愛しのリビヤ

日本からの訪問者がそれほど多くないリビヤに滞在する機会を得た。そこでその経験を記録することにする。

地味な服とカッコイイ服装

2003-11-02 11:26:11 | リビヤ
男子に限って言えば、一般的なリビヤ人の服装は我々とそう変らない。Tシャツの人もいればジーパンを穿いている人もいる。ターバンを巻いている人はここでは見かけたことがない。リビヤでは同じイスラムであってもシーア派ではなくスンニー派が多いのか髭を蓄えている人はそう多くない。また、ビジネスマンでも、スーツを着ている人は非常にまれである。日本風に言えば普段着で足元はサンダル履きが多い。従って我々も普段着で執務している。滞在中一度もスーツを着ることはなかった。
民族衣装といえるかどうか知らないが、10人に一人位の割合で白いスラックスに、詰襟風で足首あるいは脛までの長さのこれも白いずんどうのウワッパリのようなものを着ている。これは、TVでイラクを話題にしたニュースを見ていればよく出てくるからわかるであろう。休日のとき、ラジックさんが何かの用で事務所にきたことがあるが、そのとき彼はその白い宗教服?を身に付けていたのだが、これがまたかっこよく映った。しかし頭は無帽であった。
女性もイラクの人達とほとんど変らない。すなわち、黒か茶の足首までのワンピースか、スラックスを穿いているときは、膝上10cmくらいのブラウスのようなものを身に着けている。足はこれまたサンダル履きが多い。髪をスカーフで覆っている。そのスカーフは圧倒的に地味な黒か茶が多いのだが、中には白っぽい地に多少柄模様が入ったものをつけている女性もいる。宗教警察がいないせいかそこまでは強制していないと思われる。

(リビヤの女性)
黒いスカーフに黒いブラウスと黒いスラックスで黒のサングラスをかけたスラットした若い女性を時々見かけるのだが、思わず見入ってしまうほどこれがまたカッチョいいのである(カッコいいの最上級の表現と思ってもらいたい)。これまでみたいずれの女性もそのままパリコレクションに出演してもなんら違和感のない容姿と衣装なのである。機会があればなんとか写真の収めたいと願っていたのだが、いつもカメラを携えているわけでもなく、例えそのチャンスがあったとしても気の弱い小生としては声もかけられずにいたであろう。
ま、それはともかく、日本の女性もこのファッションを取り入れてはどうであろうか。渋谷か銀座(え、銀座はもう古い。何しろ10年以上行ったことがないから事情がわからなくってすんません。)を闊歩すればさぞかし異彩を放つであろうに。
年配の女性の中には、達磨さんのように頭から一枚の布で体全体を覆って布の端を右手あるいは左手で口元を押さえて歩いている人もいる。その色は大体小豆色か白である。近くでみるとその生地は目が荒く木綿のようである。口の悪いドドンなどはred eggまたはwhite eggなどと揶揄している。失礼ながら小生もそのぴったりの表現に思わず笑ってしまった。

(トリポリ旧市街でみかけたWhite Egg)
そんな中で子供達だけは例外で、派手なスカートを身に着けている少女もいるしスカーフで髪を隠している女児もいない。何歳からスカーフを着けなければならないのかは不明であるが、一般的には中学生からのように思える。中には家庭の躾からなのか小学生でもスカーフをしている子もいる。
どこの世界でも例外があるもので、街中でもスカーフをしていないごくごくごく少数の女性をみかけることがある。それをみると、女性のスカーフが彼女達の魅力を半減していることがよくわかる。恐らくスカーフの下にはイヤリングやピアスはたまたネックレス(さすがに鼻ピアスや鼻輪をしているものはいない)をしているに違いない。何しろ子供達でさえしているのだから容易に察しがつく。ただし、スカーフをしていない女性は全て外国人で、小生はリビヤの女性でも随分解放的は人がいるものだと、づーっと感心していたが、これは間違いでリビヤ人と思っていた人はモロッコから来ている女性だそうである。いわれてみると、なるほど彼女達の髪の色は茶髪に近い。
一般的に、若い女性は足が長くすらっとしているが、中年を過ぎると小太りあるいは大太りになるようである。もし、あなたがアラブ人の女性に一目ぼれして結婚する場合は、母親をみて遺伝子の確認をしなければ必ずや後悔することになる。ああ、こんなんだったら山田花子(本人及びファンの人ごめんなさい)のほうが良かったと悔やんでももう遅い。一生の問題となることは慎重になろう。
もっとも、敬虔なイスラム教徒の家庭で育った女性と結婚する場合は、それ以外にそれなりの覚悟がいる。小生の友人の中にもイラン人(ペルシャ人であってアラブ人ではない)の女性と結婚した者がいるが、それはもう大変だったらしい。というのは、まずこの場合、花婿がイスラムに改宗しなければならない。どうやら異教徒とは結婚できないらしい。さらに、仲人にあたる後見人も必要である。そして、その後見人同伴で改宗の証明書を相手方にだしてやっと2人が結ばれるとのことである。彼はその花嫁とともに今は日本にいるのだが、疎遠になった現在、どうしているのかしかとはわからない。
余談が長くなったが、肌を出すことを禁じられているこの国では女性の華やかさが期待できない分、緑の少ない街が一層索漠としてみえるのは小生だけであろうか。しかし、結婚式だけは例外のようで、ディスプレイされているウェディングドレスを見ると日本と全く変らない。
この状態も長くは続かないことを希望しつつ大胆に予見したい。その確たる根拠はないが、程なくアメリカの経済制裁が解除され、彼らの資本が入ると同時に、彼らの文化をもまた強引に持ち込むであろうことが容易に予測される。自分の文化を半ば強制するようなアメリカの凶暴さは、さしものカダフィも如何とも抗しがたいものがあろう。それでなくても、もともと女性に自分の魅力を他人にも知ってもらいたいとの本能ともいえるものがあるかぎり、ほんの少しのきっかけさえあればあっという間に西欧化が計られるに相違ない。10年後のこの国をみてみたいものである。恐らく腰を抜かすほど変っているのではなかろうか。