goo blog サービス終了のお知らせ 

【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

石の絞首台/ストーンヘンシ16/mn ; 歴史深層(036)

2022-07-28 05:35:59 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月28日<ⰧⰊⰧ

☆★ 七(な)二(に)八(は)の日。この日も電化製品を買う客はヨドバシ梅田でかわずかに難波のビックカメラ・ヤマダ電機へと流れ、またナニワナンバーの車も黄色い信号で進むことに特別変わりは無い。☆★ 隣の国に後れること1000年、ようやく日本でも貨幣による納税に切り替わる(1873年)。☆★ 大日本帝国が蒋介石の息の根を止めようとしてベトナムへの進軍を全域に拡大し、アメリカをブチ切れさせる(1941年=仏印進駐)。だが皮肉にも、アメリカも24年後に同じ様なことをやる破目になる。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模 =3/3=  ◆◇

火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味

 発見されたブタの骨の同位体分析からは、それらが全て地元で調達されたわけではなく、ウェールズやスコットランドを含む全島からブタ宴会にやって来た人々が、それぞれの土地からブタを連れて来ていたことがわかった。こうした証拠は、ストーンヘンジや周辺の遺跡群が、ブリテン島全域の住民にとっての儀式の場だったことを裏付けている。この村はやがて打ち捨てられ、代わりにブリテン島で最大の「ヘンジ(環状遺跡)」となる巨大な円形の土塁が造られた。

 近年、深さ60センチほどの穴が複数発見され、ダーリントン・ウォールズの近くに巨大な木造構造物があったことが示唆されている。穴は1.6キロ以上に及ぶ円弧状に配置され、全体で300個ほどあるようだ。かつてはそこに高さ約5メートルの頑丈な木柱が立てられ、ソールズベリー平原にまた別の象徴的な風景を作り出していたと考えられる。

ウッドヘンジ

 ダーリントン・ウォールズの南にも「ウッドヘンジ」がある。1925年、飛行士のギルバート・インサールが上空から撮影した写真によって存在が確認され、後にウェールズ出身の考古学者モード・カニングトンが発掘を行った。

 カニングトンのチームが1929年に調査を終える頃には、航空写真に写った環状に並ぶスポットが、柱を立てた穴だったとわかった。中には8メートル近い高さの柱もあったと推測された。外側を土手と溝に囲まれて6つの環状に配置された木柱は、かやぶき屋根を支えていた可能性がある。中心には、割れた子どもの頭蓋骨が埋葬されていた。カニングトンはこれを生贄だと考えたが、調査のために持ち出された遺骨はその後紛失し、詳しく調べられたことはない。

 最近では2009年にSRPが、「ウェスト・エイムズベリー・リング」またの名を「ブルーストーンヘンジ」を発見したと発表した。エイボン川に近い側のアベニューの終点で見つかった、高さ2メートル近い立石からなる円形の構造物だ。

石の環は死者を、木の環は生者を

 一連の構造物は互いに関連し、文化的な関係や宗教的な意味でつながりがあったと考えられている。人々の信仰が具体的にどのようなものだったのかは、当然ながら何世紀にもわたって問われ続けてきた。SRPも2003年から2009年の間、遺跡群を何十回となく発掘し、造った人々の意図を探ろうとしてきた。

 明らかなのは、ストーンヘンジと周辺の遺跡群が全て、生と死にまつわる儀式に関わっていたということだ。SRPによると、ストーンヘンジの周辺ではわかっているだけでも63回、火葬が行われている。新石器時代のヨーロッパでは最大級の火葬場だったのだ。

 パーカー・ピアソン氏の調査チームが、オーブリー・ホールの一つで発見された数十体分の火葬人骨を分析したところ、多くの人はこの土地の生まれではなかったことが判明した。ストーンヘンジが古代のブリテン島全域から人々を引き付けていたことを支持する証拠だ。これらの遺跡群は、地域を統一する力として機能していたのだろうとチームは考えている。

 20世紀の天文学者ジェラルド・S・ホーキンズは、ストーンヘンジを「新石器時代のコンピューター」と表現した。巨石が天文現象に調和するように、意図をもって配置されているからだ。最も有名なのは6月の夏至と12月の冬至だ。しかし考古学者たちは、ストーンヘンジが単なる暦ではなく、生と死にまつわる宗教儀式を含め、様々な目的のために使われたと考えている。

 SRPは、ストーンヘンジは火葬された人々の存在に支えられた、祖先崇拝のための場所でもあったと考えている。また、ストーンヘンジの巨大な環状列石と、それによく似たダーリントン・ウォールズの環状木柱列との象徴的な関係も探究している。石の環は死者を、木の環は生者を表しており、それらを結ぶアベニューが、2つの世界のつながりを象徴していたのではないかというわけだ。

文=JULIUS PURCELL/訳=桜木敬子

・・・・・・・明日に続く・・・

…… …… 参考資料: ストーンヘンジに集い祝宴を開く古代人(1/2) …… ……

 ストーンヘンジの近くで発掘された先史時代の牛の化石を分析した最新の研究によると、古代のストーンヘンジ地方では、遠方の巡礼者が家畜を連れて集まり祝宴を開いていたという。 イングランド南部のソールズベリー近郊にある巨石遺跡ストーンヘンジについては、古代人が遠く離れた場所から集まり重要な祝祭儀式を行っていたという学説があり、今回発掘された化石はこれを支持するものであるという。そのような祝祭は年によって開催される日が変わっていたと考えられている。

 研究チームの一員でイギリス自然環境研究会議(NERC)のジェーン・エバンズ氏は、「宗教的な祝宴で食するために解体された牛は、はるかウェールズからやって来た可能性もある」と、今週リバプールで開催されたイギリス科学振興協会科学祭(British Association Festival of Science)で発表した。

 今回の発見は、ストーンヘンジから3キロほど離れたダーリントンウォール遺跡にある石器時代後期の村で最近発掘された4500年前の牛の歯と骨に基づいている。「祝宴を開くため大勢の人がストーンヘンジ地方に移動して来たことを示す物証を手に入れた」とエバンズ氏は語る。

 研究チームは、牛の歯のエナメル質に残っていた化学元素ストロンチウムの原子の同位体を分析した。原子を分析することにより、牛が生息していた地域に関する地質学的な情報が化学的に判断できる。「ストーンヘンジ周辺を含めイングランド南部は石灰岩を大量に含む白亜質の土壌が特徴的であるが、調査の結果、1頭を除いて、この土壌範囲以外の土地で飼育されていたことがわかった」とエバンズ氏は説明する。

 そして、2頭の牛の歯は、イングランドの外部からやって来たことを示したという。エバンズ氏は「この牛たちは、比較的古い岩盤上に形成された土壌で飼育されていた。そのような岩盤は、ウェールズやスコットランドまで行かなければ見つからない。この2カ所のうち、ウェールズの方が可能性が高い。ストーンヘンジに近く、ほかにも考古学的なつながりが確認されているからだ」と語る。例えば、ストーンヘンジ遺跡自体にウェールズ南西部から運ばれてきた青石が使われている。

・・・・・・明日に続く

○○-----○○-----○○-----○○-----○○

= Woodhenge = 

・・・・・・・・・・☆・・・・・・・・・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/e77412e99b0f5b41c16e8aab05c162d5

後節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/1295de492ddd893aac5fc1cbb2cb7817

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】 :https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水総覧】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/27/(水)

2022-07-27 05:35:48 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月27日 ⰧⰂⰧ

 フランスにて時代錯誤的な絶対王政しか頭にない国王と貴族連中に対し、大商人と銀行家と株屋が革命を起こす(1830年=フランス7月革命勃発)。

 洋行帰りの一船客がコレラをお土産として持ち込み忽ちのうちに大流行、7,500人以上がこれでイってしまう(1916年)。

 田中角栄がピーナツ5個をもらった嫌疑で逮捕される(1976年=ロッキード事件)。

『カラヤンのモルダウ』伝説のDAM超高級45回転重量級レコード
 

       _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

 

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


石の絞首台/ストーンヘンシ15/mn ; 歴史深層(035)

2022-07-26 05:35:43 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月26日<ⰧⰊⰧ

☆★ アメリカ合衆国に無理矢理連行されて奴隷にされていた黒人が、晴れて自由の身になって帰郷してリベリアが独立(1847年)。その後の列強の植民地化の嵐の中でも独立を保ち、内戦をも経験しながらも今日まで主権国家の体を保っている。☆★ キューバでカストロがスカトロ活動を開始(1953年=キューバ革命の端緒)。☆★ イラクで自衛隊がいるところが非戦闘地域となる(2003年)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模 =2/3=  ◆◇

火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味

2000年がかりで建造されたストーンヘンジ

    第1段階(紀元前3100〜2935年)

   第2段階(紀元前2640〜2480年)

   第3段階(紀元前2500〜1600年)

 かの有名なストーンサークル(環状列石)の建造が始まったのは紀元前3000年頃、グレーター・カーサスの数百年後のことだ。最初に、環状に築かれた二重の土手と、その間に掘られた溝ができた。その中心に馬蹄型に並べられた「トリリトン」(2つの石柱の上に1つの横石を渡したもの)とその周囲の環状列石は、紀元前2500年頃に完成した。

 使われた巨大な石は「サーセン石」と呼ばれる砂岩の一種だ。1つが25トンほどにもなり、30キロ余り離れた場所から運ばれてきた。一方、これらとともに80個ほど並ぶ、より小さな板状の石は、「ブルーストーン」と呼ばれるドレライト(粗粒玄武岩)だ。こちらはサーセン石よりもはるかに遠い場所からやって来た。

石はどこから、どうやって運んだのか

 1つが4トンほどあるブルーストーンは、陸路で200キロ以上離れたウェールズ南西部のプレセリ山地から運ばれた。この仮説は1920年代に初めて提唱され、2000年代の地質学的調査によってカーン・ゴイドグおよびクライグ・ロース・イ・フェリンが採石場所だと特定された。

 石が実際にウェールズからソールズベリー平原までどのように運ばれたのかについては、まだ議論が続いている。氷河によって偶然運ばれたとする説も過去にはあったが、今では人力で運ばれたとの見解で大半の学者が一致している。運搬方法や、陸路か水路のどちらで運んだのかという点に関しては不明だ。船やいかだに載せて海岸沿いに運び、河川を伝ってエイボン川から引き上げたとする説もあれば、目撃した人々に印象付けるために、そりに載せて地面を引きずって運んだとする説もある。

 なぜブルーストーンが選ばれ、多大な労力を費やしてウェールズから運ばれたのかは定かではない。最近、ストーンヘンジで発見された遺骨の同位体分析を行ったところ、ブルーストーンの採石地の出身者であることがわかった。この場所まで石を運んできた労働者たちの遺骨ではないかという説もある。

儀式的な意味合いをもつ配置

 現在の考古学者たちは、ストーンヘンジを中心とするモニュメント群が儀式的な意味合いをもつように配置されていると考えている。紀元前2500年以降に造られたアベニューは、ストーンヘンジとエイボン川をつなぐ間に聖域同士を結んでいる。アベニューの向きは、夏至の日の出と冬至の日の入りの方向に一致するため、新石器時代の人々がどれだけの天文学的知識を利用したのかという謎が生まれた。

 ストーンヘンジ周辺の遺跡は、象徴的かつ物理的にストーンヘンジと結びついている。ストーンヘンジのおよそ3キロ北東には「ダーリントン・ウォールズ」がある。それ自体が巨大な円形の土塁跡からなる複合遺跡だ。この土塁が造られる前には大きな村があったと考えられている。

 ダーリントン・ウォールズの重要性は近年、より明らかになってきた。2000年代初頭、英シェフィールド大学のマイク・パーカー・ピアソン氏が共同で率いた「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト(SRP)」(ナショナル ジオグラフィック協会も資金を提供している)によって、何百もの住居跡からなる新石器時代の村落跡が発見された。村にはストーンヘンジを造った労働者が暮らしただけではなく、ブタなどを焼いて食べる大規模な宴会に参加した巡礼者たちが滞在したと考えられている。

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡 (2/2) ……

地下遺跡の用途

新たに発見された17の遺跡は、多くが神殿のような構造に見える。ストーンヘンジが最も盛んに使われたのと同時期の小さな円形の構造物が、中心にある石の輪の周囲に配置されている。ガフニー氏は、イエス・キリストが磔刑に処せられるまでの道のりを再現する儀式「十字架の道行き」(Via Dolorosa)を例に挙げ、新石器時代にもそれに似た儀式があったのではないかとの見方を示している。

「我々はここで、儀式としての行列や礼拝という概念の誕生を目にしているのかもしれない」とガフニー氏は話す。

4000年以上前にイングランドのソールズベリー平原に建てられた、この謎めいた環状列石は、数世紀にわたって人々に畏怖の念を抱かせ、関心を呼んできた。

手掛かりとすべき文字記録がないことから、この不可思議な巨石建造物をめぐって無数の仮説が唱えられてきた。ケルト人、古代ケルト宗教のドルイド教、ローマ人、さらにはアーサー王伝説との関連まで主張されている。もともと現在のような馬蹄形として作られたのか、完全な円形に石を配置していたのかといった建造当初の形も、盛んな論争の的だ。

今年の夏、ストーンヘンジ一帯でたまたま乾燥気候が続き、かつて石が置かれていたことを示す地表近くの跡があらわになった。しかし、驚くほどの豊富な遺跡が地中に隠れているとは誰も予想しなかった。

◆最新技術で進む調査

高度なリモートセンシングと地下マッピングは、ストーンヘンジに関する知見だけでなく、考古学の方法自体も変えつつある。

スコットランド北方のオークニー諸島でも最先端技術による調査が行われ、ストーンヘンジよりも500年以上古い、全く未知の巨大かつ複雑な新石器時代の神殿群の存在が明らかになった。考古学者らは、この遺跡がストーンヘンジ建設に影響を与えた可能性もあると考えている。

○○-----○○-----○○-----○○-----○○

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/93988de9c7f425af3c1cb7eaa1d5d7b3

後節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/fb350c1f885bcb27d3da4315435a26b1

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】 :https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水総覧】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/25/(月)

2022-07-25 05:35:25 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月25日 ⰧⰂⰧ

  日本へ伝来した料理は何でもうまくなる法則の原因物質を池田菊苗が「味の素」として抽出(1908年)。

  イタリアに20年以上も君臨した国家指導者・ベニート・ムッソリーニが、突如クビになるばかりかお縄にされる(1943年)。

  マスミカレーの新商品発表会が本社のある和歌山市で行われる。ミキハウスをイメージブランドとするメディアミックス計画も発表され、マスコミ関係者も多数詰め掛けた(1998年=和歌山毒物カレー事件発生)。

ヘンデル 「水上の音楽」 アラ・ホーンパイプ バロック管弦楽団演奏
 

       _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/24/(日)

2022-07-24 05:35:36 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月24日 ⰧⰂⰧ

 広島は呉で息抜き中の海軍の戦艦が、空から米軍の爆弾をお見舞いさせられる。このため比較的被害が軽微な戦艦はそのまんま対空高射砲に転用されることに(1945年=日本本土空襲始まる)。

 大リーグの逆転ホームランをめぐって裁判に発展、26日間も試合が中断する破目に(1983年=パインタール事件)。

 1年後にテレビを買い換えられない貧乏人がテレビ放送を視聴できなくなる日を控え、それに先駆けてテレビを視れない憂き目に遭った珠洲市を舞台にしたLIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語 が撮影される(2010年=地上波のアナログテレビ放送・アナログBS放送が終了)。

バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番 第一楽章、アレグロ
 

       _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


石の絞首台/ストーンヘンシ14/mn ; 歴史深層(034)

2022-07-23 05:35:04 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月23日<ⰧⰊⰧ

☆★ ロシアから来たご浪人が我が国固有の領土の一つでウロチョロしていたので、ひっ捕まえて函館へ連行する(1811年=ゴローニン事件)。☆★ エジプトで勝手放題やらかしていたデブの王様が軍部に追い出される(1952年=エジプト革命)。それ以降今日に至るまで同国は軍部の意向で政治が左右されることに。☆★ 前の総理の消費税&汚職事件に現職総理の指三本のトリプルパンチによって、日本の国会に捻じれが出来始める(1989年)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模 =1/3=  ◆◇

火葬、宴会、「木」のヘンジ…解明される遺跡同士のつながりと意味

 世界で最も有名な先史時代のモニュメントと言えばストーンヘンジだろう。英国ロンドンから南西へ約150キロのソールズベリー平原に4500年前から立つ、謎に満ちた巨大遺跡だ。周囲に点在する関連の遺跡群とともに、1986年にユネスコの世界遺産に登録された。

 この20年で考古学者たちは、周辺の様々な証拠をつなぎ合わせ、建造にあたった新石器時代の人々について実に多くのことを明らかにしてきた。天文学の知識と土木技術、そして強い決意をもつ古代人が建てたストーンヘンジは、後世の人々の想像力を何千年もの間かき立ててきた。

あの魔術師と王の伝説も

 ストーンヘンジにはさまざまな仮説がある。なかでも最も有名かつ空想的な仮説は、アーサー王伝説に含まれる物語だろうか。12世紀の年代記作家ジェフリー・オブ・モンマスは著書『ブリタニア列王史』のなかで、魔術師のマリーンがアイルランドから石を運んだと書いた。

 同じく12世紀の作家であったヘンリー・オブ・ハンティングドンはこう表現している。「驚くべき大きさの石がまるで門のように立てられ、門の上に門が置かれているかのようだ。また、それらの石がいかにしてあの高さまで持ち上げられたのか、そもそもなぜあの場所に立てられたのか、誰にもわからないのである」。ストーンヘンジの名は、ヘンリーがモニュメントを「Stanenges」と呼んだことから来ている。アングロ・サクソンの言葉で「石の絞首台」という意味だ。

 17世紀にはさらに多くの仮説が登場した。イングランドの建築家イニゴー・ジョーンズは、古代ローマ時代の神殿に違いないと考えた。哲学者ウォルター・チャールトンは、バイキングの手によるものだと主張した。

Ground Penetrating Radar at Stonehenge

 遺跡を初めて丹念に調べたのは、17世紀の学者ジョン・オーブリーだ。彼は古代ブリテンのドルイドがストーンヘンジを建てたと考えた。1660年代に調査したオーブリーは、巨石を囲む土塁のすぐ内側に56個の穴が並んでいるのを発見した。彼の名を冠して「オーブリー・ホール」と呼ばれるこれらの穴には、木の柱が立っていたと現在の研究者たちは考えている。

 18世紀にも調査は続けられ、学者のウィリアム・ストゥークリーによって「アベニュー」が発見された。エイボン川とストーンヘンジをつなぐ長さ3キロ余りの道だ。オーブリーと同じくストゥークリーも、ストーンヘンジを造ったのはドルイドだと考えた。

 19世紀になると、建造時期が先史時代にさかのぼる可能性が検討され始める。1900年に始まった修復作業に基づき、ウィリアム・ゴーランドはストーンヘンジが後期新石器時代または前期青銅器時代のものであると推定した。これが、今日の研究の土台にもなっている。

ストーンヘンジはいつできたのか

 エイボン川沿いには、ストーンヘンジに関連する新石器時代の遺跡が複数並んでいる。この土地は、後退する氷河に削られてできた地面の溝が、偶然にも夏至と冬至における太陽の方向と一致したため、特別な場所とされたのだろうと考えられている。

 人間の手になる最初の遺構の一つが「グレーター・カーサス」だ。紀元前3500年頃に造られ始めた、低い土塁に囲まれた壕であり、長さが3キロで、幅が100〜150メートルもある。ストゥークリーはこれをストーンヘンジの北およそ800メートルの場所で発見した。グレーター・カーサスの詳細な用途は不明だが、おそらくは儀式に使われたのだろうと推測されている。

・・・・・・・明日に続く・・・

Durrington Walls superhenge

…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡 (1/2) ……

 イギリス南西部の巨石遺跡、ストーンヘンジ周辺の地中に、古代の遺跡、建造物、塚からなる未知の複合遺跡が数千年も眠っていたという驚きの調査結果が出された。研究者らは最新の技術を用いて地下の様子を探り、遺跡の存在を突き止めた。 新たに見つかったのは儀式に使う17の遺跡で、巨大な「死者の家」の跡、数百もの埋葬塚、そしてストーンヘンジの周囲をめぐる行列の道筋と思われる道の跡などが含まれる。

また、ストーンヘンジにほど近い遺跡ダーリントン・ウォールズの場所に、周囲1.5キロに及ぶ「スーパーヘンジ」があった証拠も見つかった。かつては60もの巨石や木の柱が配置されてお、その一部はまだ地中に埋まっている可能性がある。

今回の発見は、ストーンヘンジを取り巻く一帯の高解像度3D地下マップを製作するという4年がかりの事業「ストーンヘンジ地中景観プロジェクト」(Stonehenge Hidden Landscape Project)の成果だ。

英国のバーミンガム大学と、オーストリアのルートビッヒ・ボルツマン研究所の研究者たちがプロジェクトチームを率いている。チームは地下レーダー、高解像度磁気探査機、その他最先端のリモートセンシング機器を使い、深さ約3メートルの地中の状態を地図に表した。

合計で12平方キロ近くが探査機によって「発掘」されたこの調査は、同種のものとしては世界史上最も広大かつ野心的なプロジェクトとなった。

中心となった研究者で、バーミンガム大学の景観考古学教授ビンス・ガフニー(Vince Gaffney)氏は、「地下に遺跡があるとは誰も考えていなかった」と驚く。「ストーンヘンジは単独の遺跡ではなく、豊富な遺跡から成る光景の一部だったことが分かった」。

・・・・・・明日に続く

Astonishing' Stonehenge discovery offers new insights into Neolithic ancestors.

○○-----○○-----○○-----○○-----○○

= ストーンヘンジの秘密が研究により解明!= 

・・・・・・・・・・☆・・・・・・・・・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/fab4eb86be9591941c2b2f43a01e3575

後節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/e77412e99b0f5b41c16e8aab05c162d5

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】 :https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水総覧】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/22/(金)

2022-07-22 05:35:54 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月22日 ⰧⰂⰧ

  円周率の日。3月14日では単純すぎるが、7月22日はなぜこの日なの?と考えさせてくれる。曰く、円周率の近似値が22/7であることから。

 富山県魚津で大量のオバタリアンによる米屋襲撃事件が発生、忽ちのうちに全国に伝染する事態に(1918年=米騒動の発端)。

  FBI直々のご指定の社会の敵No.1が、3発の銃弾で伝説の存在と化す(1934年=ジョン・デリンジャーがFBI捜査官により射殺)。

Eric Clapton - Tell The Truth (Live In San Diego)
 

       _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================

 


石の絞首台/ストーンヘンシ13/mn ; 歴史深層(033)

2022-07-21 05:35:38 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月21日<ⰧⰊⰧ

☆★ 1930年 - 「早起きラジオ体操会」が東京都千代田区の佐久間公園で開始。ハンコ押したのかな・・・・・☆★ 敗戦によって廃止された治安維持法と特別高等警察が、破壊活動防止法と公安調査庁として復活 (1952年) 。☆★ NASAがアメリカ人のクルーを月に拉致したと発表したが「軟弱者のNASAにそんなこと出来るはずが無い」と言いがかりを付けられ、現在まで続く論争の発端となる (1969年) 。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =6/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

 ストーンヘンジから180マイル(約289km)離れたプレセリの丘の北側斜面、「Carn Goedog」より、ソールズベリー平原にはるばる運ばれてきたブルーストーンは、表面をなめらかに磨きあげ、点描や溝の装飾を施された。2個1組で立てられ、その上にまぐさ石が置かれたが、時がたつうちに落ちてしまったのだろう。人々は古い土塁にも手を入れて、北東の入り口を際立たせ、夏至と冬至の太陽の方向と一致する配置を強調した。これはプレセリ山地の石に見いだした意味、あるいは変わりゆく時代に生まれた新しい信仰を反映したものかもしれない。ブルーストーンの登場以降しばらくはヘンジ内での改修が中心だったが、その後、35~45キロ離れたマールバラ・ダウンズからサーセン石が運ばれてきた。いまだ多くの謎に包まれているが、サーセン石の構造物も、何かの意図があって造られたことは確かだろう。

 環境考古学者マイケル・アレンは、ストーンヘンジが変遷を重ねた間この地に暮らしていた人々の日常を明らかにした。ストーンヘンジ周辺では、畑に生える雑草の花粉や炭がら、環境の変化を物語るカタツムリの殻などが見つかり、一帯の土地はすでに開墾されて牧畜や耕作が行われていたことがわかった。ストーンヘンジがどんな存在だったにせよ、共同体のなかに深く根ざしていたことは確かだ。「ときによって、宗教儀式や競技大会に使われていた可能性も十分あります」と、アレンは推測する。

新たな発掘調査

 アベニューがエーボン川まで延長された年代が判明すれば、ストーンヘンジと川の間に儀式的な結びつきが生まれた段階がはっきりする。1935年に発掘されて、その後埋めなおされた火葬遺骨をもう一度掘り出せば、最新技術で精密な分析ができるだろう。

 今年4月、ダービルとウェインライトが指揮する調査チームは、サークル内の発掘調査を2週間にわたって行った。ブルーストーンが最初に運ばれてきた時期を特定する証拠を掘り出すのが目的で、本格的な調査は実に数十年ぶりであった。

 プレセリ山地ですでに進行中の調査でも、年代を特定できる埋葬物の発見に期待がかかる。人々がプレセリ産の石にこだわった意味を知る手がかりとなるかもしれないのだ。

 ストーンヘンジの成立当時を伝える文字の記録は、残念ながら存在しない。文字をもたない先史時代の文化では、すべてのものは多重の意味をもっていた。たとえば、太陽や月を信奉する神殿は天体の動きを映しとる暦であり、祖先の霊をまつって、病気やけがの治療としての“癒し”を行う場所でもあった。神殿に置かれた石は神々を象徴すると同時に、地位と権力をも表した。しかし、新石器時代のイングランドで続いた巨石建造物の伝統は、ストーンヘンジで終わりを迎える。紀元前1500年ごろから人々の足は遠のき、何世紀にもわたって忘れ去られ、荒れ果てていった。

 謎に満ちた古代の巨石遺跡、ストーンヘンジは以後も時折、歴史上の記録にその姿をとどめてきた。紀元前1世紀、ギリシャの歴史家シチリアのディオドロスは、3世紀も前に書かれて当時はすでに失われていた文書からの引用を記している。それはギリシャからはるか北、今のフランスの対岸の大きな島にある、「ドーム形の神殿と、アポロをまつった壮麗な一画」について書かれたものだった(興味深いことに、アポロは癒しの神でもある)。さらに時代が下ると、詳細な日記を残したことで知られる英国人サミュエル・ピープスは、1668年の夏に馬と案内人を雇ってストーンヘンジを訪れた時の印象をこう書いた。「それまでいくつもの噂を伝え聞いたが、石は想像をしのぐ大きさだった。はるばる見にいく価値はあるが、一体何を目的に使われたのかは、神のみぞ知るところだろう」

次回は“ここまでわかったストーンヘンジ、その謎と壮大な規模”に続く

…… 参考資料: ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘(3/3) ……

新石器時代の建設ラッシュはなぜ起きた?

 ここから1つ、石の建造物が一種の蒸し風呂として使われていたのではという解釈が浮かぶ。共同体の新参者や儀式の参加者が、式典に出る前に体を清めたのかもしれない。もう1つ、単純な解釈として、宴会に出すブタを調理するための薫製小屋という可能性もある。

 セント・ジョン・ブルックス氏は、第3の仮説に関心を抱いている。青銅器時代の幕開けを迎えようとしていた当時、ここは新石器時代晩期の人々が、初めて金属を精錬しようとしていた場所では、というものだ。

持続不可能な建設ラッシュ

 新石器時代の終わりに、ブリテン島のこの地域で何らかの大きな動きがあったことは確かだ。それによっていくつものモニュメントが次々と建設された。

「尋常ではない勢いでした」とレアリー氏は評する。「新石器時代の人々は環境と調和して生活していたと、私たちはつい考えがちですが、環境への配慮のなさは、現代と変わらなかったようです。これらの巨大モニュメントを建造するために、サステイナブルとは言えないペースで障害物を一掃し、木を伐採し、地面を掘り、周囲の環境を破壊していたのです」

 レアリー氏はその背景について、「宗教的な情熱によるものかもしれないし、階級化の進んでいた共同体やその統率者が、富や力を見せつけたいと望んだ結果なのかもしれません」と推測する。

 骨や鹿の角で作ったつるはしで地面を掘り、手編みの籠で土を運んでマーデンヘンジを建設するのに、どれだけの労働力と時間が必要だったのだろう。計算すればその数字は膨大で、遺跡がいかに重要であるかを示すはずだ。

「長年、ストーンヘンジばかりが注目を浴びていますが、マーデンこそ、新石器時代を物語ってくれる場所かもしれません」

文=Roff Smith/訳=高野夏美

○○-----○○-----○○-----○○-----○○

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/30439e0ed7724e2ab34e0f1acac4a96b

後節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/93988de9c7f425af3c1cb7eaa1d5d7b3

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】 :https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水総覧】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/20/(水)

2022-07-20 05:35:57 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月20日 ⰧⰂⰧ

☆   あるリア充によってアドルフ・ヒトラーを爆発させる試みがなされるも、非モテでなかったせいか失敗に終わる(1944年=ヒトラー暗殺未遂事件が発生)。

 アポロ11号が月に着陸(多分)。肝心のウサギは発見されず、世界が絶望する(1969年)。

  ダリの娘を名乗る人物の要請に応じ、ダリのDNA型を採取すべく墓から遺体が掘り出された(2017年)。シュールレアリスムでは、永眠出来ない。

Eric Clapton - My Father's Eyes (Official Music Video) | Warner Vault
 

       _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


石の絞首台/ストーンヘンシ12/mn ; 歴史深層(032)

2022-07-19 05:35:53 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月19日<ⰧⰊⰧ

☆★ この頃から子どもたちに夏休みの宿題が配布される。実際に始めるのは約1ヵ月後からですが。しかし、本日は地球が微笑んだ日。土星探査機カッシーニが太陽の食に合わせて土星全体と地球を撮影した(2013年)。☆★ 太平天国がこの世から消え去る(1864年=曽国藩が天京(南京)を占領し、天京攻防戦が終結)。☆★ レオポンが絶滅(1985年)。最後の個体ジョニーが死亡した。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =5/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

 プレセリ山地の東端、カーン・メニン周辺の露頭からブルーストーンが切り出されていたことは、1923年にすでに確認されていた。その後1991年になって地質学的な調査が行われ、石切り場の範囲が約2.5キロ四方まで特定された。それでも、産地が判明してから80年以上もまともな考古学調査が行われずにきたとあって、英国ボーンマス大学の考古学教授ティモシー・ダービルは、「まったく、信じられないことです」と呆れる。

 ダービルはジェフリー・ウェインライトと協力して、2001年からカーン・メニン周辺の本格的な調査を開始した。ウェインライトは新石器時代研究の第一人者で、1960年代に初めてダーリントン・ウォールズを発掘した人物だ。

なぜ巨石を運んだのか

 プレセリ山地での調査にはボーンマス大学の小さな研究チームも参加した。その一人、講師のイヴェット・スターレンスは、「ここでは不思議なことが起こります」と話す。ある時、岩石露頭の頂上で、とがった岩に体をつらぬかれたキツネの死骸に出くわしたというのだ。「内臓や血がしたたり落ちていました。キツネを捕まえた大型の猛禽が、上空から岩めがけて落としたのでしょう。それにしても、奇妙な光景でした」。ウェインライトは、岩柱が無秩序に立ち並ぶ風景を示して言う。「これは自然のモニュメントです。ストーンヘンジの石は、わざわざ切り出して整形する必要はありませんでした。ここにある岩柱を運ぶだけでよかったのです」

 元々いくつあったかは不明だが、ストーンヘンジには巨大なブルーストーンが80個残っている。最大で高さ1.8メートル、重さは4トンに達し、そのほとんどは乳白色の長石が混じる粗粒玄武岩だ。切り出されたばかりのブルーストーンは雨に濡れると、その名の通り、青みを帯びた光沢を放つ。とはいえ、ブリテン諸島にはほかにもいい石がたくさんある。ウェインライトは言う。「なぜわざわざ400キロもの遠方からブルーストーンを運んだのでしょう? そして、幾度となく手を加えて、建造物を維持していった理由は何だったのでしょうか?」

 この疑問への答えはまだ見つかっていないが、手がかりはある。スターレンスがプレセリ山地の現地調査に着手した日の話をしてくれた。「ウェインライトが、同心円状の模様が彫られた岩を見つけたのです。でも、そんな大発見を目の前にしても、ウェインライトとダービルは英国人らしく、まったくもって冷静でした」

 プレセリ山地の岩に刻まれた同心円模様は「カップマーク」と名づけられた。ほかにもいくつか見つかっているが、推定年代は紀元前3800年から紀元前2000年ごろと幅広い。細かい年代を裏づける材料となる証拠がないのだと、ダービルは言う。おそらく紀元前4000年ごろの人々は、天を突くように岩柱が立ち並び、独特の雰囲気に満ちたこの地を特別な“聖地”ととらえて、建造物を築いたのだろう。そして、別の場所でも同じ模様を刻みこみ、聖地をしのんだのではないだろうか。

 プレセリ山地から切り出した巨石をソールズベリー平原まで運んだ方法についても、議論が百出してきた。かつては、氷河が巨石を押し流したという説もあったが、最新の研究では、それだけで説明するのは無理があるとみられている。やはり何らかの形で、人間が動かしたはずだが、ストーンヘンジまでは最短ルートでも約400キロはある。川を下って、ウェールズの沿岸を進み、セバーン川の河口を渡って、エーボン川上流に至る。当時としてはどれほどの大事業だったのか、今では想像するのも難しい。だがそれでも、人々はプレセリ山地で感じた何か“特別なもの”を、イングランド南部まで運びたいと考えたのだ。

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘(2/3) ……

新石器時代の建設ラッシュはなぜ起きた?

 レアリー氏の努力は実を結び始めている。遺跡の中心部にある、保存状態のいい貴重な石の建造物から、青銅器時代初期の墓や遺物が見つかった。美しく仕上げられた矢じりもその1つだ。装飾用に作られたもののようで、いわば新石器時代の宝飾品といえる。

 マーデンヘンジのすぐ外にある小さな環状遺跡、ウィルスフォードヘンジからは、10代前半とみられる身長約150センチの人骨が発見された。性別はまだ判明していないが、琥珀のネックレスと一緒に約4000年前に埋葬されたことが分かっている。マーデンヘンジの最盛期よりも数百年後のことだ。

「この場所に埋葬されていたことから、青銅器時代になってもなお、新石器時代のモニュメントがいかに重視されていたかが分かります」とレアリー氏。「おそらく、死者を葬るのにふさわしい、神聖な場所として保たれてきたのでしょう」

薫製小屋か、蒸し風呂か?

 石の建造物の中心近くには灰の層が見つかっている。ここで高温の火が長期間にわたって燃え続けていたのだろう。近くでブタの骨がまとまって出土していることから、何頭ものブタを調理したのかもしれない。あるいは、青みがかったサルセン石(イングランド中南部でみられる砂岩の一種)を熱したのかもしれない。付近で見つかったサルセン石のミネラルを調べると、繰り返し高温で加熱された痕跡がある。

「火事があったということではありません」と話すのは、レディング大学で地質考古学を専攻する学生、エルスペス・セント・ジョン・ブルックス氏だ。彼女は土の床部分から見つかった微量の元素を分析し、火の用途を突き止めようと試みている。「炎は地面を10センチの深さまで焦がしています。かなり熱かったことでしょう」

・・・・・・・・・明日に続く

○○-----○○-----○○-----○○-----○○

= Durrington Walls superhenge = 

・・・・・・・・・・☆・・・・・・・・・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/b8b16d53143f44cfcf567877a5ad43ce

後節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/fab4eb86be9591941c2b2f43a01e3575

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】 :https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水総覧】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/18/(月)

2022-07-18 05:35:40 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月18日 ⰧⰂⰧ

  ローマの皇帝陛下が、自分のコンサートの演出をワイルドにしようとただでさえ暑い首都で大規模なファイヤーストームを実施し(64年= ローマ大火起)、余興としてキリスト教信者に対するSMプレイを行う。

  サイパン島で日本人が軍民問わず自殺した上にアメリカ合衆国の占領を許した責任を取って、東條英機が総理大臣・陸軍大臣・軍需大臣を辞めてしまい内閣も巻き添えを喰って崩壊(1944年)。

☆   アンチがコンテンツ制作元をファイヤー!(2019年)してしまう。犯人を筆頭にアンチ巨人、アンチ男性向けR18など、気にいらぬ事物を焼く、度を超したアンチ活動が、各界隈で非難を浴びる。

Wynton Marsalis Eric Clapton Just A Closer Walk With Thee DVD Rip1
 

       _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


◎_今日の足跡が記録帖_◎

2022-07-17 05:35:37 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月17日 ⰧⰂⰧ

  カリフォルニア州に『三っ木さんの国』がオープンする(1955年)。今日では、17番とのだき合わせで日本人が・・・・・

  テレビに来たぞ、我らのウルトラマン(1966年)。

☆   3人組のアイドルユニット・キャンディーズが突然、普通の女の子に戻ってしまう(1977年)。- - そげんこっどうでもよか!!? 石原裕次郎が忌日(1987年)でありまする。

Eric Clapton - Over the Rainbow (with lyrics)
 

       _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


石の絞首台/ストーンヘンシ11/mn ; 歴史深層(031)

2022-07-16 05:35:34 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月16日<ⰧⰊⰧ

☆★ メッカでブーイングの嵐だったムハンマドがメディナに逃げる(622年)。即ち、メッカからメディナにヒジュラ(移住)なされた。イスラム教の暦では、これが紀元1年の1月1日らしい。☆★ 本能寺の変でイワされた織田信長の跡目を決める会議が清洲城で開かれ、三法師を擁護する羽柴秀吉の専横が始まる(1582年)。☆★ アメリカはニューメキシコ州で、連鎖的な核分裂反応による破壊的現象を以て三位一体を人類の手で具現化させることに成功(1945年=マンハッタン計画)。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =4/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

「硬い石は祖先と男性を、軟らかい木は女性と赤ん坊を象徴しているのです」と、パーカー・ピアソンは話す。

 このような関係が、石で造られたストーンヘンジと木で造られたダーリントン・ウォールズにも当てはまるのではないかと、彼は考える。二つの遺跡からはそれぞれ、エーボン川へと続く「アベニュー」と呼ばれる道が延びているが、ダーリントン・ウォールズのアベニューの長さはわずか167メートルしかない。これに対し、ストーンヘンジのほうは3キロ近くもあり、両側に溝と土手を配したアベニューは、祖先をまつる宗教的な儀式の行列にふさわしいものだった。

 パーカー・ピアソンは、ストーンヘンジとダーリントン・ウォールズの対照性にも注目している。ストーンヘンジの石は、夏至の日の出と冬至の日没の方向に合わせて配列されているが、ダーリントン・ウォールズのサザンサークルは、冬至の日の出の方向と一致する。また、ストーンヘンジでは土器類がわずかに見つかっているだけなのに対して、ダーリントン・ウォールズでは土器のほか、人々が食べたとみられるブタなどの動物の骨が大量に出土している。宴が頻繁に開かれていたのだろう。さらに、ストーンヘンジには52体の火葬人骨をはじめ、240人の遺骨が埋葬されていたが、ダーリントン・ウォールズでは人骨はほとんど出土していない。

 パーカー・ピアソンの新説に従うならば、ストーンヘンジは亡くなった祖先をまつる場所、ダーリントンは生者のための場所である。人々は季節ごとに、アベニューと川をたどって二つの場所を行き来した。ほとんどの死者は火葬に付され、灰は川に流されたが、身分の高い者だけ、死後ストーンヘンジにまつられた。英国の考古学専門誌「ブリティッシュ・アーキオロジー」の編集者マイク・ピッツも、「この説には多くの専門家がおおむね賛成でしょう」と語る。

ただ、細部には問題が残っている。ストーンヘンジへの死者の埋葬は、石器時代以前には一般的だったというのが、研究者の一致した見解だが、パーカー・ピアソンは、石器時代にも埋葬が続いていたと主張する。しかし、ストーンヘンジ周辺からは、耕作や放牧といった生者の営みの証拠が数多く見つかっている。そんな場所で死者のための儀式を大々的に行っていたとは考えにくいし、サーセン石がストーンヘンジに初めて運ばれた時期についても、意見が分かれている。エーボン川に続くアベニューは、ストーンヘンジとダーリントン・ウォールズを結ぶ重要な要素だが、造られた年代についてはさらなる裏づけが必要だ。

 ストーンヘンジとダーリントン・ウォールズで行われた活動の相互の関連については解明すべき謎も残っているが、マイク・ピッツはこう話す。「パーカー・ピアソンの解釈で評価すべき点は、石と祖先を結びつけた発想だけではありません。これまでは、個々の遺跡がばらばらに研究されてきましたが、彼は、この地に生きた人々と遺跡の全体像をとらえようとしたのです」

 遺跡から遠く離れた場所でも、ストーンヘンジの真実に迫ろうとする別の調査が進行中だ。ウェールズ南西部のプレセリ山地にある小さな発掘現場では、ストーンヘンジに使われた最古の石、ブルーストーンを産出した石切り場の調査が進んでいる。ここには粗粒玄武岩や頁岩の露頭(岩が地表に露出した場所)があり、ストーンサークル(環状列石)やドルメン(支石墓)などの巨大な石のモニュメントで古くから知られてきた。丘が連なるこの土地には、太古の神秘的な力を宿しているような、どこか魔法めいた独特の雰囲気がある。ブルーストーンの列石は、構造物がそれまでの木造中心から石造へと変化していく重要な転換点だった。

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジの10倍!英国最大の環状遺跡を発掘(1/3) ……

新石器時代の建設ラッシュはなぜ起きた?

英国イングランド南部、ピュージー・ベイル。ここには新石器時代の巨大な環状遺跡「マーデンヘンジ」がある。地上からは、その大きさを感じるのは難しい。

 かつては高さ3メートルの壁が約15ヘクタールの土地を取り囲んでいたが、数千年の間に少しずつ失われていった。この一帯は昔から農業に利用されてきた肥沃な土地だった。今はスゲやイラクサに覆われ、ウシやヒツジが草を食んでいる。晴れた夏の日にマーデンヘンジに立ち、辺りを見渡しても、草が風に揺れる平和な農場にしか見えない。

 しかし4500年前の新石器時代、ここはさながら、優れた技術の展示場だった。マーデンヘンジは、15キロほど南にあるストーンヘンジと比べて10倍も大きい。

 マーデンヘンジがなぜ造られたのか、また、新石器時代になぜここで熱狂的なまでの建設ラッシュが起きたのかは誰にも分からない。この周辺には、エイボン川に沿ってストーンヘンジやエーヴベリー、ダーリントン・ウォールズ、シルバリーヒルといった環状遺跡が、数キロおきに点在している。英レディング大学の考古学者、ジム・レアリー氏は、この古代の謎を解明しようとしている。

 今年7月、レアリー氏は公共団体「ヒストリック・イングランド」と協力し、3年にわたるマーデンヘンジの発掘調査に取りかかった。これだけ巨大であるにもかかわらず、これまで考古学者たちはこの遺跡にほとんど関心を向けなかった。注目されるのは見た目のインパクトがより強い遺跡ばかりだったのだ。

「この一帯では、もっと発掘調査が行われるべきです」とレアリー氏は話す。マーデンヘンジが新石器時代の遺跡だと確認されたのは1960年代のこと。それ以降、ここが調査されたのはレアリー氏が主導する2010年と今夏の2回だけだ。

・・・・・・・・・明日に続く

○○-----○○-----○○-----○○-----○○

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/5dc21ba5eaa025cd7c432462394f4c11

後節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/30439e0ed7724e2ab34e0f1acac4a96b

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】 :https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水総覧】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


◎_今日の足跡が記録帖_◎ 2022/07/15/(金)

2022-07-15 05:35:40 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事= 平成4年07月15日 ⰧⰂⰧ

 中にガスが溜まっていた磐梯山が爆発、山頂付近が吹っ飛んで朝湯朝酒どころではなく,477名が犠牲(1888年)。

  日米安全保障条約の改正を無理矢理通した岸信介、ついに総理大臣の椅子を放り出す(1960年)。その敵討ちということなのか、55年後にその孫が平安法を強行採決で中央突破するも凶弾に倒れるとは夢にも思わず・・・・・

☆  吉野家が倒産(1980年)し、あるボンボンの詩人兼企業家の支援で経営再建を果たすもののコピペとテラ牛丼は今でも名残りとして残っているとのこと。

Eric Clapton-Wonderful Tonight (best version)
 

       _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================


石の絞首台/ストーンヘンシ10/mn ; 歴史深層(030)

2022-07-14 05:35:29 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年07月14日<ⰧⰊⰧ

☆★ 俺達にも貴族や聖職者と同列に扱えと激昂した商人や弁護士さらには一般庶民が、バスティーユの牢屋を襲って武器を取る(1789年=フランス革命の勃発)。なお、かのコルシカの山師はこの騒ぎに無関心だったとか。☆★ 昭和の妖怪が血祭りに挙げられるが、その妖怪ともいうべき生命力と悪運故に少し後に殺される人間機関車の様にはならなかった(1960年)。孫のことは・・・・・☆★ 『ひまわり1号』が米フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられる(1977年)。かくて気象予報士が天気図と睨めっこする時代から衛星写真と睨めっこする時代に。

本日記載附録(ブログ)

グレートブリテン・アイルランド連合王国南部₌ソールズベリー₌の北西近郊に在る環状列石

最も有名な先史時代の遺跡である。この直立巨石はBC2500年~BC2000年の間に建立された

夏至の日、ヒール・ストーンと呼ばれる6mの玄武岩と、中心の祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇る

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

◇◆  沈黙の巨石・ストーンヘンジの謎 =3/6=  ◆◇

周辺での調査により、その真実に迫る重要な手がかりが

ウェセックス考古学会のアンドリュー・フィッツパトリックは、そのうち成人3人の小臼歯と臼歯を分析した。「彼らはともに6歳まで同じ土地で育った後、移住して別の土地で13歳まで過ごしたことがわかりました」

 幼少期を過ごした地域の候補は、グレートブリテン島北西部、ウェールズ、またはブルターニュ半島と広範囲にわたるが、フィッツパトリックはこう強調する。「重視すべきは彼らの出身地ではなく、この時代の人々が、長距離を旅していたという事実です。先史時代のヨーロッパで人々の移動があったことを、この遺骨は如実に物語っています」

 古代ヨーロッパの移民たちはストーンヘンジを見たり、建造に手を貸していただろうか。まったくありえない話でもない。

 最近の調査から、ストーンヘンジを利用していたことが確かな共同体について、数々の驚くべき成果が新たに見つかっている。「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト」は、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けて2003年に始まった調査だ。英国シェフィールド大学のマイク・パーカー・ピアソンを含む6人のチームリーダーの指揮のもとで、ストーンヘンジ一帯の発掘作業を進めている。特に力を入れているのが、直径約450メートルもある巨大なヘンジ、ダーリントン・ウォールズの調査だ。

 ストーンヘンジから3キロ北東に位置するダーリントン・ウォールズは、1812年には早くもその存在が知られ、1960年代にも発掘が行われていた。巨大なヘンジの内側と周囲には、木造の環状構造物が三つあり、柱穴の跡が残っている。そのうちノーザンサークルとサザンサークルはヘンジの内側にあり、後の時代に造られたウッドヘンジは外側にある。「構造物の内部は、何本もの柱や仕切りで目隠しされていたようです。秘密の場所だったのでしょう」と、英国ブラッドフォード大学で木造の環状建造物を専門に研究しているアレックス・ギブソンが説明してくれた。

広大な住居跡の発見

 ダーリントン・ウォールズでは最近、ヘンジの土塁の内側から、見上げるように高く、溝と柵で囲われた二つの構造物が発掘された。ヘンジ全体を監督する高官の住居か、宗教的な儀式の場だったと考えられる。ヘンジの外側にある土手からは、紀元前2600~紀元前2500年ごろのものと見られる7軒の小さな住居の跡が見つかった。家の前からは、燧石(フリントとも呼ばれる硬質の堆積岩)を敷きつめた幅30メートルの道がエーボン川まで延びていた。

 パーカー・ピアソンは、住居跡の一つに足を踏み入れ、床の中央を指差した。石膏でできた床には、楕円形の炉床が切られている。「周りにあるのは、おそらく、炉を囲んだ人々が残した、かかとかお尻の跡でしょう」と、実際にしゃがんでみせてくれた。家の片側には、料理をした痕跡が残っている。木製のベッドの跡など、5軒の家からは家具を使っていた証拠も見つかった。さらに、地球物理学的な調査や試掘調査によって、炉床とみられる多数の痕跡がこの一帯から見つかった。「住居の数は、300軒はあったようです」と、パーカー・ピアソンは言う。

 マダガスカルで現地調査をしたことのあるパーカー・ピアソンは、その経験をもとに、ダーリントン・ウォールズについて大胆な仮説を立てた。それはストーンヘンジの謎に対する、彼なりの“答え”でもある。

 マダガスカルの文化では、石のモニュメントを造って祖先をまつる。肉体が死んだ後に残る硬い骨と死者を永遠にしのぶ思いを石が象徴し、反対に、時間の経過とともに朽ちていく木は、はかない命を表しているというのだ。「硬い石は祖先と男性を、軟らかい木は女性と赤ん坊を象徴しているのです」と、パーカー・ピアソンは話す。

・・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: ストーンヘンジ、地中に未知の17遺跡(2/2) ……

地下遺跡の用途
新たに発見された17の遺跡は、多くが神殿のような構造に見える。ストーンヘンジが最も盛んに使われたのと同時期の小さな円形の構造物が、中心にある石の輪の周囲に配置されている。ガフニー氏は、イエス・キリストが磔刑に処せられるまでの道のりを再現する儀式「十字架の道行き」(Via Dolorosa)を例に挙げ、新石器時代にもそれに似た儀式があったのではないかとの見方を示している。

「我々はここで、儀式としての行列や礼拝という概念の誕生を目にしているのかもしれない」とガフニー氏は話す。

4000年以上前にイングランドのソールズベリー平原に建てられた、この謎めいた環状列石は、数世紀にわたって人々に畏怖の念を抱かせ、関心を呼んできた。

手掛かりとすべき文字記録がないことから、この不可思議な巨石建造物をめぐって無数の仮説が唱えられてきた。ケルト人、古代ケルト宗教のドルイド教、ローマ人、さらにはアーサー王伝説との関連まで主張されている。もともと現在のような馬蹄形として作られたのか、完全な円形に石を配置していたのかといった建造当初の形も、盛んな論争の的だ。

今年の夏、ストーンヘンジ一帯でたまたま乾燥気候が続き、かつて石が置かれていたことを示す地表近くの跡があらわになった。しかし、驚くほどの豊富な遺跡が地中に隠れているとは誰も予想しなかった。

最新技術で進む調査
高度なリモートセンシングと地下マッピングは、ストーンヘンジに関する知見だけでなく、考古学の方法自体も変えつつある。

スコットランド北方のオークニー諸島でも最先端技術による調査が行われ、ストーンヘンジよりも500年以上古い、全く未知の巨大かつ複雑な新石器時代の神殿群の存在が明らかになった。考古学者らは、この遺跡がストーンヘンジ建設に影響を与えた可能性もあると考えている。
Photograph by Ken Geiger / National Geographic Creative  文=Roff Smith

・・・・・・・・・明日に続く

○○-----○○-----○○-----○○-----○○

= 巨石・ストーンヘンジの謎  新世界紀行 =

・・・・・・・・・・☆・・・・・・・・・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/d8f611ade68bff3e08745bb8debce657

後節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/b8b16d53143f44cfcf567877a5ad43ce

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【喜色一笑;歴史自講】 :https://hourou8855desu.seesaa.net/

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水総覧】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

  

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

================================================