【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

タタールが夢見た大洋_10_ 

2015-08-28 16:44:02 | 史蹟彷徨・紀行随筆

○◎ 更なる西へ、バルト海へ、アドリア海へ ◎○

キプチャク・ハン国/バトゥの出現、その二

 バトゥ (Batu, 1207年-1256年) は、ジョチ家の2代目(ハン:在位1225年- 1256年)で、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の実質的な創設者。 チンギス・カンの長男ジョチの次男である。 後年、モンゴル人からは「サイン・ハン(偉大なる賢君)」とよばれる優れたリーダーである。 バトゥの異母兄オルダは病弱がちだったため、次男で母の家柄もよかったバトゥが当主となった。 オルダの母もバトゥの母も同じコンギラト氏族の出自であったが、おそらくバトゥの家督継承には彼の母がコンギラト部族の宗主アルチ・ノヤンの娘であったことも大きく関係している。

バトゥには4人の息子たちがいた。 サルタク、トクカン、エブゲンン、ウラクチの4後嗣。 後年のことだが、長子サルタクは父・バトゥが死去したとき モンケ(チンギス・ハーンの末子・トルイの長男)の宮廷にいたため、モンケは彼にジュチ家の家督を認証したが、ジュチ・ウルスへ帰投する途中で病没した。 かわりに4男で幼少の末子のウラクチに家督を継がせるよう勅が下った。 しかし ウラクチも程なく夭折し、実質的にキプチャク・ハン国を統括していたバトゥの次弟ベルケへの家督継承が勅によって認証された。

以後のバトゥの血筋は次男トクカンと3男エブケンンに引継がれ、ベルケの死後にトクカンの次男モンケ・テルムがジュチ・ウルスを相続することとなっていく。 また、バトゥには 一人のハトゥンン(皇后妃)と妻妾がいた。 バトゥの正妃筆頭であったアルチ・タタル部族のボラクチン・ハトゥンがただ一人の皇后妃だが、他にオイラト部族の首長トレルチの娘であったベギ・ハトゥンがいたことが分かっているが、チンギス・ハーンの家としてその清楚ぶりは特異です。

○◎ バトゥの西方遠征 ◎○

1236年春2月、バトゥはモンゴル帝国第2代皇帝オゴデイの命を受けてヨーロッパ遠征軍の総司令官となった。 モンゴルの国事最高決議会議であるクリルタイは、四狗の一人であるスブタイやチンギスの4男トルイの長男であるモンケ、そしてオゴデイの長男であるグユクらを副司令として出征を命じた。 皇帝・オゴデイは出征の檄絵耶律大石統帥を発している。 『元朝秘史』によれば、各王家の長子クラスの皇子たち、また領民を持っていない皇子たち、さらに

≪ 万(戸)の、千(戸)の、百(戸)の、十(戸)のノヤンたち、多くの人は誰であっても、

己が子の兄たる者(長子)を出征させよ。王女たち、(その)婿どのたちは同じようにして

己が子の兄たる者(長子)を出征させよ ≫ 

と公示したと記す。 従って、帝国全土の王侯・部衆の長子たち、すなわち次世代のモンゴル帝国の中核を担う嗣子たちが出征するという甚だ大規模なものだった。

バトゥは遠征軍に参軍する皇子たちを統括し、グユクはそのもとで皇帝オゴデイの本営軍から選抜された部隊を統括するよう勅命によって定められていた。 加えて『集史』によれば、チンギス・ハンの功臣筆頭のボオルチュの世嗣ボロルタイがこのバトゥの本営・中軍の宿将としてこれを率いていたとある。

この遠征では前述のとおり各王家の当主クラスの皇子たちが出征したのである。すなわち、

  • ジョチ家からは総司令バトゥを筆頭に、その異母兄オルダと異母弟ベルケシバンタングト
  • チャガタイ家からはチャガタイの長子モエトゥケンの次男ブリ、その叔父にあたるチャガタイの6男ばバイダル
  • オゴデイ家からは長子グユク、その末弟カダアン・オグル
  • トゥルイ家からは長子モンケと7男ボチェク
  • そしてチンギス・ハンとその次席皇后クラン・フジンとの子であるコルゲン

などである。 この時バトゥが率いた兵力は、4個千戸隊(約1万人)だったと推定される。 遠征軍の征服目標はジョチ家の所領西方の諸族、アスブルガルキプチャクの諸勢力、ルーシ、ポーランド・ハンガリー方面であり、「ケラル」と称されるおそらくさらに西方のドイツ、フランス方面までも含まれていたと思われる。 なお、十字軍としてエルサレムに派遣されたフランスやドイツ、イギリスの騎士もバトゥの通訳として従軍していた。 彼らは十字軍の脱落者なのだろうが、未知の世界に遠征するモンゴル族の道先案内人として先導していく。 

 因みに、“四駿四狗”/チンギス・カンの優秀な以下の8人の最側近。 モンゴル帝国において、以降も何かと関わってくる。

4頭の駿馬;ムカリボオルチュチラウンボロクル

4匹の狗; ジェベジェルメスブタイクビライ (バルラス部)

 

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