いま、ベイシーが
エリントン・ナンバーを演奏した
「カウント・プレイズ・デューク」を
聴きながら・・・
エリントンナンバーが
ベイシーサウンドに
なるから凄いものです。
自分の年齢を自覚できないのか、
年に一度か二度、新刊が登場し
求めるコミックがあります。
古谷三敏「レモンハート」
石塚真一「BLUE GIANT」シリーズ
レモンハートはBSフジでドラマ化
されたので御存知の方がおられる
かもしれません。
これから語る「BLUE GIANT」の物語
の基盤を作ったような小説
五木寛之の「青年は荒野をめざす」
1960年代の五木初期の小説ですが
10年程前に新装版として出たものです。
JAZZと青春、このふたつを融合させた
スタイルを確立した小説でもあります。
帰って来たヨッパライに続くヒット曲
にもなりました。
現在は廃止されている
横浜から発つバイカル号に乗船し
ナホトカ航路で大陸に渡り
シベリア鉄道を露国周りで
欧州へ向う旅に出発した感じです。
山形の友人がシベリア鉄道から同じ
ような旅を70年代初期にしましたが、
あのとき誘われて行けなかったのが
今になって残念です。
その想い出の記録も其の後の歴史に
残る大火により焼失した経緯もあり
ます。
淀川長治氏など著名人から日本一だと
評価された映画館・グリーンハウス
にも行きました、
まさか其処が火元になるなんて・・・
70年代には既に名画座になっていました。
当時の青年は迷いながらも今の時代の
多くのように冷めても居ずに、
形が見えない探しものをしていたよう
にも思えます。
現代の若者の夢が正社員になることが
一項に入る、
当時には思いもよらないことですから、
良い時代であったと言えるでしょうか。
社員は会社が抱えるもの、バイト社員
など腰が軽く信用できない、
そういう真っ当な感覚が経営側にあった
時代で、金銭面で都合の良い人権無視な
今の経営では、
無かったのではないでしょうか。
カネ回りの良い成長期には夢が語れ、
低迷期に本性が表れるのは
人の世の哀しさでもありますが。
あの時代に戻ってみるのもいいかも
しれませんね。
第一章を終えて船がナホトカに
到着しました。
アランドロンの映画にリスボン特急
がありますが、紆余曲折の末に
ポルトガルのリスボンから
大西洋を渡りニューヨークに向う
船中で、ジュンが父親宛に手紙を
綴ります
1年にも満たない間にも、
日本での日常では
とても経験できないことを学んだ
と書いた彼は暗い大西洋を見る為に
船室を出て甲板に上がる。
これからNYでの更に
自分を成長させてくれる
予感を胸に400ページほどの物語が
終わります。
巻末には植草甚一氏の解説が引用
されています。
Jazzとはなんだ、
眉間に皺を寄せずに気楽に聴けば
いいとか軽く言う方が居るけれど
演奏者は簡単ではありません。
楽器を操るために感情を抑えて、
指のケガを恐れて喧嘩も出来ません。
歌心を持つのも天才で無い限り経験
により蓄積するしかありません。
音楽学校の成績が優秀でもイコール
魅力に繋がるものでもありません。
音楽理論に安定したJAZZが面白い
とは思えないのですが。
ハートが幾ら熱くても
演奏する力量が求められる。
遊んでいるように見えても、
その実は大変なことでしょう。
60年代の中期に書かれた、
この小説は若き五木ブームの
一翼を担い当時の私たち若者に
広く支持されました。
青春が躍動するような内容が他に
比べる作品が少なく飢えていた世代
にとって新鮮な小説でした。
実際には石原慎太郎の
「ファンキー・ジャンプ」は、
なんと昭和30年代末期に書かれていて、
ファンキージャズなる形容は日本発で
最初だとか。
中間派なる表現は大橋巨泉さんらしい
ですね。
ノーマン・メイラーが輝かしかった
時代に、今は権威的になってしまって
面白くない大江健三郎も同時期に書いた
「われらの時代」なる傑作もあります。
イメージした作品は
幾つかあるだろうけど、
実際には理解の無い著者のJazz感で
書かれる内容は
植草氏が書いているように
スウィングしないんですね。
若いこれからの世代のジュンが、
どのように成長して行くのか、
その躍動感があるだけに物語りは
スウィングします。
終章にもあるように老いた
プロフェッサーでさえ
此れから起こる何かの予感に
胸が高鳴るようにも感ます。
老いた身の上独りでは無理な事も、
信じられる仲間が居ると思える事で
其の可能性に懸けられる。
これからと続くところで終わる物語は
老いた自分をも勇気づけてくれる。
懐かしい想いに浸れる再読でした。
五木さんが東宝社長の藤本氏に
誘われて東京の「みその」でステーキ
を食べながら会食した中には渡辺プロ
の社長、晋氏が居られて、
金沢の白雲楼が米軍に接収された際に
演奏に行ったと話を聞き、
当時のジャズ創成期の流れを
多く伺ったとか。
この物語の根底を這うパッションは
住宅ローンなどに追われ、
長く眠りに就き21世紀の不安定な現代に
石塚真一氏により
「BLUE GIANT」で甦ったのではないかな。
我々と違い管理社会の中で
夢を探そうとする若者には大層に厳しい
時代でしょう。
今年になり此の騒動で何もかも壊れた
のも若者への夢が持てるチャンスである
とも考えられます。
老いた我々が若者たちの夢見る思いを
削ぐことのないように見守るべきで
しょうね。
それなのに我先にと給付金の受け取り、
そんな仕草に恥ずかしさを知るべきだと
感じるのですが・・・
内容が無いにも関わらず長くなりました、
御容赦ください。