気まま夫婦ドライブ旅

山とドライブ好きな夫と、
無免許インドアな妻「私」の写真旅日記。
房総半島中心です。

温室の花 ストレリチア

2011年03月31日 | 季節の花


ゴクラクチョウカともいいます。極楽鳥花。

これらの花が咲いている場所は、地震で当分は閉館。

それどころか周辺に入ることもできません。

東京湾沿いなので浜もどうなっていることか。池の水はなくなってたらしいです。

液状化で泥が積み上がり、かわくと砂ぼこりがすごいです。

渡り鳥たちももう旅立ったでしょう。

街の方は落ち着いてきましたが…。

地震前日に撮った東京ゲートブリッジ

2011年03月25日 | 東京湾岸


今から思えば地震の起こった前の日であったのです。

新木場の貯木場付近から見た接続完了したてのゲ-トブリッジ。




真ん中の部分はあとからクレーン船ではめこんだそうです。



はしけをひっぱる船。



防波堤から見た風景。



これが歩道へと通じるエレベーターらしい。ベイブリッジなんか展望台閉鎖してしまいましたけどね。



真冬のような寒さで体調がかなり悪くなりました。気が遠くなりながら撮っていました。



無気味なほど冷たい空気と、たれこめる雲は雪雲のよう。



こんなのがあります。この丸太は空から見るとカニの形をしているそうです。地図検索の航空写真で見てみてください。



ちゃんと防寒対策していれば良かったのですが、3月でこんなに寒いでしょうか。

お腹が痛くなり、低体温症みたいに体の震えが止まらなく、つくづく年齢を自覚。

他の人が薄着に見えても、自分は厚着して出かけるようにします。反省。

夫は平気なんですよね~。年とは関係ないか。私は手術しているからか…。

この所寒くてしょうがないです。

しかし地震でこの橋、大丈夫だったのでしょうか。

早春の花 その9

2011年03月24日 | 季節の花







ちょっとストレスたまり過ぎました。テレビは見ないようにしています。

精神的にはやっと落ち着いてきましたが、体が疲れて。

3月でこんなに寒いとは。

更年期障害で冷えが体にこたえます。

駅も店も開店前のように照明をおとしていて変わらずの物不足。

レストランでもメニューが削減されていました。

電車も暖房が効いてなくて、いかに普段莫大な電力を使っていたかわかりました。

つきあいのない親戚で、大船渡に住んでいるかもしれない人がいて、消息はわかりません。


余談ですが、以前東電の人にブレーカーの故障をみてもらった時、

説教口調で勝手な判断をして、役人みたいですごく感じが悪かった。

年配の人でしたが、ブレーカーが火花をふいていたので再度呼びつけたら、

今度は若い人が来て腰が低く、やっと焦げた所を直してもらいました。

基本、電力会社は何様みたいなんですね。


原子力なんてあてにして。ばかじゃないの。そんなものに金出したくない。

今後は電気料金をただにするとかしてもらわないとね。

社長は何してるの?誤ればすむと思ったら大間違いですよね。

私の親戚、ほとんど福島県なんです。原子力は迷惑です。


忌野清志郎が原発反対の歌を出した時、発売を阻んだレコード会社。

その時の政治家か誰かが、原子力発電所を反対するやつは電気を使うな!と発言していたのは、

そんなに古いことではありません。

日本という国にはほとほと愛想をつかしています。

早春の花 その8   故郷のことなど

2011年03月17日 | 季節の花











地震以降、

もういいかげんテレビにうんざりです。

夫はテレビをつけないではいられないタイプなので、災害についても始終見せつけられ、

必要以上に神経が疲労しました。


原子力だって賛成派なんだったら、心配して見守ることもないじゃないですか。

そうなるってわかってて認めてるわけで。

ツイッターとかいうのもなぜはやるのか?

地震で電気がとまれば使えない。実際、携帯はまるで機能しなかった。

携帯やめたいです、無駄です。



私は原子力発電は反対。アメリカの空母が来るのも、米軍基地もお断り。助けに来てくれるならいいけど。

故郷近辺で戦闘機が飛んでてうるさかったし、自衛隊のヘリは毎日頭の上を飛んでてイライラしました。

右翼の街宣車も毎週来ていて、暴走族もね。あんな狭くてうるさくて坂を登らされる住みにくい街まっぴらです。

大きな病院は医療ミス、ヤク中問題ばかり起こしてて、私故郷にいる時はがん検診他けっして行きませんでした。

もう二度と戻ることはないんですけれど。

あんなとこでも住みたい街の上位に入るなんて。実際住んでみれば杜撰さがわかると思いますが…。

見栄っ張りが住む街ですね。恥ずかしくて出身地のことは忘れたいです。



私の両親は老年離婚してまして、母にはうちの近所に引っ越してもらいました。

あとは弟が病気なので心配です。世の中が落ち着いたら引越しさせようと思います。

私のまわりは老人と病人ばかり。ここの住宅地は高齢者だらけ。私も老後はどうなるのだろう。



地震で街がつぶれようと、今の生活が最高だと思っています。

故郷での地獄のような日々。それにくらべれば地震など…。人間の方が恐ろしい。

今生きて、将来災害が起きようが、この道に進むことは正しいのです。

私は千葉に来て良かったと感じています。

環境が良い都心へのアクセスも良い住みやすい街です。

夫に感謝しなくてはね。

石原都知事はひどい

2011年03月16日 | ひとりごと
大きな余震がありました。

天気は曇り、突風が吹いて乾いた砂が舞い上がっています。

停電はあるのかないのか、曖昧です。

この前買い物に行ったら、大手スーパーは入場制限していました。

その前日行った時は、いろいろな食品が売り切れていて、なぜそんなに買う必要があるのかわかりませんでした。

デマとか買占めとか、困ります。

何か勘違いしてる。

別な店は屋外で販売していて、良心的だなと思いました。

停電のことだけはっきりして欲しい。東京電力は役人体質。



石原都知事の発言は許せません。

あんな人をよくも長にすえていますね。東京の人。私は住んでた時票なんか入れませんでしたが。

作家だかなんだか知らないが、ばかなんじゃないですか。

早くやめさせないとだめですよ。

自分だけいい思いしてきたくせに。

あの人をこそ罰したいですよ。

スーパーは品不足でした

2011年03月14日 | ひとりごと
もう余震の震度3では平気になってきました。

さっき震度4がありましたが、これが大きな余震になるならまずは安心、できればいいな。


昨日地震後初めて出かけました。

近所の液状化現象はひどかったです。泥が山積み。

あちこちにひびが入ったタイルや、ごみ置場の流しまわりの損壊。


スーパーに行ったら予想どおり品物が何もない~。

入荷しないので無理もないと思いましたが、多少怒りも。

普段品切れなんてことない平和な生活に慣れきっていたからです。

そんな幸せな環境が当然のように暮らしてきた今まででした。



実家からの脱出の時、がん手術の時、大きく人生観が変わりました。

今もまた地震によって、何かが変わった気がします。

すべて捨てられると。


今日は停電があるかないかわからないし、電車が止まっているので、

渋滞するだろうから、車にも乗れません。

寝てるのが一番気楽かもしれないですね。

地震なのに記念撮影

2011年03月12日 | ひとりごと
住宅が揺れるあの恐ろしい音、もぎとれそうにきしむ。

地面から吹き出す泥、すべて終わるんだ、死ぬんだと思った。

でも生きている。

荷物なんか家なんかどうでもいい。この身が無事なら。

夫が帰ってきた時本当にほっとしました。

東北には親戚がたくさんいますが、今回は震源地から遠かったです。


うちの近くの車道がひび割れて、のんきに散歩する人が写真を撮っているのはいいのですが、

子どもと地割れを一緒に撮影して記念撮影のつもりなのでしょうか。

そういうの、やめて欲しい。

あまりにも不真面目だと思いました。


ここの住宅地の人たち、いざとなったら頼りにならない。

挨拶も確認もろくになく、大体誰も出てこないし。

今も地震で揺れています。

夫は仕事、ひとりで恐怖に耐えるしかないです。

千葉市の埋立地の地震時の状況

2011年03月12日 | ひとりごと
私はちょうど外にいて立っていられないほどで、集合住宅の建物全体が根元からぐらぐらしていて、

倒壊するのではと恐怖で座り込んで様子を見ていました。

階段の出入り口のタイルに亀裂が入っていました。あわてて家の中に帰ってみると、

うちは高層なので、家具の位置はすべてずれてしまい、本棚は倒れて本が落ち山積み。

台所のせとものガラス食器などが、割れて散乱していました。

水槽の水もふっとんで水浸し。

余震もものすごく何度もあり避難の準備だけはして、玄関に待機していました。

ベランダから下を見ると、水道管が破裂したのか?みるみるうちに道路に水があふれてきました。

灰色の泥もあふれ、液状化現象が始まりました。

道路にも亀裂がいたるところにあり、よそにでかけるのは危険と判断して、ひたすら電話が通じるのを待ちました。


しばらくすると、市原の五井の方向に巨大な火炎が吹き上がり、どんという衝撃がありました。

テレビで工場が爆発した映像が出ました。

固定電話での通話が出来て、夫から連絡、母とも話せました。

電気水道は大丈夫でしたが、ガスを使えるかはしばらくわかりませんでした。

夫も帰り道で道路が断裂しているのをたくさん見たそうです。

しかしそのへんを歩いている人たちは、普段と変わらない様子でいるし、

同じ階段の住人も声かけがほとんどない。何だか冷たいような、不安な気分でした。


報道とは違うかもですが、うちは震度5か6はあったと思っています。

低層の揺れとは全然違います。

ここは埋立地なので、地面が不安定です。今道路を見下ろすと、アスファルトがひびだらけになっているのがわかります。

昨日以上の震度であれば倒壊すると想像するのは杞憂ではありません。家を放棄せざるを得ないでしょう。


夜中までかかってかたづけ、今朝は洗濯が大変でした。

液状化の泥は誰がかたづけるのか…。買い物行くのも怖い感じがします。