本などで大まかなことは知ることもできますが、実際に体験された個人の方のお話は人によって異なり、同じものはないと思うので、また今日のような機会があれば参加したいです。731部隊については、たまたま親が知っていたために、名前は知っていましたが、学校では習わなかったので、展示を見ることが出来てよかったです。目をそらしてはいけないのですが、解剖の写真は余りにも生々しく、途中で吐きそうになり見ることができませんでした。最早人間の所業ではありません。それでいて関係者は研究成果と引き換えに免責というのが、許されてはならないと思います。罪を犯した要職の人間が大して裁かれず、なんだかんだで職務を続け、時間の経過とともに忘れられていくという点は、今も昔も日本は同じかもしれないと思うと、未だに戦争を仕掛けているロシアの事ばかり批難していられません。結局今でも、世界中の国が表向きは平和を目指しているように見えますが、国連の運営などを見ても、結局皆自分の事ばかり、金儲けの事ばかりで、大して進歩していないと思います。今後の日本の雲行きには、不安しかありません。(20代以下、市内、チラシ)
●三多摩平和交流会の感想
6、高橋悠太さん講演を聴きに来ました。1つ1つの出来事が具体的できちんとデータと画像をとって見せていただけたのは、とても良かった。冊子の中の呼びかけ人には、お互いに声をかけられる知り合いが4人載っていた。大変申し訳ないが「三多摩平和交流会」という隔年のイベントを初めて知った。
これだけの内容の展示を団体のいろいろな違いを調整して、整然とされていることに驚いた。川崎・横浜「戦争展」を始めて30年以上になるが。(60代)
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