「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

2、イスラエル等の治安墻(p1215~)

2013-03-03 00:16:26 | 中東
 前へ

 イスラエルの治安墻は「隔離壁」の蔑称を持つ。しかし、この治安墻(本格防壁は僅か5%未満)が形成されて以来、テロの件数は9割以上減った。
 治安墻は2000年以来のインティファーダで800人以上がカミカゼされたのを機にイスラエル政府によって建築された。テロとの戦いは国際社会公認の大義に適う行為だ。イスラエルにはテロから市民を護る責務がある。
 この治安墻は当初、ガザ地区との間にのみ存在した。パレスチナ自治区との全境界に設置されている訳ではない。過去3年間に117人のテロリストに477人のイスラエル市民がカミカゼされた。2003年サレムとエルカナとの間にガザ地区外で最初の治安墻が設置されて以来、その対策は実によく機能している。その有効性はパレスチナのテロ組織によっても証言されている。
 つまり、イスラエル人とムスリムの物理隔離(アパルトヘイト)は極めて有効に機能したのだ。

 インドの治安墻
 パキスタン軍の侵入を防ぐために、1989年インドはラジャスタン州の国境地帯に最初の治安墻を形成した。5年後その治安墻はカシミールまで1000km以上延長された。パキスタン政府は停戦協定と国連憲章に反するとインド政府を脅迫した。しかし、インド政府は決して屈さず、カシミールでのテロリスト数を半減させた。インドはヨルダン川西岸での治安墻建設に反対してしまい、「印パ間の治安墻は国際司法裁判所違反」という口実をパキスタンのイシャーク・ダール議員に与えてしまったが、それでもインドの治安墻の有効性は揺らがない。このアパルトヘイトも有効に機能した。

 サウジの治安墻
 ハマスを財政援助してやまないサウジもイエメンとの間に治安墻を築いている。両国の間には1934年タイーフ条約以来の領有権紛争があり、1500km以上の国境が未画定だ。領土問題は長らく棚上げされていたが、1990年国境地帯で石油が発見されると、サウジは軍都を築くために領有権を闡明にし、死者の出る軍事紛争を何度か引き起こし、2000年イエメンの管理下だったジャバル・ジャーファンを占拠した。6月のジッダ条約でも未画定領域が多く残った。
 2002年、イエメンから武器を密輸していたイスラム組織との交戦で36人のサウジ兵が死亡した。すると、サウジ政府は「これはイスラエルの隔離壁のパクりではないんだ」と言いながら、治安墻をイエメンとの国境地帯に築くことにした。国境警備隊のタラル・アンカウィ隊長いわく密輸を防ぐ「煙幕」が張られたのだ。サウジはイスラエルの治安墻を口実に国連制裁を訴えながら、イスラエルと同様の隔離壁を設けたのだ。サウジも国際司法裁判所(イスラエルには撤廃を求めた)も何と欺瞞的なことか。
 同趣旨のアパルトヘイト政策や人口交換は、トルコやキプロス、モロッコ、北アイルランドでも行われている。

 良き墻が良き隣人をつくる
 名前は異なるが、イスラエルの治安墻も英国のベルファスト和諧線も治安を提供するという目標を共有している。
 国際司法裁判所がイスラエルの治安墻を違法と判決した時に唯一反対した米国人トーマス・ブーエルジェンタール判事はこう批判した。「翠境(グリーン・ライン)を越えて行われるイスラエルへの襲撃行為の性質が十分考慮されていない」。国連安保理決議1368号と1373号では、非国家主体によるテロとの闘争権が謳われているのに、判決はイスラエルの「正当防衛権」を否定したのだ。
 治安墻の御蔭で2004年のカミカゼ件数は前年の4分の1になった。治安墻のある他国も同趣旨の結論を出している。なのに国連や国際司法裁判所はイスラエルのものだけを非難し、中東内の他の治安墻はスルーする。正に二重基準だ。
 イスラエルの治安墻を糾弾したトルコは、シリアとの治安墻を肯定する口実を無くし、パキスタンは判決を根拠にインドの治安墻を攻撃する。治安墻によるテロ封絶が和平交渉の糸口となった例もある。国際司法裁判所こそが世界平和と治安を毀損したのだ。

 3、非西洋移民による米国欧州人の衰滅
 1980年代の米国はまだ基督欧州人の強盛国家だったが、その後大量移民と多文化主義、文化相対主義の前に急速な国家解体が進んでいる。
 この過程は欧州と殆ど同じだが、まだ記していなかった要素を挙げてみたい。

 民主・共和両党が合作で基督欧州人国家の終焉を決めた日
 かつて、国家の祝日はキリスト的で欧州的なものばかりだった。しかし今日、クリスマスだけでなくラマダンまでもが祝日になろうとしている。米国が突如としてキリスト教を国教としなくなったからだ。そこに民心は一切存在しない。

 次へ