愛しのリビヤ

日本からの訪問者がそれほど多くないリビヤに滞在する機会を得た。そこでその経験を記録することにする。

最後のサハラ

2003-10-29 19:16:17 | リビヤ
結果的に最後のサハラ訪問となった。そこで、キャンプを少し紹介する。
すでに書いたように、現場事務所の位置は工事進捗に伴って1度移動している。建物棟は全て可搬式のもので非常にうまくできている。
それらの構成は、マネージャと作業員用の宿舎、食堂、娯楽室、事務所、会議室、機械修理場、倉庫、重機と乗用車の燃料タンクである。
  
(右側のナツメヤシの葉で造られた小屋が礼拝所)       (宿舎棟)
これらのほか、通信用(電話・インターネット)とTV用のパラボラアンテナが設置されている。
  
                                     (TV用アンテナ)
作業員用食堂はトレーラハウスを2棟連結して結構広くなっている。当然電気はないので発電機で賄っている。
  
(作業員用食堂)                           (発電機)
  
(燃料タンク)                             (修理工場)
10月末ともなると、サハラ砂漠であっても夜間はクーラが不要な気温まで下がる。7時前の日の出だが、早朝はやや肌寒く感じるほどである。
現場にはメールで行くことを告げていたが、ほとんど前触れなしの訪問である。しかし、世の中うまい偶然があるもので、30日は150kmのアノードの設置完了の日であった。これはGAMAのアテーラの部屋で雑談中にしらされたことである。これを記念して10時から最後にアノードを埋設した場所で簡単なセレモニーをするというので、彼に同行してその場所へ行った。そこでは現場責任者である彼が挨拶をして、持参したベックス(ノンアルコールビール)で乾杯をした。
  
(達成感で満足している様子)                    (記念撮影)


リビヤのジオグラフィック

2003-10-29 14:52:28 | リビヤ
リビヤの気候風土について触れてみたい。まず、天候であるが、小生が滞在していた期間を対象にすると、4月~11月の7月間で雨はほとんどなく1時間未満の雨を4回経験したのみである。明けても暮れても晴れ晴れ晴れである。この間の日中は30度を超えて40度近くになることもある。しかし、湿度があまりないため、日陰にはいれば涼しく感じられる。日本のように汗が吹き出るようなこともない。風も適度に吹いていて朝などは気持ちがいいくらいである。スーナの様子をみてもハアハアと口から息をしている様子もあまり見たことがない。
クーラは11月半ばまで必要である。ちなみに我々が最後にビーチへ行ったのはラマダン明けの10月26日であるが、さすがに泳げる状態ではなく我々以外に誰もいなかった。最後に泳いだのは9月26日である。この日は浴客も非常に少なくケントン夫妻を含めても20人前後ではなかったろうか。
これも12月に入るとにわかに気候が変わり、曇りの日が多くなり、雨や砂嵐もあるようになる。それまで長袖のシャツ一枚で過ごしていたものが、人によってはセーターが必要となる。それでも日本に比べれば随分暖かであると思う。沖縄くらいの気温ではなかろうか。小生は滞在中一度も湯船に浸かることなくシャワーのみで済ますことができたのだから。それでも、南国育ちのボンガボンやモハメッドなどは寒いらしく、特にモハメッドは厚着をして掃除をしているのを見ると滑稽であった。
このように気候面だけをとれば、余分な衣服は必要なく非常に過ごし易い国である。これで砂嵐さえなければ申し分ないのだが。
ちなみにサハラ砂漠の気温はどうか。5月~10月までの工事日報からみると平均気温は35~40℃で最低気温が26℃、最高気温が45℃であった。日中は確かに暑いものの、日没後はかなりしのぎやすくなる。これも10月になると、早朝などは薄着の場合、少々肌寒さを感じるほどである。
動植物は限られている。木々が少ないうえ上記のような気候であるため、広葉樹であっても落葉がないため変化に乏しい。針葉樹は少なくオリーブのような厚肉質の葉っぱの木が多い。それも完全な緑ではなく、埃のせいか白っぽい緑の葉が大多数である。花木も多くない。多くないが一旦花をつけると咲いている期間は非常に長く、事務所玄関横にある木などは4月に小生が来たときから12月に帰国するときにもまだ花をつけていたくらいである。
  
(事務所入口横の花木)                       (玄関先のナツメ椰子)
動物の多くは羊と駱駝であるが、中でも羊が圧倒的である。日本で見る羊とは異なり、耳が長く垂れ下がっている。気の毒に思えるくらいの草もあまりない土漠で飼われているのがほとんどである。
日本では珍しい駱駝もここでは家畜の一つである。砂漠の現場へ行った折、砂漠にポツンといるのや、道路を親子で横断しているもの、トラックで運ばれるのも何度も目撃したことがある。何のために砂漠から移動するのか不明であるが、恐らく食用にしているのではないだろうか。

(トラックで運ばれている駱駝)
あまり歓迎されないが、コブラもケントン夫人が犬と散歩しているときに2度目撃したとのことである。見たことはないが、恐らくサソリもいるに違いない。
鳥の種類は非常に少ない。鶏は別にして雀とうずらのような鳥しか見なかったように思う。これも現場から事務所に帰るときであるが、ハゲワシを運転手のドドンは目撃したらしいが、小生は残念なことによそ見をしていて見損なってしまった。
リビヤの地質は小生が見た範囲においては、砂漠を除き赤褐色の石灰岩あるいは花崗岩を主体にしている。どの工事現場の掘削箇所をみても垂直に切り取られているが、切土面は安定していて土留めの必要性は全く認められない。日本人にとって羨ましい限りである。しかし、風化には脆いため緑化促進をしない限り、何万年先にはサハラと同じ運命をたどるのかもしれない。

(砂漠にあった風化岩山)
砂漠は上から下まで砂ばかりと誤った認識を持っていたが、現場での砂層は50cm内外で、その下は砂岩になっていた。よくみるとコンクリートのかけらのようにもみえる。


ラマダン

2003-10-24 11:02:07 | リビヤ
今年のラマダン(断食)は9月26日から始まり、10月24日に終った。ラマダンの始まりはイスラム国共通なのだが、今年のように完了日はリビヤのみ異なることがある。ラジックさんに聞いても24日か25日というのみである。というのも、暦で決まるものではなく、終了を決定する委員会のようなものがあって、月の様子をみて坊さんのエライ人がそれを決めるのだそうである。
ラマダン明けの3日間は休日となるのだが、夜にならないと決定しないため、M社の事務所でも明日から休みにしてよいのかどうかさえ分からない有様で、しかも、8時以降ラジックさんに連絡をとっても彼は家族で2時まで外出していて最後までわからずしまいであった。
24日の朝いつものように起床したが、モハメッドは掃除にこないばかりか、ケントン氏、ディーンも出勤してこず、1台の車の通行もないことでようやく前夜にラマダンが終ったのを知った次第である。何事にも曖昧にすますことが好きな日本人であってもなかなか馴染めない習慣ではある。
いずれにしてもこの30日間、リビヤでは朝の6時か夕方の6時までの間、一切の飲食と喫煙および性欲等の欲求に対する解消は禁じられる。また、深夜2時から3時までの礼拝もあるので夜の睡眠は十分に取れなくなる。従って、この期間におけるイスラム教徒の勤務時間短小は大目に見られている。
誤解のないようにいっておくが、全てのイスラム教徒がこうではない。我々の同志であるトルコ人も同じくイスラム教徒であるが、トルコでは断食はしないしアルコールの摂取も自由である。勿論日中の人口増加政策の実行も可能である。
ラマダンの月はどの国も共通のようなので、イスラムを国教とする国へ旅行する際には確かめる必要があろう。というのも、リビヤのように航空機関が夜間時間にシフトする国があるのでスケジュールを誤ると大変なとになる。また、飲酒が可能かどうかも確かめる必要があろう。アルコールが飲めるのと飲めないのとでは旅の楽しさが数倍異なるのだから。酒を嗜まない人はこの際、虫無視。
小生自身にとっても、今回が初めてのラマダンを経験したわけだが、夜はやたらとうるさい。ラマダン開始の夜は、近隣の人達が道端で大声で一晩中話をしていたが、翌日からは子供達が夜遅くまで爆竹(ではなく、オモチャの鉄砲に火薬を詰めて飛ばすのだが、引き金を引いた瞬間と、飛び出てから爆発するので一度で2度うるさい)を鳴らして騒ぐのである。もともと、リビヤの人達は夜行性らしく、10時過ぎてからでも平気で訪ねてくることがあるし、子供達も12時近くになっても路上で騒いでいる。また、夜10時を回っても商店が開店していることは珍しくない。まして、ラマダン時期では、2時過ぎても大部分の商店は赤々と電気をつけていて人の出入りが結構ある。
先に書いたように、小生は犬との散歩をときどきしている。その目的は、運動不足解消もさることながら、近所を探検する意味もある。ただ単に一人でぶらぶら歩いていれば、秘密警察のおじさんにもしもしと声を掛けられそうだし、声を掛けられないまでも変な東洋人が偵察しているとの通報をされかねないからでもある。このラマダン中にも金曜の朝10時頃に散歩したのだが、いつもの様子とは異なり、ほとんどの家庭が静かで子供も騒いでおらず、ゴーストタウンのような感じがした。このように、商店においても昼から8時ごろまで閉店しているのがほとんどであるが。
ラマダンといえば、交通事故が多発する期間でもある。いつか、ドドンにラマダンになって何が変るのかと聞いたことがある。彼の答えは、「ベリー・デンジャラス。」であった。といっても犯罪が多発するわけではなく、睡眠不足とストレスのために運転が一層乱暴になることと、午後の6時までに家路につこうとして交通混雑が激しくなって交通事故が多くなるとのことであった。なるほど、ラマダンに入ってから間もなく、それまで見たことがたことがなかった交通事故を立て続けに2件目撃しているし、日頃余り聞かないパトカーのサイレンもよく耳にするようになった。現に、10月22日にS氏とラジックさんが発注者であるGMRAへ行った帰り、左折しようとして直進車のドアに衝突している。幸いにして両者に怪我はなかったが、恐らく睡眠不足による注意力欠如のせいであろう。

GAMAのパーティ

2003-10-20 10:28:58 | リビヤ
下請業者であるGAMAからパーティの招待を受けて、S氏、ケントン氏、ラジックさんとGAMAのベンガジ事務所へ行った。このときは発注者数名も招待されていた。主要な工事も終わり、気持ちに余裕がでてきたのであろう。
会場は広い邸宅の前庭である。
中に入るとテーブルが並べられており、既にパーティは始っていた。料理はビッフェ形式でテーブルに並べられたトルコ料理を各自が適当に取り分けるようになっていた。会場の隅ではシシカバブーが回転していて、注文するとコックが切り分けてくれる。
飲み物は当然、ノンアルコールビールにソフトドリンクである。
  
(パーティ)
  
                                      (最後に全員で記念撮影)
パーティといっても映画に出てくるような優雅なものではなく、日本の様子と全く変わらない。
このときの写真は現場事務所に行った際、撮影者であるサルカンから貰ったものである。そのときに、彼から婚約したことを告げられたが、最後まで婚約者の写真を見せてくれることはなかった。

交通事情

2003-10-15 12:48:52 | リビヤ
車は圧倒的に日本車が多い。70%以上を占めているのではなかろうか。中でも多いのは、三菱、マツダ、いすゞ等の日本では少数派がこちらでは多数派である。トヨタはトラックを見るばかりであり、日産、ホンダに至ってはほとんど見かけない。小生が思っていた以上に車の走行台数は多い。

(右側はタクシー)
こちらの人は、日本とは異なり、車は走ればよいとの考えだから、埃りまみれの車は勿論のこと、5体不満足な車ばかりである。タクシーも例外ではない。ウィンカーがなくっても平気、ヘンドランプが片方点かなくっても平気の平左である。クーラ設備のある車も皆無といっていい。これはタクシーも同様で、もしあなたがタクシーを捕まえて、クーラ設備があって傷のないものに乗れたならば、アラーの神に祝福されきっと一年いい年で迎えられると断言できる。少なくてもベンガジ市内では。
タクシーに乗るときは気をつけよう。これはタクシーに限らないのだが、必ず一人は運転席の脇に座ること。これが守られていないと警察官に注意されるので要注意。その理由は単純で、地位の差別をつけないためといわれている。例えあなたが総理大臣であっても例外ではないので、一人で乗るときは真っ先に助手席へ。勉強になったでしょ。これであなたもリビヤでは恥をかかなくてもすむかも。ただし、女性のみのときは例外みたい。
先に書いたが、車は右側通行である。道路事情はそれほど悪くはないと思う。ほとんどの交差点では交差点手前から右折者専用道路があるので、赤信号に関係なく右折可能である。直進または左折のために信号待ちしていて、青になるまで待っていると、後ろから必ずクラクションを浴びせられる。反対側が黄色になったら、もたもたするなすぐに行けとの催促が背面から襲い掛かってくる。これは関西人以上に徹底している。
最も怖いのがX字交差点である。X字といっても鋭角に入って行くのだが、信号はまずない。発注者であるGMRA事務所へいくまでに1箇所あるのだが、これをつっきって行くのに慣れるまでは多少の汗を手の平にかくことになる。ヒヤッと背中が涼しい思いをすることは数え切れない。突っ切ろうとしたが右から直進者が猛スピードできて、慌てて急停車するなんてなことは日常である。合理的といえばいえなくもないが、信号に慣れきっている日本人にはなかなか馴染めない。
センターラインは引いてあるが、ほとんど消えて見えなくなっているのが多い。日本より幅広くできていると思うのだが、正々堂々とラインをまたいで走る車も多い。
信号はそう多くはないがある。この信号は縦長で日本に比べ小さく出来ている。小生は長くどこに信号があるか分からなかったくらい立てている位置も悪い。仮に小生が運転していたならば信号無視を何回やっていたことか。
  
(市内の交差点)                           (砂漠の道路)
このような道でも一歩市内を抜ければ、そこはもう自由世界のそこのけそこのけのフルーウェイである。時速150kmは当り前の世界が広がり心うきうき鼻歌の一曲でもでそうな一直線である。ただ砂漠地帯に入ると駱駝がのんびりと道路を横断していることがあるのでそれだけは気をつけなければばらない。といっても一直線で遮るものがないので百メートル先でもわかるのだが。それと市街地では時々ネズミ捕りをやることがあるので気をつけよう。シートベルト着用の取り締まりも多い。

(空港までの道)
あ、そうそう、中には公共の交通を利用する人もいるかも知れないので、それを書かなければならない。タクシーのことは既に書いたので存在することはわかったであろう。これは結構多い。流しでも結構捕まえられると思う。メータがないので交渉しなければならないが、値引き交渉に自身のある人は利用しよう。ただし、交渉が妥結して乗り込もうとするとき、身元不明の者が同乗してきても驚いてはならない。当然料金は金持ちの日本人である貴方負担である。
空港では勿論客待ちのタクシーがいる。では、鉄道、バスはどうか。そのようなものはこの国にはない。と断言すると正解ではないので、市内バスはないということにしておく。少なくともベンガジ市内では見たことがない。
しからば、どのようなバスがあるのか。それは長距離バスである。つまり市から市へ(といっても、200~300kmは当り前の世界であることを忘れずに)、あるいは他国へ行く場合に利用するのである。私がサハラ砂漠の現場への行き返りによく見たのはベンガジから隣国のスーダンへ行くバスである。このバスは大型でクーラ、トイレも付いているものもある。近場の場合には、これよりもやや小ぶりで、クーラのついていないオンボロバスが多い。
鉄道は皆無である。従って、遠距離は自家用自動車か、長距離バスあるいは航空機を利用するしかない。金がないけど時間がある人はヒッチハイクも有効である。
市内バスはないと既に説明したが、それでは教育を受けている児童、学生はどのように通学しているのか。児童はほとんど徒歩か、自家用車での送迎が多い。高校生以上になると、寮生活かヒッチハイクが主流である。従って、高校の下校時間には道路脇で手を挙げて停まる車を待つ男子生徒がよく目に付く。さすがに女学生はそのようなことはしないのか目に止まらないので、彼女達はどのようにしているか定かではない。
鉄道はチュニジアからエジプトへ抜ける横断鉄道を建設中とのことだが、どこまで進んでいるか不明だが、開通していないことは確かである。