【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《植村直己》 =018=

2017-09-08 06:19:23 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい 

◇◆ 冒険家の食欲 =5/6= ◇◆

食料は現地調達だった。 ブラジルに入ると、主食がバナナにかわってマンジョーカになった。 日本ではタロイモといわれているもので、これが粉にしてある。 現地の人びとはその粉をそのままボソボソと食べる。 植村にとってはなんだか頼りない。 それでイカダの上から釣糸をたらして、魚を釣って食べた。

《いちばん多く釣れたのは、例の、あのピラニアです。 簡単な干物をつくったんです。 釣ったらすぐに腹を割いてわたを出し、塩をぶっかけて、半日もイカダの上に置いておくと、すぐに干物になります。 それを焼いて食べました。 ほかに水煮にしても食べましたが。 イカダの上、後ろのほうに木で枠をつくり、土を盛って炉をつくったんです。 その炉の中で、流木なんかを燃やして、煮炊きをしました。 ピラニアの半日干しなんか、そうして焼くとけっこううまかったです。》(『山で一泊』)

 なんだか子どもの冒険ごっこみたいなおもむきがある。 もちろん植村の場合はイカダ下りという行動がどうすれば可能か、十分に計算されてはいるけれど、やっていることじたいは、いかにも子どもが喜びそうなことだ。 冒険の真髄というのは、あんがい子どもじみた心と体の動きにあるのかもしれない。 魚(しかも、あの肉食の猛魚ピラニア!)を釣って、命のかてとする。 そのことじたいは子どもっぽく見えるけれど、人類が大昔からやってきたことを、植村はそっくりやってみせているともいえる。

キビヤックという、エスキモーの特別な御馳走がある。 エスキモーの誰もが大好き、という貴重な食べ物である。 この章の初めのほうで触れたが、もう一度くわしく書いておこう。

 グリーンランド北部地方では、春になるとアパリアスという渡り鳥が群れをなしてやってくる。 水鳥で足には水かきがついているがハトより小さい。全体に黒っぽくて腹は白。

 岩の上にとまっているのをショット・ガンで撃つと、10羽ぐらいいっぺんに獲れるが、地元の人びとはショット・ガンなんか使わない。 魚をとるときのタモ網を長さ4メートルほどの長い柄につけて、アパリアスの飛んできたなかに差し出す。 ものすごい数の密集した群れだから、鳥はやすやすと網に飛びこんでくる。 1、2時間で2、300羽は軽くとれる。 羽の脇の下をグッと締めて心臓を止める。

 石油コンロで火を起こして海水をわかし、獲ったアパリアス(ヒメウミスズメ)をそのまま放りこんで水炊きにする。 ゆで上がったら毛をむしって肉を食べる。 それもけっこううまい。

 しかし、キビヤックづくりは、同じアパリアスの別の食べ方だ。

《あらかじめ獲っておいたアザラシの腹から内臓と肉全部を抜きだします。 皮と皮下脂肪だけがついた袋状のアザラシのヌイグルミをこしらえる、というわけです。 (中略) そうしたらその袋の中に、獲ったアパリアスをそのまんまどんどんぶち込んでいく。 満杯になったら、腹の部分、袋の入口にあたるわけですけど、そこを糸で縫って閉じてしまう。 完全に密閉します。 いわばアパリアスのアザラシ生皮袋詰めを、今度はどこでもいいんです。 アパリアスを獲った海岸でもいいから、キツネに盗られないように、周りに石ころや岩を積み上げて、そのまんまほったらかしておきます。》(『冒険学校』)

 1年寝かせておき、特別な日にとり出して食べる。 羽をむしり、肛門から溶けた内臓をチューチュー吸い、おもむろに肉を噛む。 植村は最初は薄気味悪く、尻込みしたが、すぐに大好物になった。 「エスキモーの食生活の中では最高」のものといい、「どうしてうまいかというと、だんだん腐りかけてくると、アザラシの皮下脂肪がアパリアスの体のなかに徐々に溶けこんでいくからだと思います。 それで独特の臭いと味がつくんですね。」

 この話をするとき、植村はほんとに唾を呑みこんで、食べたいという表情になったのが忘れられない。

=補講・資料=

不可能への挑戦 登山家メスナー(追考 2/3)

 赤色の信号弾(単独登攀)を飛ばした翌早朝、ラインホルトは暗闇のなか登攀を開始した。装備はピッケルとアイゼンだけだ。ギュンターとバウアは、下山時の足がかりにするため、ロープを固定する作業に取りかかる。それまでの登山では、ギュンターはかならず最後までラインホルトと行動をともにしていたが、今度はちがう。いつもリーダー役を務め、自分のやりたいようにやってきた兄が、栄光に輝く頂上をめざしているのに、自分は下に残り、凍りついたロープと格闘している――。

 そのとき、ギュンターの心のなかで何かがはじけた。彼はロープを投げすて、急ぎ足で兄を追いかける。それから4時間で、ギュンターはメルクル氷原を高さにして600メートルも登っていた。「ギュンターは私に追いつくために、限界ぎりぎりまでがんばった」とラインホルトは述懐する。

 ギュンターの驚異的ながんばりは、すぐに報われた。その日の午後5時、兄弟は山頂で固く手を握りあった。それから1時間というずいぶん長い滞在の後、二人は下山を始める。だが体力を消耗し、動きが鈍くなっていたギュンターには、登りと同じルートは難しすぎた。

 危険を察知したラインホルトは、より短時間で下山できるルートを探しながら、尾根の西側に回りこむ。そこで日が暮れ、兄弟は身体を寄せあって最悪の夜を迎えた。気温はマイナス40℃まで下がった。兄弟を寒さから守ってくれるものは、1枚の薄っぺらな緊急用ブランケットだけだった。標高8000メートルを超える「死の領域(デス・ゾーン)」で、食糧も水もないまま何時間も耐えるうちに、ギュンターは幻覚を起こし、ありもしない毛布を手でまさぐった。

 ラインホルトは語る。「きわめて危険な状況だった。これほどの高度になると、血液に充分な酸素が行きわたらなくなって、体温が上がらない。そんなとき、人間は血液を循環させるため、本能的に眠るまいと必死になるんだ。私たちも『つまさきを動かせ、眠っちゃだめだ』とおたがいを励ましつづけた。ここで眠ってしまったら、その先に待っているのは死だけだ」 ・・・・・つづく

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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