【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 06月29日(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-29 05:10:00 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 松尾芭蕉の一行が中尊寺を訪れるも、お目当ての金色堂と経堂は責任者が留守だったので見学できず。松尾バションボリ・・・・・(1689年)。◆ ビートルズが日本にやって来た。ヤァ!ヤァ!ヤァ!(1966年)。 ◆ ビートルズが日本にやって来た。ヤァ!ヤァ!ヤァ!(1966年)。 ◆ 総理大臣指名選挙で、自由民主党を裏切った水玉ネクタイの元総理が再チャレンジするものの、古巣が推した眉毛の爺さんに敗北(1995年)。&so、ソウル・三豊百貨店がほぼ全壊し、512人が死亡した厄日でもある。

◎ ◎ 赤い口紅の多彩な5500年の歴史、富や魔女の証から抵抗の印へ =前節= ◎ ◎

- - -メソポタミアの女王からテイラー・スウィフトまで、人々に力を与え続ける「赤」 - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉 ・・・・2024.05.12 / 文=Faye Keegan/訳=米井香織・・・・

?・・・・・・Wikipedia・・・・・・

口紅(くlipstick)は、人がメイクアップをする際、唇を彩るために使われる化粧品の一種。多くはスティック状である。 ○◎ 約7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、紀元前3000年頃のエジプト人が使用したと思われる口紅が発見され、紀元前1200年頃のエジプト人で、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている。

 「ドラゴン・ガール」「チェリーズ・イン・ザ・スノー」といった想像力をかきたてる名前を持ち、クレオパトラやテイラー・スウィフトも愛用する赤い口紅は、時代を超越した美と力の象徴だ。イランで発見された4000年前の小瓶に、現代の口紅のレシピに似た植物性ワックスと粉末鉱物の混合物が残されていたことは、口紅の長い歴史を裏付けている。

  赤い口紅は今も、自信と魅力の象徴であり続けているが、その意味合いは流動的で多様だ。ある人にとっては、それは古典的な女性らしさと洗練を意味する。また、ある人にとっては、それは大胆な自己主張であり、反抗的な態度でもある。その魅力は赤い色だけではなく、そこから生まれる無数の解釈や感情にもある。  

  赤い口紅の起源

 赤い口紅の歴史は紀元前3500年ごろにさかのぼる。古代メソポタミアの女王プアビは権力の象徴として、鉛白と砕いた赤い石を混ぜ合わせて唇に塗っていた。ここから流行が始まった。考古学的発掘調査により、多くの裕福なシュメール人が貝殻に詰められた口紅とともに埋葬されていたことが明らかになっている。(参考記事:「メソポタミアへの見方を変えたウルの王墓、その財宝と残酷な儀式」 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/033100148/

  また、古代エジプトの貴族たちは赤土に樹脂を混ぜ、大胆な赤い唇を演出していた。女王クレオパトラはコチニールカイガラムシから抽出される深紅の色素カーマインを好んだ。

  古代ギリシャでは、赤い唇はセックスワーカーと関連づけられていた。「Reading our Lips: The   また、古代エジプトの貴族たちは赤土に樹脂を混ぜ、大胆な赤い唇を演出していた。女王クレオパトラはコチニールカイガラムシから抽出される深紅の色素カーマインを好んだ。

  古代ギリシャでは、赤い唇はセックスワーカーと関連づけられていた。「Reading our Lips: The History of Lipstick Regulation in Western Seats of Power(唇を読む:西洋の権力による口紅規制の歴史)」という論文の著者であるサラ・E・シェーファー氏によれば、売春婦はクワの実、海藻、ヒツジの汗、ワニの排せつ物など、さまざまな原料でつくられた指定の口紅を塗らずに公共の場にいたら、「淑女になりすました」罪で罰せられる可能性があった。

  ローマ帝国時代には、口紅は再び一般的なものになり、色が鮮やかなほど高い地位を示すようになった。しかし、シェーファー氏が書いているように、水銀を含むバーミリオンのような高価な原材料は「命に関わる毒物であり、赤ワインの沈殿物で唇を染めることしかできなかった貧しい人々は、結局のところ、幸運だったのかもしれない」

   王族から魔女まで  中世、「十字軍が中東で広まっていた化粧を西欧に再導入したとき、口紅は少し危険な魅力を帯びた」とシェーファー氏は書いている。化粧はキリスト教にとって、謙虚さと神が創造した自然な美しさを重んじる宗教的な教えに反するものだった。

  イングランドでは、赤い口紅には悪霊を追い払う力があると考えられていた。女王エリザベス1世はこれを信じ、コチニール、アラビアゴム、卵白、イチジクの樹液から特別につくられた深紅の口紅を塗っていたことで有名だ。ここから流行に火がつき、エリザベス1世の在位中(1558〜1603年)、赤い口紅の人気が急上昇した。(参考記事:「英国の黄金時代を築いた女王エリザベス1世の生涯」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/22/060600043/

  しかし、後継者であるジェームズ1世(在位1603〜1625年)の時代になると、魔術への恐怖が広がり、化粧としての口紅に暗い影を落とした。1770年までに、男性を結婚へと誘い込む手段として化粧を使っていると見なされた女性は、魔女として裁かれる可能性があるという法律が制定された。(参考記事:「魔女狩りの恐ろしい歴史、不当な嫌疑で殺された女性たち」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/051200215/

 抵抗の色 20世紀初頭の女性参政権運動で、赤い口紅は新たな意味合いを持つようになった。女性の権利を求める闘いの象徴だ。

  化粧品ブランドを立ち上げたエリザベス・アーデンは1912年、女性参政権運動のメンバーに口紅を配った際、エリザベス・キャディ・スタントン、シャーロット・パーキンズ・ギルマン、エメリン・パンクハーストといった女性たちに、勇気の印として赤い口紅を塗るよう呼び掛けた。(参考記事:「米国女性参政権100年 心の声が届くまで」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/072200441/

  その後の数十年、赤い口紅の人気はますます高まっていった。ファッション誌「ヴォーグ」は1933年、「もし20世紀のジェスチャーを後世に残すとしたら、口紅を塗ることがその筆頭だ」と断言している。

  第2次世界大戦までに、赤い口紅は抵抗の象徴から愛国的な女性、不屈の精神の象徴へと変化し、「ファイティング・レッド!」や「ビクトリー・レッド!」といった色が人気を集めた。赤い口紅は「戦争の遂行に不可欠な要素」だったとシェーファー氏は書いている。

 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・  

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