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bomberjuice ♪今日の1曲♪

「気になる1曲」を勝手に厳選し、それをテーマに一言二言三言。

拝啓、ジョン・レノン / 真心ブラザーズ

2011-12-09 22:27:02 | 邦楽(ま行)
 この曲は、何度も繰り返し聴かせる魔力を持っている。

 初めて聴いたときは、完全に「パクリ」という認識しかなかった。
 ひとことで片付けてしまえば、ミス花子の「河内のオッサンの唄」をモチーフにして楽曲を作り、
吉田拓郎っぽい歌詞で唄っている曲。

 倉持陽一は独特の世界観と表現力を持っている。
 その土台になっているのは吉田拓郎ではないだろうか。
 歌詞の乗せ方、そして世界観。
 「唄」というよりも、メッセージを民衆に向けて叩きつけている。

 いい大人になってもトンガリ続けることは大変なことだ。
 年齢を重ねるにつれて我慢を強いられるようになり、若い頃のエネルギーは失われていく。
 「大人になった」といえば聞こえはいいが、それは「分別」という名の衣服を身につけ、
諦めに似たような感情で無意識的に自分を押し殺していることなのだ。

 彼らが丸くなってしまったら、ただの魅力のないデュオに成り下がってしまう。

ジャングル日和 / モダンチョキチョキズ

2011-05-04 00:12:44 | 邦楽(ま行)
 ここ最近、気分転換したいときにこの曲をよく聴く。

 高音がものすごく抜ける特徴的な声の持ち主、濱田マリ。
 鬱々とした気分のときにこの曲を聴くと、元気が湧いてきて楽しくなってくる。

 この曲、どうしても「不思議ちゃんキャラ」濱田マリの声に耳が行くのだが、
そこをグッとこらえて演奏に耳を向けてみる。

 レコーディングではドラムが江口信夫、ベースが美久月千晴、そしてギターが是永巧一。
 これほどのスタジオミュージシャンが集まれば、演奏が上質なのは当然だが、
ホーンのたくさん入ったアレンジもまた秀逸。
 Bメロに入る前の1小節はフックが効いているし、非常に味のある仕上がりとなっている。

 鬱々とした気分だけでなく、鼻風邪も吹き飛ばしてほしいものだ。

明日、春が来たら / 松 たか子

2011-02-20 19:13:29 | 邦楽(ま行)
 今月の執筆ペースはひどい。
 言い訳をするつもりもないが、疲れるとどうしても執筆意欲が落ちる。
 毎日音楽と接してはいるのだが、漠然と聴いているものだから、書くネタもあまり拾えない。

 話は変わるが、昨夜は目が冴えてしまって眠れなかった。
 一晩中起きていたのだが、だからといって本を読む気もせず、音楽を聴く気もしなかった。
 しかたがないので、とりあえず風呂を沸かして入ることにした。

 真夜中から朝方にかけての時間は、周りの雑音がないので集中しやすい。
 しかし、「対象」がなければ「集中」することはありえない。
 風呂に入りながら何をしようか考えていたのだが、あれこれ考えることに飽きてきたので、
とりあえず少し眠ることにした。

 さて、今回は1997年に発表された松たか子のデビューシングルを取り上げてみたい。
 なぜか。
 花粉症の始まる季節になると、この曲が思い浮かぶからだ。

 音楽的にはものすごく聴きやすい。
 たぶん、彼女自身も唄いやすいのだろう。ナチュラルだ。
 ナチュラルなだけに、なんだかカラオケの延長線上にある感じがしてしまう。
 下手ではないが、上手くはない。
 でも雰囲気は出ている。ただそれだけだ。

 ところが先日、偶然にも2004年のライブ映像を観た。
 ものすごく成長していた。
 表情が生き生きしていたし、何よりも「唄を自分のものにした」という顔つきをしている。
 やはりデビュー当時は硬さがあったのだろう。
 唄っていくにつれて、こなれてきたようだ。

 似たようなアーティストとして、なんとなく今井美樹が思い浮かんだ。

吐息でネット / 南野陽子

2010-12-06 20:14:50 | 邦楽(ま行)
 先日、意外な発見をした。

 運転中、渋滞にハマっていない場合に限るのだが、いわゆる「アイドル」の曲も悪くない。
 軽快なテンポが多いし、サウンドも重苦しくないので気楽に聴ける。
 歌唱力にはクエスチョン・マークだが、雰囲気は悪くないと思えるようになった。
 だからといって、ヘビーローテーションには決してならないが。

 さて、この曲の作詞は田口俊。
 調べてみると、「ウイスキーがお好きでしょ」の作詞をした人だそうだ。
 そして作曲は柴矢俊彦。
 こちらは「おさかな天国」を作曲した人とのこと。

 歌詞を見ると、ネット、つまり「網」で彼のハートを包んで閉じ込めたいようだが、
「ハート」「そっと」「もっと」「ずっと」と韻も踏んでいる。

 明確な意味も持ちつつ、言葉遊びも織り込む。
 これはプロの仕事だ。

 こんなくだらない、そして勝手な考察をしながら、僕はひとりでウヒウヒ言っている。

河内のオッサンの唄 / ミス花子

2010-10-29 20:28:27 | 邦楽(ま行)
 唄というか、ほとんどセリフだ。
 それはまあいい。
 イントロは四分打ちのバスドラムで始まる。
 それもかまわない。
 だが、そのあとがいけない。

 ワウペダルのサウンドが軽い。
 というか安っぽい。

 ファンキーな曲には必須アイテムともいえるワウペダルだが、
このような使い方をされると少し哀しくなる。

ミーハー / 森高千里

2010-09-23 06:11:13 | 邦楽(ま行)
 通勤途中のこと。
 とある古本屋が閉店セールをしているのを見つけ、ふらりと寄った。

 半額セールだったせいか、CDはあらかた売れてしまっていた。
 それでもいろいろ見ているうちに、懐かしさを感じるアーティストがいた。

 森高千里。
 ハッキリ言って今回は衝動買いだが、安かったからいいとしよう。

 ずっと昔、たしか高校生だったと思う。
 森高千里がどんな声をしているかわからなかった僕は、CDをレンタルしてきた。
 当時、音楽はカセットテープにダビングして聴くことが多かった。

 本人が作詞した歌詞が斬新で、インパクトがあった。
 ただ、それだけだった。
 テープは数回聴いただけで、ラックの奥にしまわれた。

 だから今回、20年ぶりくらいに聴いたのだが、確かに懐かしかった。
 もっとテンポが速いように記憶していたが、意外に遅かった。
 人間の記憶なんて、あてにならないものだ。

 もっとも、20年も経てば記憶も風化する。

 時間。それは万人に、それも平等に与えられた唯一無二の贈り物だ。
 20年という時間は決して短くはないが、僕だけに与えられたものではない。

 そして忘却。それは人間の持つ能力のひとつだ。
 忘却という能力がなければ、記憶はどこまでも膨張していき、
人間は記憶に押しつぶされてしまう。

 今回も数回リピートして聴いたが、しばらくは奥にしまわないでおこう。

からいかれ / 松 たか子

2010-09-18 08:28:51 | 邦楽(ま行)
 「辛いカレー」と「カライ彼」のダブルミーニング。
 J-POPにラップを混ぜているので、サウンド的にはミクスチャー系ということになるのだろうか。

 ♪ニンジンむいたら切って 放り込む in the 鍋

 こんな歌詞がいかにも混合的だ。

 松たか子を「歌手」と呼ぶことには、正直言ってものすごく抵抗がある。
 だが、この唄は彼女にマッチしているように思う。
 なぜだろうか。

 「カレーを作る」という、あまりにも日常的なシーンを切り取っているが、
「日常的」である以上、素人っぽい唄い方のほうがいいのだ。
 あまりにも上手く唄ってしまっては「非日常的」になってしまう。

 だから、こういうタイプの唄は気軽に口ずさめる程度の軽さが必要だし、
それが共感を呼ぶ。

 まあ、何事にも例外はある。
 たとえば、Dreams Come Trueの「あなたにサラダ」がそうだ。
 歌唱力のある人が、肩の力を抜いてコケティッシュに唄うと可愛げがある。
 これは吉田美和に限ったことではないが、もともと歌唱力のある人がこういう「変化球」を投じると、
僕はそのギャップに意表を衝かれ、それと同時にその人の音楽性の広さに感嘆する。

 そういえば、先日の帰宅途中、某カレーショップに行き、ホウレン草とチーズのカレーを食べた。
 ……700グラムも。

愛の水中花 / 松坂慶子

2010-07-28 03:29:49 | 邦楽(ま行)
 知ってはいるものの、よく知らない。
 一見矛盾するようだが、この手の曲はカラオケではよく耳にするものの、
原曲を耳にする機会があまりない。
 したがって、本人がどんな唄い方をしているのかがわからないのだ。

 今回改めて聴いてみた。
 松坂慶子は女優が本業なので、あまり歌唱力は期待していなかったのだが、
予想していたよりも巧かったので驚いた。

 作家である五木寛之が作詞しているのも初耳だった。

 意外な発見があると、なぜか少し嬉しい。

オーバーヒート.ナイト / 森高千里

2010-06-19 09:35:22 | 邦楽(ま行)
 「いかにも80年代後半」というサウンド。
 こう書くと、なにやら揶揄しているように聞こえるかもしれないが、
それは大いなる誤解というものだ。
 メロディーラインもアレンジも嫌いではない、ということを申し上げておきたい。

 リズム隊は打ち込み。それが当時の主流だった。
 当時の技術力からすれば高度なことをやっていたのだと思うのだが、
現在のそれと比較してしまうと、どうしても時代を感じてしまう。
 それはそうだ。今から20年以上も前、ちょうどカラオケが一般的になってきた頃だ。

 そう、「安っぽいカラオケサウンド」という表現がピッタリくる。

 ところで、この森高千里。
 どのように売りたかったのかがよくわからない。
 アイドル路線で売りたかったのか、それとも女性シンガーとして売りたかったのか。

 曲の途中でセリフが入る(こんなアレンジも当時けっこう流行った)のだが、
実はこの「セリフ」というのが難敵だ。

 アイドル路線で売るのであれば、男に媚びるような言い方だったり、
ベタベタ甘えるような声もアリだと思う。
 でも、彼女はそうしなかった。
 ということは「脱・アイドル路線」だったのだろう、と僕は推測する。

 しかし、このセリフを聴けばわかるが、思いっきり「棒読み」だ。
 セリフは「読み上げる」ものではない。
 ニュース原稿ではないのだから。

 森高千里には歌唱力だけでなく、演技力もないようだ。
 曲がいいだけに惜しい。

 この文章を書くために、この曲をけっこうリピートして聴いていたので、
僕の頭の中には今、森高千里の「棒読み」が完全に刷り込まれてしまった。

 これがもし彼女の狙いだとしたら、僕はまんまとそれにハマったことになる。

幻影(イリュージョン) / 村田和人

2010-02-19 09:44:04 | 邦楽(ま行)
 作詞は竹内まりやによるもので(作曲は村田和人)、内容的には失恋の唄だ。

 村田和人の名前は知っていたが、唄はほとんど知らない。
 この唄も偶然耳にしたものだ。

 ボンゴの音色がギターを引き立てている。
 このテンポで響くギターの音色は、なんて落ち着くんだろう。
 この曲はギターしか似合わない。

 ところで、詞の中に「長い夜もてあまし 幾度も読み返した 最後の手紙」とある。
 今や、携帯電話でメールのやり取りをするような時代になった。
 「手紙」という言葉も、「電話ボックス」「ダイヤルを回す」「ポケベル」などと同様、
死語になってしまうのだろうか。