偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書216 淡島様(群馬県みなかみ町三国街道)

2023年08月29日 | 里山石神端書

群馬県みなかみ町東峰・野々宮神社の淡島様(あわしまさま)

 野々宮神社の境内に粟島様が祀られています。粟島様の信仰は女性特有の下の病気の治癒。像容は女性の神様で粟を持っています。


 野々宮神社の淡島様は坊主頭ですが女性らしい姿で、右手に粟の穂を持ち、右手は何かの花を持つように見えます。慶應4年(1868)の造立。

 淡島様の本社は和歌山市加太の淡島神社。『日本民俗大辞典』(注)には、「淡島神は住吉神の妃神であったが、帯下の病にかかったために海に流され、三月三日に紀州の淡島に漂着して祭祀される」(注)とあります。
 淡島信仰が各地に広まったのは江戸時代の中期。淡島の神像を入れた笈を背負い、その由緒と功徳を説いて各地を廻り、下の病に悩む女性の代参を請け負った淡島願人の活動があって信仰が広まったようです。ただ江戸時代中期は庚申や月待信仰の講組織が生活のなかに定着していて、粟島信仰を受け入れて石仏まで造立した地方は少なく、知る所では福島県の須賀川、石川地方に集中しているようです。これが石仏関係者に注目されるようになるのは昭和50年からで、次に手元にある石造淡島様を報告した石仏関係書籍をあげておきます。
昭和50年『ふくしまの野仏』には須賀川の淡島様の2基掲載
昭和52年『日本の石仏』№1に生田目秀男氏の「福島県内の淡嶋神像と淡嶋講」
昭和59年『日本の石仏9東北篇』に小坂泰子氏の「東北地方の淡島様とその信仰」
昭和61年『日本石仏図典』に掲載
(注)『日本民俗大辞典』平成11年、吉川弘文館
(地図は国土地理院ホームページより)



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