【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 06月30日(日曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-30 05:10:10 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ グランドキャニオンでユナイテッド航空とトランスワールド航空の決闘が行われ、双方合わせて128人の血が流される(1956年)。 ◆ イギリスのバンドが日本武道館で公演、ハプニングゲストとしてコメディグループも登場(1966年)。 ◆ 上野動物園の名物だったおサル電車がこの日を持って廃線に(1974年)。おぉお、本日はハーフタイムデー。誰が決めたか・・・ 一年も残す所あと半分となる日であつた。

◎ ◎ 赤い口紅の多彩な5500年の歴史、富や魔女の証から抵抗の印へ =後節= ◎ ◎

- - -メソポタミアの女王からテイラー・スウィフトまで、人々に力を与え続ける「赤」 - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉 ・・・・2024.05.12 / 文=Faye Keegan/訳=米井香織・・・・

 アーデンは女性海兵隊員の軍服の真っ赤な縁取りに合う口紅をつくり、工場の更衣室には労働者の士気を高めるための口紅が置かれた。アドルフ・ヒトラーはそれを嫌っていたようだ。

  大胆な赤い口紅は、第2次世界大戦後も定番アイテムであり続けた。オードリー・ヘップバーン、マリリン・モンローといったハリウッドスターがファッションの定番にしたためだ。その遺産は今、真っ赤な口紅を愛用するテイラー・スウィフトのようなセレブリティーに受け継がれている。

  しかし、時代を超えたその魅力は人々に力を与え続けており、赤い口紅は抵抗と強さの象徴としての地位を確固たるものにしている。ニカラグアでは2018年、「#SoyPicoRojo(私は赤い唇)」キャンペーンが行われ、独裁政権に抗議するため、女性も男性も赤い口紅を塗った。チリでは2019年、何千人もの女性が赤い口紅を塗って性的暴力に反対し、大胆な赤い口紅は決して流行遅れにならないことを証明した。

◎ ◎  ピンクはなぜ論争の火種になりやすいのか、『バービー』でも注目 =前節= ◎ ◎

- - - 古代の化粧から植民地主義、「バービーコア」まで、ピンクの文化史をひもとく- - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉 2024.05.12 / 文=ERIN BLAKEMORE/訳=北村京子

  生物由来の色素としては最古とされる太古のバクテリアからエビを食べるフラミンゴまで、自然界はその長い歴史において、ありとあらゆるピンク色に彩られてきた。一方で、この色には多くの文化的背景が存在する。自然界から人間の装飾へと場を移すにつれ、ピンク色は植民地主義、美、権力、ジェンダーなどの意味合いをまとうようになった。

  ピンクは、なぜこれほどまでに文化的な論争の火種になりやすいのだろうか。ピンクをテーマカラーに据えた映画『バービー』にちなみ、この魅力的な色の歴史をひも解いてみよう。  

古代世界のピンク

  自然界のピンクに憧れを抱いた初期人類は、すぐにそれを身にまとうようになった。たとえば約9000年前のアンデス山地では、現在のペルーに住んでいた獰猛な狩猟民族が、ピンク色を帯びた革を使って仕立てられた服を着ていた。彼らが使ったのは、人類が使用した最古の天然顔料のひとつである酸化鉄顔料のレッド・オーカーだ。(参考記事:「9000年前に女性ハンター、「男は狩り、女は採集」覆す発見」) https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/110600646/

  この顔料は、洞窟の壁に塗りつけられたり、革をなめすときに使われたりするだけに留まらなかった。はるか昔の古代エジプトでは、人々は唇や頬を彩るためにオーカーを使っていた。

  人間の皮膚に用いると、この赤い色素は頬が上気したようなピンク色になり、見る者たちに愛、性、美を連想させた。同様の素材は、砕いたイチゴから赤いアマランサスまで、世界各地でさまざまなものが広く使われた。

 化粧品と植民地主義

  語源は不明だが、18世紀にはこの色を表すのに「ピンク」という言葉が使われていた。  その時代まで、ピンクは植民地主義と密接に結びついていた。化粧品向けの色素への需要が高まり、ヨーロッパ人が世界のほかの地域でさかんに資源を採取するようになったためだ。

  たとえば、ブラジルボクの樹皮と赤い樹液からピンク色を帯びた染料を得るために、ヨーロッパの商人たちは、国名の由来となったこの木を、奴隷労働者を使って大量に伐採した。そのせいで森は切り払われ、ブラジルボクは絶滅寸前にまで追い込まれた。

 この大航海時代、頬や唇をピンク色に染めるために用いられた色素はこれだけではなく、たとえばカルミンもそのひとつだった。この染料は、中南米において同様の条件下で集められた昆虫コチニールカイガラムシを原料としていた。

  一方、ピンクという色は、より直接的な意味でも植民地主義と結びついていた。大英帝国が極めて強大になったこの時代、世界各地に広がる領土を示すために地図製作者たちが用いたピンク色は、世界地図の大部分を占めるようになっていた。

 ピンクとファッション  赤い色がより安価で手に入りやすくなるにつれ、18世紀ヨーロッパの貴族たちはピンクをほしいままにあしらうようになった。美術史家のミシェル・パストゥロー氏は書いている。「ヨーロッパ社会の最上層に位置する特権階級は、パステルカラーや中間色、登場したばかりの革新的な色合いを求めた。それは、今や鮮やかで強烈で、はっきりとした色を手に入れられるようになった中流層との差別化を図るためであった」

  1740年代から50年代にかけてフランス王ルイ15世の愛妾だったポンパドゥール夫人は、自分を象徴するシグネチャーカラーとしてピンクを使っていた。夫人の姿を描いた画家や、夫人の数多くの邸宅で使われる品々を制作した作家たちは、彼女が使う馬車に至るまで、すべてのデザインにピンクを使用し、夫人の影響力によって、この色はヨーロッパ各地でさらに大きな人気を博すようになった。

  19世紀半ばに合成染料が登場し、モーブピンクと呼ばれる紫がかったピンク色が生まれると、ピンクはかつてないほど人々にとって身近なものとなった。

  1930年代には、鮮やかなピンクがファッション界を席巻した。前衛的なファッションデザイナー、エルザ・スキャパレリは「ショッキングピンク」を自身のシグネチャーカラーとし、婦人服におけるピンクの流行を後押しした。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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