gooブログはじめました!

新熊野神社・清水寺・六波羅蜜寺

<7月30日の日記>
今年の梅雨はホント雨が多く、なかなかお出掛けもままならない状態でしたが、今日久し振りに京都へ行ってきました。
新型コロナで感染者も増加傾向の中、お出掛けするのもちょっと気が引けましたが・・・(^^ゞ



まずは淀屋橋駅から京阪電車に乗って東福寺駅下車。
そこから徒歩10分弱の「新熊野神社」へ。これで「いまくまの」神社って読みます。「しんくまの」じゃないんですね!(・o・)


東福寺駅から新熊野神社へ向かって歩いている途中、托鉢をする修行僧の集団に出会いました。どこの寺の坊主か知りませんが、独特の大きな掛け声を掛けながら1軒1軒回っていくんですね。


新熊野神社は、熊野神社、熊野若王子神社と共に「京都三熊野」の一つ。後白河上皇の命により、紀伊国・熊野三山の熊野権現を勧請し、熊野三山の新宮・別宮として平清盛によって創建されました。
熊野の土砂や材木を運び込んで社域や社殿を築き、那智の浜の小石を敷き詰めて霊地熊野を再現したそうです。
後白河上皇は生涯34回も熊野三山に参詣するほど熊野権現を信仰されていたそうです。ただ、紀伊国は京からはあまりにも遠い。そこで、熊野権現を勧請し建立されたのですね。

境内の楠は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの御神木(樹齢900年くらいらしい)で、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されているそう。最強のパワースポットらしいですよ!


本殿の屋根には、八咫烏が・・・。なんか「チコちゃんに叱られる」の「キョロちゃん」にも見えないこともないような・・・(^o^)




本殿左手から「京の熊野古道」があり、本殿を時計回りに自然遊歩道をぐるっと回る形で歩けるようになっております。


またここは、観阿弥・世阿弥父子が足利義満の前で猿楽能を舞ったことから「能楽発祥の地」とされています。




新熊野神社からは北の方角にてくてくと約30分歩いて、久し振りの「清水寺」へ。
清水寺は、小学校の修学旅行で初めて訪れて以来、もう何度も足を運んでおりますが、まだ行ったことのない場所があったことに気付き、今回再び訪れてみました。
先頃、清水寺を訪れたお客さんから聞いてはおりましたが、コロナの影響で、あの清水寺でさえ凄いことになっております。観光客がほとんどなく閑散としており、普段なら歩きにくいくらい人であふれかえっている参道もスイスイ歩けてしまいます。土産物店やお食事処も店を閉めて休んでいるところが多いです(>_<)
こんな清水寺は初めてです。写真もばんばん撮れます(^o^)

先にも触れましたが、今回足を運んだのは、まだ観てなかった場所があることに気付いたからでして・・・。
清水寺には2つの三重塔があります。
一つは仁王門をくぐってすぐ右手前方にある朱塗りの「三重の塔」で、もう一つは「清水の舞台」の丁度向かい側辺りに、「子安の塔」と呼ばれる三重塔がありますよね。
この子安の塔を近くで観てみたかったのです。






このあと、にわか雨に見舞われまして20分余りトイレで雨宿り(^^ゞ
「音羽の滝」を経由して、もう一つ訪れたかった「阿弖流為(アテルイ)・母禮(モレ)の碑」を観てきました。26年前に建立された比較的新しい碑です。



高橋克彦の歴史小説「火怨 北の耀星アテルイ」を読むまで、大和朝廷と蝦夷との戦いを知りませんでした。



これで、今回のお出掛けの目的を果たしたわけですが、まだ時間に余裕があったので、久し振りに「六波羅蜜寺」にも足を延ばしました。

すぐ傍は何度か通っているのですが、ちゃんと参拝したのは20数年振りです。
歴史の教科書には必ず出てくる空也上人の像があまりにも有名ですね。
空也が「南無阿弥陀仏」と唱えると、口から六体の阿弥陀仏が現れたと言う伝承を再現したものです。

六波羅蜜寺の境内は自由に参拝できるのですが、宝物館のみ拝観料が必要です。
空也上人立像の他、平清盛坐像、運慶・湛慶坐像など平安から鎌倉にかけての貴重な重要文化財がたくさんあります。
御本尊の十一面観音は12年に一度辰の年にしか公開されないので、また4年後に再訪したいと思います。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事