燕京の北域を取り巻く万里の長城の長城大境門。 ここを制したものは北方から北京(燕京)を攻める場合にも、北京を守る場合にも有利になるという。 この門の南側に張家口城がある。 山間の盆地にある。 盆地の南には洋河が流れ、対岸の山並は華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)に広がる太行山脈の北端である。 万里の長城が北の遊牧社会と南の農耕社会を分けている。 長城大境門が人々の往来を阻止していた。
長城大境門からやや西によった山間の渓谷である塩白川が長城に設けられた暗渠で北から南に流れ、張家口城の西部で洋河と合流する。 その塩白川が潜り抜ける万里の長城の暗渠は水量が少なければ騎馬にて渡渉できた。 だが、両岸は切り立つ岸壁が続く渓谷である。 川床を往来するには長城からやや離れた支流を使って塩白川の河原に降り立ち、河床を伝って長城暗渠を潜り抜けた後に、渓谷が開ける傾斜が緩やかになった地点で川筋から離れれば長城大境門を通行しなくても往来ができる。 ただ、未熟な騎馬術では また、馬がなければ利用できない道であった。
耶律時は塩白川に合流する支流の上流、万全鎮南側の山間に先遣隊の基地を設けた。 その場所は、ウランチャブと燕京との中間点であった。 ウランチャブから燕京に至る街道が万里の長城にやや並行し、長城大境門まで小一時間の地点から南の山稜に分け入り 低い山稜を越えれば小川の川原に出る。 この小川が塩白川の支流であった。 明るい川原であり、街道に出るのに小一時間、また 長城の暗渠を利用して同程度の時間で張家口城に着ける場所であった。 昨日、この地を見出し 先遣隊の全員が仮営の一夜を明かした。
今朝早く、基地の造営に当たる一班を残して、五人一組の四班が燕京方面、大同、居庸関、開平衛の各方面に赴いた。 偵察活動を助ける間者を要地に伏せる任務である。 燕雲十六州地区内には、遼時代から大石統帥を敬愛し続ける各地の郷士や邑長がいた。 彼らを再び偵察組織の情報網に組み込むのが今回の一義的行動であった。 今回の成果が先遣隊の今後の活動を左右する。 二十五名が情報を収集しなければ成らない範囲は広大であった。
耶律時も早朝に万全鎮基地を離れ、ウランチャブに引き返していた。 ウランチチカに会いに出向いたのである。 ウランチャブは苞力強の姉である。 三年前の事であるが、苞力強の父親が金の手先となって蒙古族に横槍を入れだしたタタル族の一派に談判に出向いて騙まし討ちにされた上に、タタル族は金軍を伴って、苞力強の集落を襲った事件があった。 18歳の彼は、単独で蒙古高原からゴビ砂漠に逃れ、飲まず食わずでアルレンホト(二連浩徳)に至り、 なお 二昼夜をゴビ砂漠の縦断に費やしてウランチャブの姉の家に辿り着いた。 義兄は郷士であり、義憤に震える弟を燕京の耶律大石統帥の下に送り出し、敵討ちの援助を嘆願した経緯があった。 ウランチャブに情報収集の中核を置けば、万里の長城以北の金軍の動向を見透かす事ができる。 時には先遣隊の基盤を二三日中に出来上がであろうと、先を急いだ。 陰山山脈が明瞭な陰影を山腹に刻んでいる。
耶律時率いる先遣隊が偵察網を作り上げる活動に入った夜。 五原宮庭内の草庵に耶律大石統帥を取り巻いて話し合いが行われていた。 ウイグルの音楽が演じられている。
「康阮は 第一番に行動を起こしてもらおう、オルドスの地を南東方向に抜け、万里の長城の南に沿って西夏国は興慶(現在の銀川)に向かえ。 康這はオルドスを南西に走り、兄と合流する。 かの地 オルドスの地は村落があり、兵糧はさして必要なかろう。 康阮は五十名の兵を引率し、康這は四十数名にて共に西夏国に入るがいい」 と淀みなく話を進めた大石は、視線を円座後方に座る何蕎に視線を移し、 「欽宇阮は この地を残る勇者五十有余名とここを離れ、黄河が大きく蛇行し、東に向きを変える地点まで進み、 汝が二十名を引率して西夏に入る。 西夏の都にて康阮と康這兄弟隊を迎える。 屈曲点から黄河に沿って南下すれば興慶はすぐじゃ、百余名の兵士が身を隠せる場所を西夏国内に工作することが任務として励まねばならぬが・・・ また、黄河屈曲地点に残る兵の将を定め この砦と停泊地を夜陰に紛れて往復し、北に運べる可能な兵糧を先行して運搬する任務を与えよ。 最後にここを離れる我らは兵糧運搬隊に合流する。 黄河から陰山の西端を迂回する道は、蒙古に向かう隊商が行き来する道 危険はなかろう 」
「して、 我ら兄弟と宇阮は 何時頃、我らが城の可敦城に凱旋入城すればよろしいのでしょうか・・・・・」 「草原の草が目を噴く頃になろう・・・・・西夏での潜伏、苦労を掛けると思うが・・・」
「苦労は どの隊とて同じこと かまいませぬ 」
「最後に、石隻也 汝は相互の連絡役じゃ、西夏に潜伏する康阮、康這、苞力強との、また 陰山にて金軍を錯乱する力強や時との連絡は天狗殿にお願いしようか、 欽宇阮 なにか 付け加えることがあろうか・・・・」
「いや、ありませんが・・・・我らが北の城に運ぶ兵糧を運送隊が二度・三度と運び入れることになりましょう、 その間 チムギ殿と天狗殿は西夏の中興府に居られてはいかがでしょうか 」
「いや、宇阮殿 それは叶いません。 耶律楚詞王子は 西夏王が受け入れてくれるのは間違いなしと思われますが チムギ殿が西夏に戻れば縁者の者たちが再び旅に出ることをゆるさないと思われます 」 と唐突に何蕎が話を出した。 そして 話を続ける、 「統師殿、 僭越ではございますが、身どもが欽宇阮殿と共に興慶に使いさせていただきたい、主 ウルフ様に、統師殿の勇者を匿う手段をお願いしとうございます。 また、草原の城で活躍される方々の兵糧などは 私が差配できましょう、 欽宇阮殿は、さしあたり必要なだけの資材を手配され、ウルフ様の配下の交易商に運ばせば 事は容易だと考えますが・・・・・・」
「蕎殿、今宵も一献 差し上げねばならぬなぁ ありがたいお申し出でござる 」 と言い放った宇阮は すかさず、大石の目を覗っている。 「何蕎殿、先夜と言い 今の話と言い お礼申そう、未だお会いせぬセデキ・ウルフ殿には文いたす故、欽宇阮と共に興慶に向かっていただきたい 」 耶律大石の愁眉は開かれたようであった。
再び 畢厳劉と何亨理が楽を奏で始めた。 静かな歌声が曹舜の口から流れ出している。 耶律楚詞がその場の空気を掻き乱さぬようすで庭に出た。 外は寒く 薄明りである。 庭の片隅に立ち、やや 両脚を広げ、腰を落として 寒気を胸いっぱいに吸い、ゆっくりと吐き出している。 チムギは楚詞の不在に気付き、大石に目礼をして 外に出た。 寒気が一気に彼女を被う、彼女は裏庭で 拳法の型を行っている楚詞の姿を薄明りの中で見た。 楚詞の動きは鳳凰が舞踊しているのではないかと思わせる気品に満ちた仕草であった。
《楚詞さま、私くしも 明日より剣を持ちまする》 と心の中で呟き、 楽が流れる草庵に戻った。
・・・・・続く・・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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