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【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/13/(水)

2022-07-13 05:35:25 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月13日 ⰧⰂⰧ

  HOLLYWOODLANDの大看板が完成(1923年)するが、月日の経過とアメリカ経済の低迷から維持費が賄えず現在では末尾のLANDが朽ち果てることに。

  4年に1回のペースで行われるサッカーの祭典がウルグアイで初開催(1930年)。第1回の開催国であるウルグアイは国中歓喜の渦に包まれたものの、その後半世紀以上優勝トロフィーを受け取る栄誉に与っていない現状ではあんまり楽しくない模様。

☆   デートクラブの御主人様が小さな天使たちを捕まえる。4日目に天使たちは解放されるが、その前日に御主人様が自殺したため真相は誰も知らない(2003年=プチエンジェル事件)。

M.Knopfler, E.Clapton, Sting & P. Collins - Money for Nothing Live
 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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石の絞首台/ストーンヘンシ09/mn ; 歴史深層(029)

2022-07-12 05:35:25 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月12日<ⰧⰊⰧ

☆★ 愛新覚羅溥儀が僅か12日で清朝皇帝の防衛に失敗し、セコンドの張勲はオランダ大使館に逃げ出す(1917年)。☆★ ミュージシャンの超過激イベントがエキサイトし過ぎて、大リーグの試合が中止に追い込まれる事態に(1979年=観衆がフィールドに乱入。第2試合が没収試合)。☆★ もののけ姫封切り(1997年)。ジブリではワンマン宮崎もやっと引退かと希望が膨らむが、4年後に無理矢理つくらせた千と千尋の神隠しの大ヒットで更に12年も老体に鞭打つことに。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =2/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

    完成までの計画立案と、実際に使われた土木技術。異なる領土を横切って巨石を運ぶには、巧みな交渉術を要しただろうし、運搬の労働力を調達し、必要な装備を与えるのもひと仕事だったはずだ。

    農業や牧畜、狩猟をして生活していた健康な男たちをどう説得して集め、きつい石運びに従事させたのか。そうした人間の営みについては、現代の私たちでも容易に思いうかべることができる。もっとも、彼ら古代ブリトン人がどんな社会を作り、どんな言葉を話していたのかは、ほとんどわかっていないのだが。

 ストーンヘンジができたころ、ブリトン人はすでにカバやマツ、ハシバミの森を切りひらいて土地を開墾し、農業や牧畜を営んでいた。発掘された人骨から判断する限り、彼らは肉体を酷使する生活を送っていたにもかかわらず、体格はきゃしゃだったようだ。

 ブリトン人の遺骨には虫歯が少ないことから、糖分を含む炭水化物の摂取量が少なかったことがわかる。平均寿命の推定は難しいものの、彼らは概して健康に生きていたようだ。

 だが今も昔も、人生には予期せぬ災厄がつきものだ。英国セントラル・ランカシャー大学で、法医学および科学捜査の講師を務めるマイケル・ワイソッキがこんな話を聞かせてくれた。「鈍器で殴られたような跡のある頭蓋骨が、全体の5~6%も見つかっています。男女ともその割合は同じです」。儀式などでいけにえにされたのか、単に暴力的な行為がはびこる時代だったのか。傷の原因については想像するしかない。

 近年になって、まったくの偶然から、特定の個人の生涯をかいま見せてくれるような重要な手がかりが発見された。2002年、ストーンヘンジの南東4キロの場所で、紀元前2500~紀元前2300年の2基の墓が発掘されたのだ。エーボン川東岸のボスコム・ダウンに埋葬されていたのは、年齢35~45歳の男性と、その息子の可能性もある親族の若者だった。年かさの男性は片脚の損傷が激しく、おそらく歩くのもままならなかったはずだ。

 男性の墓からは、多くの副葬品も見つかった。金の髪飾りに銅製のナイフ、火起こしの道具、石を磨いて作った射手の腕輪、金属加工の台座にする石など、英国で発掘された同時代のものでは、もっとも豪華な副葬品だ。広口で独特な形をしたビーカー式土器は、当時のヨーロッパ大陸ではよく使われていたようだが、ブリテン諸島で見つかるのは珍しい。研究者たちはこの男性に「エームズベリーの射手」という呼び名をつけた。

 さらに、二人の歯のエナメル質を分析すると、驚くべき事実が判明した。若者は地元ウェセックス地方の出身だが、エームズベリーの射手はアルプス山脈のふもと、現在のスイスとドイツにまたがる地域の生まれだったのだ。

 古代の墓に眠っていた揺るぎない証拠から、この二人の人生が浮かびあがってきた。エームズベリーの射手は、ヨーロッパから移住してきた。優れた金属加工の腕をもつ職人で、最先端の土器を携えてブリテン諸島に渡った彼は、ウェセックスで成功を収めた。富と社会的な地位を手に入れ、家族と幸せに暮らしていたのだろう。

 この裕福な男性と若者の墓が発見されてから1年後、500メートルと離れていない建設現場で、ほぼ同時代の墓所が見つかった。パイプを敷設していた作業員が偶然掘りあてたその墓には、親族同士とみられる7人の遺骨があった。少なくとも4人は男性で、エームズベリーの射手と同様、地元の生まれではなかった。ウェセックス考古学会のアンドリュー・フィッツパトリックは、そのうち成人3人の小臼歯と臼歯を分析した。「彼らはともに6歳まで同じ土地で育った後、移住して別の土地で13歳まで過ごしたことがわかりました」

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: トーンヘンジ、地中に未知の17遺跡(1/2) ……

イギリス南西部の巨石遺跡、ストーンヘンジ周辺の地中に、古代の遺跡、建造物、塚からなる未知の複合遺跡が数千年も眠っていたという驚きの調査結果が出された。研究者らは最新の技術を用いて地下の様子を探り、遺跡の存在を突き止めた。 新たに見つかったのは儀式に使う17の遺跡で、巨大な「死者の家」の跡、数百もの埋葬塚、そしてストーンヘンジの周囲をめぐる行列の道筋と思われる道の跡などが含まれる。

また、ストーンヘンジにほど近い遺跡ダーリントン・ウォールズの場所に、周囲1.5キロに及ぶ「スーパーヘンジ」があった証拠も見つかった。かつては60もの巨石や木の柱が配置されてお、その一部はまだ地中に埋まっている可能性がある。

今回の発見は、ストーンヘンジを取り巻く一帯の高解像度3D地下マップを製作するという4年がかりの事業「ストーンヘンジ地中景観プロジェクト」(Stonehenge Hidden Landscape Project)の成果だ。

英国のバーミンガム大学と、オーストリアのルートビッヒ・ボルツマン研究所の研究者たちがプロジェクトチームを率いている。チームは地下レーダー、高解像度磁気探査機、その他最先端のリモートセンシング機器を使い、深さ約3メートルの地中の状態を地図に表した。

合計で12平方キロ近くが探査機によって「発掘」されたこの調査は、同種のものとしては世界史上最も広大かつ野心的なプロジェクトとなった。
中心となった研究者で、バーミンガム大学の景観考古学教授ビンス・ガフニー(Vince Gaffney)氏は、「地下に遺跡があるとは誰も考えていなかった」と驚く。「ストーンヘンジは単独の遺跡ではなく、豊富な遺跡から成る光景の一部だったことが分かった」。

・・・・・・・・・明日に続く

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= Stonehenge, Avebury and Associated Sites (UNESCO/NHK) =

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森のなかえ

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◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/11/(月)

2022-07-11 05:35:25 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月11日 ⰧⰂⰧ

  御木本幸吉が真珠の養殖に成功(1893年)し、貴重だった真珠の価値が雑貨並みになる。

  GHQ肝煎りでチキン労働組合の中央組織・総評が結成(1950年)、しかし翌年には早々とアヒルの様に煩くなる。

  日本坂トンネルが長大なロースターと化したことで、並行する東海道が大渋滞になったばかりか南海ホークスと日本ハムファイターズがとばっちりを受ける(1979年)。&so、USA自慢の宇宙ステーション「スカイラブ」が大気圏再突入して消滅。

Eric Clapton - Layla (Live)
 

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◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/10/(日)

2022-07-10 05:35:57 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月10日 ⰧⰂⰧ

  納豆の日。また茨城と秋田の納豆発祥を巡った論争の初日。ウルトラマンの日でもある。

  天皇陛下御臨席の下で蘇我入鹿がリンチされ、その親父も粛清されました(645年=乙巳の変)。

☆   『ウルトラマン』の第1話となるはずだった事前番組『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』が放送される(1966年)。

Eric Clapton - I Shot The Sheriff [Crossroads 2010] (Official Live Video)
 

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石の絞首台/ストーンヘンシ08/mn ; 歴史深層(028)

2022-07-09 05:35:17 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月09日<ⰧⰊⰧ

☆★ 杉原千畝が、赴任先で極めて良質な背任行為・売国行為及び犯罪者逃走幇助に手を染め始める(1940年)。以後2か月近く犯行を継続し、2千人以上の逃走幇助。 よって、終戦直後に杉原はクビに。☆★ 巨人軍の総本山の隣に遊園地が開業(1955年)、2年前に始まったテレビとのセットによる巨人真理教の洗脳が本格化。☆★ スーダンの南側が分離独立(2011年)するも、適当な国名が無かったので南スーダンと取り敢えず名乗る。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

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◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =1/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

 古代の巨石遺跡、ストーンヘンジとの最初の出会いは一瞬のできごとだった。場所は英国イングランド南部。ソールズベリー平原にある遺跡のすぐそばを通る幹線道路A303号線を走っていると、だだっ広い平原に突如現れた、一群の物体が目に飛びこんできたのだ。肩をいからせたそのシルエットを目にした瞬間、つかの間だが、まるで時空を超えて先史時代へとタイムスリップしたような感覚に包まれた。

 近づいてみると、無傷で立つ石の周りに割れた石が転がっている。遺跡は噂に聞いていたよりも小さく見えたが、最大50トンもあるサーセン石(硬い砂岩の一種)を使った建造技術には、感心するしかない。ストーンヘンジは、今なお類例を見ない独特の古代遺跡だ。素材が木から石へと移り、この遺跡が造られた約4500年前当時も、際立った存在だったに違いない。

 一対の石柱とその上に水平に渡した「まぐさ石」の間は、正確に切られたほぞとほぞ穴の凹凸を組み合わせて固定されている。木の建造物に用いていた技術をそのまま、新たな素材である石に応用した画期的な建造物だ。ストーンヘンジを造った人々は、何か未知の真理を探りあて、技術的な躍進を果たしたのだろう。この遺跡が何らかの意図をもって造られたことは明らかだ。では一体、どんな意味がこめられているのか?

 その答えを求めて、何世紀にもわたって数えきれないほどの仮説が提唱されてきたが、本当のところはまだ誰にもわかっていない。先史時代のヨーロッパで誕生したストーンヘンジは、世界屈指の有名な遺跡で、これまでさまざまな角度から考察されてきた。それでも、ここが何のために使われていたのかは、まるで解明されていないのだ。

 考古学者たちはこれまで、謎を解く鍵は石そのものにあるとみて、石の外形や刻まれた印、影の出かたなど、あらゆることを子細に調べてきた。しかし最近では、ストーンヘンジから遠く離れた場所にも足を運び、新石器時代の住居跡やウェールズ南西部の険しい岩山など、周辺の地域も調べている。はっきりした解答はまだ得られていないものの、現在進行中のこれら二つの調査から、きわめて興味深い可能性が浮かびあがってきた。

多彩な古代建造物

 この地では巨石のモニュメント以前にも、謎に満ちた数々の古代建造物が造られてきた。その豊かな伝統を抜きにして、ストーンヘンジを語ることはできない。「ヘンジ」とは、内側に溝を掘った円形の土塁を意味する(土塁の外側に溝が掘られているストーンヘンジは、厳密な意味での「ヘンジ」にはあてはまらない)。塚や小丘、木を使った環状構造物、一本石の柱(モノリス)、円形や馬蹄形に石を並べた遺跡など、いずれも新石器時代のブリテン諸島やヨーロッパ大陸の一部でよく造られた。ストーンヘンジは、その成立の過程で、こうした伝統の多くを反映している。

 ストーンヘンジには、人類とその創造物のダイナミックな進化が凝縮されている。最古のものとして知られている列石にはウェールズ産のブルーストーンが用いられた。おそらく紀元前2500年ごろ、海や川を利用し、陸路では道具を使って引っ張るなどして、はるばる運ばれてきたようだ。その後に巨大なサーセン石がやってくる。遺跡とエーボン川は、どこかの段階で道で結ばれた。巨石のモニュメントは水となんらかの関係があるようだが、石を使い始める前の時代に造られた土塁には、もっと多彩な信仰が反映されていたと考えられる。

 環状列石は崩壊が激しく、往時の姿を思い描くのは難しい。むしろ、成立までのプロセスを想像するほうがたやすいだろう。完成までの計画立案と、実際に使われた土木技術。異なる領土を横切って巨石を運ぶには、巧みな交渉術を要しただろうし、運搬の労働力を調達し、必要な装備を与えるのもひと仕事だったはずだ。

農業や牧畜、狩猟をして生活していた健康な男たちをどう説得して集め、きつい石運びに従事させたのか。そうした人間の営みについては、現代の私たちでも容易に思いうかべることができる。もっとも、彼ら古代ブリトン人がどんな社会を作り、どんな言葉を話していたのかは、ほとんどわかっていないのだが。

・・・・・・・明日に続く・・

…… 参考資料: ストーンヘンジに集い祝宴を開く古代人(2/2) ……

 今回の発見は、イギリスのシェフィールド大学の大学院生サラ・ヴァイナー氏の研究が基になっている。ヴァイナー氏の指導教官で動物考古学者のウンベルト・アルバレッラ氏は、「今回の化学分析は、先史時代の牛の出身地をピンポイントで示せるほど精密ではないが、ストーンヘンジ以外のイギリスのどこかから人々が家畜を連れてやって来たことは証明された。人々は、非常に広い範囲から集まっていた」と話す。

 さらに、古代の村から出土した牛骨を調査したところ、生まれたばかりの子牛がいないことが判明した。「家畜を飼育している場所であれば、その子どもの骨が大量に見つかるはずだが、まったく見つからなかった。だから、ここは生産する場所ではなく消費する場所だったのだと考えられる。ここは特別な目的のための場所だったと言える。人々が集い、おそらく恐ろしいほどの量のごちそうを並べて祝宴を開いていたのだろう」とアルバレッラ氏は語る。

 アルバレッラ氏の参加するストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクトのリーダーで考古学者のマイケル・パーカー・ピアソン氏は、「ストーンヘンジとダーリントンウォールは同じ環状構造を持つ遺跡だが、一方は石造りの柱、もう一方は木柱とその素材が示すように意味合いは異なる。祖先崇拝を尊ぶ古代ブリトン人にとって、木は生者の領域を象徴し、石は祖先の死者に結びつくものだ」と話す。

最近ダーリントンで発見された先史時代の何百という住居跡は、特定の季節に限定された村であったと考えられている。古代多神教徒の巡礼者が冬至と夏至を祝うために訪れたのだという。

 先史時代のゴミ捨て場は、豚や牛の骨、壊れた陶器など、石器時代の祝宴の証拠にあふれている。「巡礼者たちは出身地方ごとに村の中に割り当て区域を持っていた」とする新しい学説も発表されており、家畜の化石の研究がさらに進めば、この学説を支持するものとなるかもしれない。

「現時点までの研究はまだ断片的なものだが、陶器の種類が住居跡の区域ごとに異なっているように思われる。まだ仮説にすぎないが、牛の出身地から解明できるかもしれない」とアルバレッラ氏は語る。人の歯は火葬のために残っておらず、牛の歯が貴重な手掛かりなのだという。 / Photograph by Kenneth Geiger/NGS

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= Avebury Stone Circle, Stonehenge, and other British neolithic monuments =

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◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/08/(金)

2022-07-08 05:35:59 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月08日 ⰧⰂⰧ

  たった四杯の上喜撰で、泰平の眠りについていた江戸幕府が無理矢理目を覚めされてしまう(1853年=黒船来航)。

  ロズウェル事件、ロズウェルで実験中の偵察用気球を回収したことを発表した広報担当が、UFOを回収と冗談を口走って大騒ぎに(1947年)。

  我らの偉大なる金日成首領様が人民達への指導の末に病魔に冒されお亡くなりになられた(1994年)。見送ったにはスペースシャトルコロンビア。

Eric Clapton-Wonderful Tonight (best version)
 

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石の絞首台/ストーンヘンシ07/mn ; 歴史深層(027)

2022-07-07 05:35:44 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月07日<ⰧⰊⰧ

☆★ 天の川を挟む二つの星が接近する日…らしい。七夕の伝統では。科学考証など邪道である。 豊国では、ゆかたの日。ゆかたの女性にはポニーテールがよく似合う…らしい(ポニーテールの日でもある)。☆★ 「冷やし中華はじめました」がそろそろ目につくが、名古屋は大須で群衆が破目を外して大暴れ。150人以上がおまわりさんのご厄介となる(1952年=大須事件)。☆★ 良識の府だった筈の参議院が、タレントと文化人の府になり始めた日(1968年)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

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◇◆  ストーンヘンジ期のブタ宴会、全島イベントだった =2/2=  ◆◇

全域から人が集まる初の「汎ブリテン島」集会と判明

 研究者たちは今回、4カ所の新石器時代後期の遺跡(ダーリントン・ウォールズ、マーデン、マウント・プレザント、ウエスト・ケネット・パリセード・エンクロージャー)から出土したブタの骨131点について同位体分析を行った。結果、そこで食べられたブタの大多数が、現地で育てられたものではなく、ブリテン島各地から連れてこられたものであることが明らかになった。その距離は少なくとも50kmで、550km以上のこともあり、ウェールズやスコットランドから連れてこられたブタもいた。

 新石器時代の祭祀場にブリテン島全土から人々が集まってきていて、なかにはかなり遠くからも来ていたことは、宴が開かれた祭祀場が、地元や近隣の会合だけでなく、歴史上最初の「汎ブリテン島」イベントの会場だったことを示している。

映画に出てくるようなブタではない

 この結果は、ブタにより人間の移動を推定する手法について、研究者たちに再考を促している。ストーンヘンジの人骨のストロンチウム分析を行ったベルギー、ブリュッセル自由大学の博士研究員クリストフ・スノーク氏は、今回の研究には関与していないが、「本当に驚きました」と言う。スノーク氏は、ブタの骨のストロンチウムだけでなく、複数の同位体の分析が行われ、ブタが飼育されていた場所や餌について深い洞察が得られたことを賞賛する。

 例えば、ダーリントン・ウォールズのブタは、ストロンチウム、酸素、硫黄の同位体分析結果から、さまざまな環境で育っていたことが明らかになった。しかしその一方で、炭素同位体の分析結果からは、餌は同じようなものだったことが分かった。これはダーリントン・ウォールズの宴の規模の大きさを反映しているとマジウィック氏は信じている。つまり、地域で残飯を与えられたブタをかき集めたのではなく、ブタの大群を森で餌を食べさせながら移動させたのだ。

「宴に参加した人々は、儀式のために、はるばるブタを連れてきたのです」とマジウィック氏は言う。

『Lesser Beasts:A Snout-to-Tail History of the Humble Pig(劣った獣:つつましいブタたちの全歴史)』の著者であるマーク・エシッグ氏は、この結果は理にかなっていると考える。「ブタの群れを移動させることなどできないというのは間違った思い込みです」とエシッグ氏。19世紀の米国では、ブタをケンタッキー州中部からサウスカロライナ州沿岸部までいつも歩かせていたと指摘する。

「新石器時代のブタは、現代の映画に登場するような外見ではなく、イノシシのように痩せていて脚が長かったのです。徒歩で長旅をできるだけの敏捷性と元気がありました」

文=Kristin Romey/訳=三枝小夜子

次回は“沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎”に続く

…… 参考資料: ストーンヘンジに集い祝宴を開く古代人(1/2) ……

ストーンヘンジの近くで発掘された先史時代の牛の化石を分析した最新の研究によると、古代のストーンヘンジ地方では、遠方の巡礼者が家畜を連れて集まり祝宴を開いていたという。 イングランド南部のソールズベリー近郊にある巨石遺跡ストーンヘンジについては、古代人が遠く離れた場所から集まり重要な祝祭儀式を行っていたという学説があり、今回発掘された化石はこれを支持するものであるという。そのような祝祭は年によって開催される日が変わっていたと考えられている。

 研究チームの一員でイギリス自然環境研究会議(NERC)のジェーン・エバンズ氏は、「宗教的な祝宴で食するために解体された牛は、はるかウェールズからやって来た可能性もある」と、今週リバプールで開催されたイギリス科学振興協会科学祭(British Association Festival of Science)で発表した。

 今回の発見は、ストーンヘンジから3キロほど離れたダーリントンウォール遺跡にある石器時代後期の村で最近発掘された4500年前の牛の歯と骨に基づいている。「祝宴を開くため大勢の人がストーンヘンジ地方に移動して来たことを示す物証を手に入れた」とエバンズ氏は語る。

 研究チームは、牛の歯のエナメル質に残っていた化学元素ストロンチウムの原子の同位体を分析した。原子を分析することにより、牛が生息していた地域に関する地質学的な情報が化学的に判断できる。「ストーンヘンジ周辺を含めイングランド南部は石灰岩を大量に含む白亜質の土壌が特徴的であるが、調査の結果、1頭を除いて、この土壌範囲以外の土地で飼育されていたことがわかった」とエバンズ氏は説明する。

 そして、2頭の牛の歯は、イングランドの外部からやって来たことを示したという。エバンズ氏は「この牛たちは、比較的古い岩盤上に形成された土壌で飼育されていた。そのような岩盤は、ウェールズやスコットランドまで行かなければ見つからない。この2カ所のうち、ウェールズの方が可能性が高い。ストーンヘンジに近く、ほかにも考古学的なつながりが確認されているからだ」と語る。例えば、ストーンヘンジ遺跡自体にウェールズ南西部から運ばれてきた青石が使われている。 / ・・・・・・明日に続く

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= Stonehenge: Durrington Walls Settlement =

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◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/06/(水)

2022-07-06 05:35:32 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月06日 ⰧⰂⰧ

☆   『この味がいいね』と君が言ったと歌集『サラダ記念日』の中にあるから本日はサラダ記念日(1987年)。ちなみに制定されたのは本日ではなく、5月8日。そしてこれが由来となって記念日の日でもあったりする。何のこっちゃw

  ユートピアを夢見たトマス・モアが、無理矢理現世から追放されて=外患罪で処刑=ユートピアへ旅立つ(1535年)。

☆   エクストリーム・下山第1回大会が開催。ご本人は勿論、6年前に土浦駅で大事故を起こしたD51 651機関車もスペシャルゲストとして参加(1949年=下山事件発覚)。

Moon River - Clapton & Beck

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石の絞首台/ストーンヘンシ06/mn ; 歴史深層(026)

2022-07-05 05:35:14 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月05日<ⰧⰊⰧ

☆★ ドイツとソビエト連邦による史上最大の戦車道の試合が始まる(1943年)。その数双方合わせて6,000台以上、2ヶ月近く撃ち合って敵側より多くの損害を出しながらも何とかソ連が勝った。☆★ タヌキの小平とキツネのフルシチョフが会談、イデオロギー論争で対立し決裂(1963年)。☆★ 一個190億円の超高級打ち上げ花火を行う民間企業「株式会社ロケットシステム」が発足。最初の2回の花火はちゃんと打ち上がったけど、3回目と5回目は失敗、文字通り打ち上げ花火に。ロケット代と人工衛星代、ウン百億円分の税金がパーに(1990年)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  ストーンヘンジ期のブタ宴会、全島イベントだった =1/2=  ◆◇

全域から人が集まる初の「汎ブリテン島」集会と判明

   4500年前の宴の食べ残しであるブタの研究から、意外なことが明らかになった。ストーンヘンジ周辺にある先史時代の祭祀場に、ブリテン島全域から人々が集まっていたのだ。この論文は学術誌「Science Advances」誌に3月13日付けで掲載された。

 新石器時代後期(紀元前2800年~前2400年頃)には、ブリテン島南部のダーリントン・ウォールズ(ストーンヘンジを築いた人々が住んでいたと考えられている場所)やマーデン(ブリテン島最大の環状遺跡)などの祭祀場で大規模な宴会が開かれていた。

 ダーリントン・ウォールズの発掘調査では、冬の間に大規模な宴が開かれ、大量の豚肉と少しの牛肉を焼いて食べていたことが分かっている。発掘された8500点の骨を分析した結果、ブタとウシの割合は10:1だった。

 この地域のほかの祭祀場遺跡からもブタの骨が大量に出土していることは、新石器時代後期のブリテン島南部で、ブタ宴会の習慣が広まっていたことを強く裏付けている。こうした宴の目的が、(コミュニティーのバーベキューパーティーのように)地元の人々の親睦を深めることにあったのか、あるいは、近隣との同盟関係を強化することにあったのかはまだ分かっていない。

 そこで今回、ブタの骨を新たに分析したところ、予想外の結果が判明した。祭祀場とそこで振る舞われたごちそうが、ブリテン島の巨大な交流網のかなめになっていたのだ。ここまで交流が深く、社会が複雑だったとは、誰も予想していなかった。

ブタの骨は語る

 科学者たちは近年、人間や動物がすんでいた土地の情報が分かるストロンチウム同位体分析によって、宴に参加した人々の広がりを特定しようとしている。ストーンヘンジで火葬された人間の遺体と、ダーリントン・ウォールズから発掘されたウシの骨についての分析結果は、どちもかなり遠いところから(なかには今日のウェールズにあたる場所から)祭祀場にやって来たことを示唆していた。

 けれどもこれまで、ブタの骨の同位体分析を行おうとする研究者はいなかった。牛は遠くから連れてこられるのに対し、長距離の移動が苦手なブタは祭祀場の近くで飼われていたはずで、祭祀の参加者がどこから来たかを知る手がかりにはならないと考えられていたからだ。しかし、ブタを遠くから連れてくることは本当に不可能なのだろうか?

「正直なところ、豚の骨を分析して、人間の移動について何も分からなかったらどうしようと思っていました」と、論文の筆頭著者で英カーディフ大学の考古科学講師のリチャード・マジウィック氏は打ち明ける。

・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡 =2/2= ……

◆地下遺跡の用途   

  新たに発見された17の遺跡は、多くが神殿のような構造に見える。ストーンヘンジが最も盛んに使われたのと同時期の小さな円形の構造物が、中心にある石の輪の周囲に配置されている。ガフニー氏は、イエス・キリストが磔刑に処せられるまでの道のりを再現する儀式「十字架の道行き」(Via Dolorosa)を例に挙げ、新石器時代にもそれに似た儀式があったのではないかとの見方を示している。

  「我々はここで、儀式としての行列や礼拝という概念の誕生を目にしているのかもしれない」とガフニー氏は話す。

 4000年以上前にイングランドのソールズベリー平原に建てられた、この謎めいた環状列石は、数世紀にわたって人々に畏怖の念を抱かせ、関心を呼んできた。

 手掛かりとすべき文字記録がないことから、この不可思議な巨石建造物をめぐって無数の仮説が唱えられてきた。ケルト人、古代ケルト宗教のドルイド教、ローマ人、さらにはアーサー王伝説との関連まで主張されている。もともと現在のような馬蹄形として作られたのか、完全な円形に石を配置していたのかといった建造当初の形も、盛んな論争の的だ。

 今年の夏、ストーンヘンジ一帯でたまたま乾燥気候が続き、かつて石が置かれていたことを示す地表近くの跡があらわになった。しかし、驚くほどの豊富な遺跡が地中に隠れているとは誰も予想しなかった。

◆最新技術で進む調査

 高度なリモートセンシングと地下マッピングは、ストーンヘンジに関する知見だけでなく、考古学の方法自体も変えつつある。

 スコットランド北方のオークニー諸島でも最先端技術による調査が行われ、ストーンヘンジよりも500年以上古い、全く未知の巨大かつ複雑な新石器時代の神殿群の存在が明らかになった。考古学者らは、この遺跡がストーンヘンジ建設に影響を与えた可能性もあると考えている。

 Photograph by Ken Geiger / National Geographic Creative

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◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/04/(月)

2022-07-04 05:35:46 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月04日 ⰧⰂⰧ

江戸幕府の崩壊を信じられない勝ち組が上野の山に立て籠もり、慶應義塾の学生が高みの見物をしようとしたところ先生に怒られる(1868年=戊辰戦争: 上野戦争)。

  帝都の地下鉄を彼方此方の会社が勝手に建設・運行していては統制が取れない利用者が不便とのことで、営業財団・略して営団に運営を一元化(1941年)。他の営団が次から次へと姿を消す中で、ここだけは60年以上経ってやっと普通の会社になったのだとか。

セパ分裂の遺恨から、両リーグから選抜された強者どもが第1回の果し合いをする(1951年)。以後、これが年中行事に。

Autumn Leaves, CLAPTON

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◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/03/(日)

2022-07-03 05:35:59 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月03日 ⰧⰂⰧ

☆   銭形平次の必須アイテム、市場に流通開始(1636年=寛永通宝創鋳)。

  ヒトラー肝いりのカブトムシ型の国民車が初お目見え(1938年)、ナチス滅亡後も好評を博し2000万台以上を売り上げるベストセラーに。

  米軍がイランの民間機を軍用だと思い込んでバキューン!!(1988年=イラン航空655便撃墜事件)。

2018 Stardust-Shine S.HAMILTON, I.TERRAZA & J.CHAMORRO TRIO

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石の絞首台/ストーンヘンシ05/mn ; 歴史深層(025)

2022-07-02 05:35:05 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月02日<ⰧⰊⰧ

☆★ 何かをぴーやアーン♥♥したりするからなのか、本日はタコの日。半夏生であり、ハゲの日でもある。☆★ 明智光秀が11日目にして天下人の防衛に失敗、自宅に帰ろうしたところリンチに遭う (1582年) 。☆★ 一僧侶が、京都市北山にあった庵を日本最大級の地金ごと火だるまにする(1950年=金閣寺放火事件)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

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◇◆  ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模 =3/3= ◆◇

火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味

ウッドヘンジ

 ダーリントン・ウォールズの南にも「ウッドヘンジ」がある。1925年、飛行士のギルバート・インサールが上空から撮影した写真によって存在が確認され、後にウェールズ出身の考古学者モード・カニングトンが発掘を行った。

 カニングトンのチームが1929年に調査を終える頃には、航空写真に写った環状に並ぶスポットが、柱を立てた穴だったとわかった。中には8メートル近い高さの柱もあったと推測された。外側を土手と溝に囲まれて6つの環状に配置された木柱は、かやぶき屋根を支えていた可能性がある。中心には、割れた子どもの頭蓋骨が埋葬されていた。カニングトンはこれを生贄だと考えたが、調査のために持ち出された遺骨はその後紛失し、詳しく調べられたことはない。

 最近では2009年にSRPが、「ウェスト・エイムズベリー・リング」またの名を「ブルーストーンヘンジ」を発見したと発表した。エイボン川に近い側のアベニューの終点で見つかった、高さ2メートル近い立石からなる円形の構造物だ。

石の環は死者を、木の環は生者を

 一連の構造物は互いに関連し、文化的な関係や宗教的な意味でつながりがあったと考えられている。人々の信仰が具体的にどのようなものだったのかは、当然ながら何世紀にもわたって問われ続けてきた。SRPも2003年から2009年の間、遺跡群を何十回となく発掘し、造った人々の意図を探ろうとしてきた。

 明らかなのは、ストーンヘンジと周辺の遺跡群が全て、生と死にまつわる儀式に関わっていたということだ。SRPによると、ストーンヘンジの周辺ではわかっているだけでも63回、火葬が行われている。新石器時代のヨーロッパでは最大級の火葬場だったのだ。

 パーカー・ピアソン氏の調査チームが、オーブリー・ホールの一つで発見された数十体分の火葬人骨を分析したところ、多くの人はこの土地の生まれではなかったことが判明した。ストーンヘンジが古代のブリテン島全域から人々を引き付けていたことを支持する証拠だ。これらの遺跡群は、地域を統一する力として機能していたのだろうとチームは考えている。

 20世紀の天文学者ジェラルド・S・ホーキンズは、ストーンヘンジを「新石器時代のコンピューター」と表現した。巨石が天文現象に調和するように、意図をもって配置されているからだ。最も有名なのは6月の夏至と12月の冬至だ。しかし考古学者たちは、ストーンヘンジが単なる暦ではなく、生と死にまつわる宗教儀式を含め、様々な目的のために使われたと考えている。

 SRPは、ストーンヘンジは火葬された人々の存在に支えられた、祖先崇拝のための場所でもあったと考えている。また、ストーンヘンジの巨大な環状列石と、それによく似たダーリントン・ウォールズの環状木柱列との象徴的な関係も探究している。石の環は死者を、木の環は生者を表しており、それらを結ぶアベニューが、2つの世界のつながりを象徴していたのではないかというわけだ。   文=JULIUS PURCELL/訳=桜木敬子

次回は“ストーンヘンジ期のブタ宴会、全島イベントだった”に続く

…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡 =1/2= ……

イギリス南西部の巨石遺跡、ストーンヘンジ周辺の地中に、古代の遺跡、建造物、塚からなる未知の複合遺跡が数千年も眠っていたという驚きの調査結果が出された。研究者らは最新の技術を用いて地下の様子を探り、遺跡の存在を突き止めた。 新たに見つかったのは儀式に使う17の遺跡で、巨大な「死者の家」の跡、数百もの埋葬塚、そしてストーンヘンジの周囲をめぐる行列の道筋と思われる道の跡などが含まれる。

  また、ストーンヘンジにほど近い遺跡ダーリントン・ウォールズの場所に、周囲1.5キロに及ぶ「スーパーヘンジ」があった証拠も見つかった。かつては60もの巨石や木の柱が配置されてお、その一部はまだ地中に埋まっている可能性がある。  

  今回の発見は、ストーンヘンジを取り巻く一帯の高解像度3D地下マップを製作するという4年がかりの事業「ストーンヘンジ地中景観プロジェクト」(Stonehenge Hidden Landscape Project)の成果だ。  英国のバーミンガム大学と、オーストリアのルートビッヒ・ボルツマン研究所の研究者たちがプロジェクトチームを率いている。チームは地下レーダー、高解像度磁気探査機、その他最先端のリモートセンシング機器を使い、深さ約3メートルの地中の状態を地図に表した。

  合計で12平方キロ近くが探査機によって「発掘」されたこの調査は、同種のものとしては世界史上最も広大かつ野心的なプロジェクトとなった。

  中心となった研究者で、バーミンガム大学の景観考古学教授ビンス・ガフニー(Vince Gaffney)氏は、「地下に遺跡があるとは誰も考えていなかった」と驚く。「ストーンヘンジは単独の遺跡ではなく、豊富な遺跡から成る光景の一部だったことが分かった」。   ・・・・明日に続く

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◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/01/(金)

2022-07-01 05:35:56 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月01日 ⰧⰂⰧ

  山開き・海開きの日であると共に、山岳救助隊とライフセイバーの仕事始めの日。 &so、 ギリシャでスポーツ好きな若者を集めた神聖なる競技会が初開催(紀元前776年)。長い中断を挟んで100年位前に復活したが、今や当初の目的が忘れられ運営費や人件費が嵩張る結果に。

  南北戦争最大の戦い(1863年= ゲティスバーグの戦い)。怖くて銃を使えない兵士が多かったにも関わらず、作戦が単純すぎた結果、両軍合わせて5万人も死亡するというお粗末さ。

  ソニーからウォークマンが発売(1979年)。何処彼処でも音楽を聴くながら族の増長を招いた。

2020 Blues does always win SANT ANDREU JAZZ BAND

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石の絞首台/ストーンヘンシ04/mn ; 歴史深層(024)

2022-06-30 05:35:52 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年06月30日<ⰧⰊⰧ

☆★ グランドキャニオンでユナイテッド航空とトランスワールド航空の決闘が行われ、双方合わせて128人の血が流される(1956年)。☆★ イギリスのバンドが日本武道館で公演、ハプニングゲストとしてコメディグループも登場(1966年)。☆★ 上野動物園の名物だったおサル電車がこの日を持って廃線に(1974年)。おぉお、本日はハーフタイムデー。誰が決めたか・・・ 一年も残す所あと半分となる日であつた。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

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◇◆  ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模 =2/3= ◆◇

火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味

石はどこから、どうやって運んだのか

 1つが4トンほどあるブルーストーンは、陸路で200キロ以上離れたウェールズ南西部のプレセリ山地から運ばれた。この仮説は1920年代に初めて提唱され、2000年代の地質学的調査によってカーン・ゴイドグおよびクライグ・ロース・イ・フェリンが採石場所だと特定された。

 石が実際にウェールズからソールズベリー平原までどのように運ばれたのかについては、まだ議論が続いている。氷河によって偶然運ばれたとする説も過去にはあったが、今では人力で運ばれたとの見解で大半の学者が一致している。運搬方法や、陸路か水路のどちらで運んだのかという点に関しては不明だ。船やいかだに載せて海岸沿いに運び、河川を伝ってエイボン川から引き上げたとする説もあれば、目撃した人々に印象付けるために、そりに載せて地面を引きずって運んだとする説もある。

 なぜブルーストーンが選ばれ、多大な労力を費やしてウェールズから運ばれたのかは定かではない。最近、ストーンヘンジで発見された遺骨の同位体分析を行ったところ、ブルーストーンの採石地の出身者であることがわかった。この場所まで石を運んできた労働者たちの遺骨ではないかという説もある。

儀式的な意味合いをもつ配置

 現在の考古学者たちは、ストーンヘンジを中心とするモニュメント群が儀式的な意味合いをもつように配置されていると考えている。紀元前2500年以降に造られたアベニューは、ストーンヘンジとエイボン川をつなぐ間に聖域同士を結んでいる。アベニューの向きは、夏至の日の出と冬至の日の入りの方向に一致するため、新石器時代の人々がどれだけの天文学的知識を利用したのかという謎が生まれた。

 ストーンヘンジ周辺の遺跡は、象徴的かつ物理的にストーンヘンジと結びついている。ストーンヘンジのおよそ3キロ北東には「ダーリントン・ウォールズ」がある。それ自体が巨大な円形の土塁跡からなる複合遺跡だ。この土塁が造られる前には大きな村があったと考えられている。

 ダーリントン・ウォールズの重要性は近年、より明らかになってきた。2000年代初頭、英シェフィールド大学のマイク・パーカー・ピアソン氏が共同で率いた「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト(SRP)」(ナショナル ジオグラフィック協会も資金を提供している)によって、何百もの住居跡からなる新石器時代の村落跡が発見された。村にはストーンヘンジを造った労働者が暮らしただけではなく、ブタなどを焼いて食べる大規模な宴会に参加した巡礼者たちが滞在したと考えられている。

 発見されたブタの骨の同位体分析からは、それらが全て地元で調達されたわけではなく、ウェールズやスコットランドを含む全島からブタ宴会にやって来た人々が、それぞれの土地からブタを連れて来ていたことがわかった。こうした証拠は、ストーンヘンジや周辺の遺跡群が、ブリテン島全域の住民にとっての儀式の場だったことを裏付けている。この村はやがて打ち捨てられ、代わりにブリテン島で最大の「ヘンジ(環状遺跡)」となる巨大な円形の土塁が造られた。

 近年、深さ60センチほどの穴が複数発見され、ダーリントン・ウォールズの近くに巨大な木造構造物があったことが示唆されている。穴は1.6キロ以上に及ぶ円弧状に配置され、全体で300個ほどあるようだ。かつてはそこに高さ約5メートルの頑丈な木柱が立てられ、ソールズベリー平原にまた別の象徴的な風景を作り出していたと考えられる。

・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジの不都合な真実… =4/4= ……

「20世紀の完全な作り物」説、何度も大規模修復し隠蔽

・・・・・確かに、この点は説明されるべきだろう。それがないために、ストーンヘンジという古代人による神秘的な遺産は、20世紀に国家ぐるみで脚色して作り上げられたものだという極論まで生まれているのである。

 ただ、ひと昔前までは、絵画のような美術品の修復においてすら、元の状態を想像して、修復師が上から新たに絵具で描き足すという作業が続けられてきた。そのため、オリジナルとの乖離は珍しいことではなかった。同様にして当時、ストーンヘンジの復元にかかわった人々も、現代の感覚からすると違和感を伴うかもしれないが、さまざまな復元方法はあり得、自分たちの活動に誇りをもって取り組んできたものと思われる。そのような意味では、おそらく、復元作業において特別深い意図はなかったものと想像される。

 問題は、やはりイングリッシュ・ヘリテッジが1964年の修復を最後に、その詳細を故意に伏せてきたことにあるだろう。70年代には上からの指示で隠蔽体制が確立されたといわれている。その背景には、観光収入への期待感があったのだと想像されるが、説明不足は否めない。後ろめたいことが何もなかったとしても、今となっては、復元を大胆にやり過ぎた印象は拭えない。

1986年、ストーンヘンジはエーヴベリーの遺跡群と合わせて、ユネスコの世界遺産に登録された。そして、世界で最も有名な先史時代の遺跡として輝かしき地位を獲得している。それは、皮肉にも早期に大胆な復元作業を行い、余計なことは語らない体制を強化してきた成果だったといえるのかもしれない。

 一方、日本の富士山が世界遺産に登録される際、ゴミ問題(環境管理)が障害となった。世界遺産への登録には、そのものの価値以外にも要求される要素は多く、厳しい基準があった。また昨今、日本においては情報公開のやり方とタイミングを失敗して、とても大きな問題に発展するケースが目立つ。

 単に日本人は粗探し好きにもかかわらず、情報公開が下手である可能性もあるのかもしれないが、時代とともに我々の価値観も変わり、イギリスにおいても情報公開の必要性がもっと叫ばれるようになるのではなかろうか。     (文=水守啓/サイエンスライター)

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= Stonehenge was reconstructed after WWⅡ =

・・・・・・・・・・☆・・・・・・・・・・・

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◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/06/29/(水)

2022-06-29 05:35:51 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年06月29日 ⰧⰂⰧ

☆   松尾芭蕉の一行が中尊寺を訪れるも、お目当ての金色堂と経堂は責任者が留守だったので見学できず。松尾バションボリ・・・・・(1689年)。

  ビートルズが日本にやって来た。ヤァ!ヤァ!ヤァ!(1966年)。

  総理大臣指名選挙で、自由民主党を裏切った水玉ネクタイの元総理が再チャレンジするものの、古巣が推した眉毛の爺さんに敗北(1995年)。&so、ソウル・三豊百貨店がほぼ全壊し、512人が死亡した厄日でもある。

J.Smith, C.Adderley, .Brubeck and C.Mingus live / World of Jazz

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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