偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏220男体山(栃木)

2009年10月19日 | 登山

男体山(なんたいさん) 法印行恵(ほういんぎょうえ)

220  【データ】男体山 2486メートル▼25000地図 男体山、日光北部▼最寄駅 東武日光線・東武日光駅、JR日光線・日光駅▼登山口 栃木県日光市の戦場ヶ原から入る志津林道▼石仏 志津林道の上部、最後のカーブから南に約200メートルの山中にある太田和宿

22012202 【案内】太田和の宿は男体山の北山麓にあったかつての日光修験の修行地。そこへ行く道がなくなって久しい今、森のなかに忘れ去られたような静寂の地になっている。その聖域は志津林道の最後のカーブから真南に約200メートルとしか離れていない人界に近い場所だったのにも驚く。宿に残る石造物は金剛堂を中心に二体の金剛童子と僧形像が一体。そして僧形坐像の胸には「法印行恵」と刻まれていたのも驚きである。行恵は日光東照宮の別当・大楽院の僧に違いなく、『日光山と関東の修験道』の「日光山修験道史」(中川光熹著)に「寛永元年(1624)東照宮別当大楽院行恵により出羽三山、特に湯殿山大権現が日光に勧請された。翌年、天海の命により日光に出羽三山の図形が整備されて配置されている」と紹介されている人物である。大楽院は東照宮と同じ江戸時代初期の元和のころの草創。別当として幕末まで東照宮を管理してきた寺である。行恵は日光修験の行者でもあり、出羽三山勧請の功績をたたえられてこの太田和宿に石像として祀られたのであろう。悟りの境地を表わす法界定印を結んだその姿は、静寂そのものである。ここから男体山の登山口・志津は南東の方向になる。

22032204 【独り言】人が歩かなくなった山道が消えるのは早く、途絶えて百年以上も経つ三峰五禅定といわれた日光修験の修行の道のうちのいくつかは、いま森と化して辿ることが不可能になっています。そのような道にあった修行地・宿に祀られた金剛堂や金剛童子も草木に埋もれてしまいました。このような日光の山中に点在する宿や石造物を探し歩いている人もいるようですが、森とかした山中にそれを探し当てるのは容易なことではありません。男体山の北山麓にあった大田和宿はその一人である栃木の斉藤氏から詳細な情報を得てどうにか辿り着くことができました。その太田和宿は車道からそれほど離れていない場所です。しかしGPSで測定した緯度経度や詳細図までいただきながら簡単にはたどり着けないところでした。男体山の北山麓は傾斜が少ない広い大地です。ここに小さな沢がいくつも入っている地形もわかりにくくしています。ここで頼りになったのは取り付き点の目印と磁石。斎藤氏に導かれて、やっと辿り着いたというのが実感です。

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