海外出張に行くと、いつも改めて感じ入るのは日本の常識と現地の常識の大きな違い。
そして、郷に入れば郷に従えの言葉通り、現地の常識が日本の常識を優先するのは自明の理。
ここで、ある方が言われた、以下の言葉に感じ入るものがあった。
「文化や生活状況の違う人々が大量に入って来ると必ずと言って良い程その国は崩壊に向かうと思う…」
日本人の常識は、各自の個性はあっても、根底は、文化、生活環境に立脚している。
逆から見れば海外の常識は、その国の文化や生活環境に依存するわけで、海外でのビジネスでは、かの国の常識を守ると同時に日本の価値観を押し付けるのではなく、現地の価値観を理解する物差しを持つことが必要となる。
一方、昨今ダイバーシティ(多様性)と称し、グローバルでビジネス展開している企業が様々な違いを尊重し認め積極的に生かす事によって業績を加速成長させていく戦略が注目されている。また、経営陣のダイバーシティとして日本の有名企業が異業種から社長を迎え入れる現実もある。
しかし、これを単純に理解し、政府が外国人労働者を増やそうとするのは、あまりにも検討が薄すぎる。
なんとなれば、企業が行うダイバーシティ戦略は多様性を認める中にもIdentityを持つものであって、外国人経営層が日本に来たとしても日本の常識・価値観を理解する物差しを携えていない限り、無能な経営者となるのは自明の理となる。そして、この逆もまた然り。
改めて振り返れば、ある国の人手不足を補う為に、無作為に文化や生活環境の違う人々が大量に入って来ると、訪問国の価値観を理解する物差しを持たないレベル層による異文化常識の氾濫が引き起こされる。その結果、受入国のIdentityが損なわれ、文化崩壊に向かってしまう。
事実、iPhone6日本発売時に引き起こされた中国人との購入トラブルは異文化の軋轢であるし、これに助長して国家間での軋轢があれば、近視眼的なネトウヨやヘイトスピーチが跋扈し、憎しみの連鎖は留まる所を失うだろう。
世界を見ても、価値観の違いに端を発する騒乱、経済混乱、如いては極端な民族主義の跋扈が、戦争へと結び付いて行くのは、人類の愚かな歴史が証明している。
また、恐怖支配で勢力を拡大しようとするISISの急激な台頭を見れば、一般人は単純にイスラム教の常識を危険とする思考に陥るが、現実にはイスラム教徒の中で大きな殺戮が行われている。
神というシンボルで民衆の心を一つにしようとする宗教…価値観の統一を目指すと極論し、同じ神を信仰しても、お互いの中で殺戮を繰り返す愚かな現実。
混乱の中から生まれた信仰は、民の心を一つにし、平和と安息をもたらすGOALがあったはずだ…
結果的に信仰は常識と価値観の中に深く寄与しても、GOALを果たすことが出来ていない。
本来、この負の連鎖を断ち切るには「しかりとした教育」が無ければならないが、未来の子供たちを育てる教育も諸刃の剣で、「恨」の歴史教育は破壊にしか繋がらない。
慈しみの心を育む真の教育とは何なのか。
ここで、改めて海外におけるビジネスを振り返れば、自国の常識、自身の価値観のみを相手国にぶつけて仕事をすれば軋轢を生むだけで、業績は向上しない。
当然、利益を生む、もしくは利益を生んでいくビジョンが無ければ、一過性の慈善事業でしかなく、人々に豊かさと喜びを与え、継続し成長していくGOALには結びつかない。
ある意味、海外で展開するビジネスの目指すGOALは信仰と同じだ。
今、我々に求められるものは、性善説では成り立たない現実を理解し、相互のIdentityを認識した上で、相手の価値観を計る「物差し」を持つことだろう。
そこに、未来に繋がる決断が存在していると信じている。
そして、郷に入れば郷に従えの言葉通り、現地の常識が日本の常識を優先するのは自明の理。
ここで、ある方が言われた、以下の言葉に感じ入るものがあった。
「文化や生活状況の違う人々が大量に入って来ると必ずと言って良い程その国は崩壊に向かうと思う…」
日本人の常識は、各自の個性はあっても、根底は、文化、生活環境に立脚している。
逆から見れば海外の常識は、その国の文化や生活環境に依存するわけで、海外でのビジネスでは、かの国の常識を守ると同時に日本の価値観を押し付けるのではなく、現地の価値観を理解する物差しを持つことが必要となる。
一方、昨今ダイバーシティ(多様性)と称し、グローバルでビジネス展開している企業が様々な違いを尊重し認め積極的に生かす事によって業績を加速成長させていく戦略が注目されている。また、経営陣のダイバーシティとして日本の有名企業が異業種から社長を迎え入れる現実もある。
しかし、これを単純に理解し、政府が外国人労働者を増やそうとするのは、あまりにも検討が薄すぎる。
なんとなれば、企業が行うダイバーシティ戦略は多様性を認める中にもIdentityを持つものであって、外国人経営層が日本に来たとしても日本の常識・価値観を理解する物差しを携えていない限り、無能な経営者となるのは自明の理となる。そして、この逆もまた然り。
改めて振り返れば、ある国の人手不足を補う為に、無作為に文化や生活環境の違う人々が大量に入って来ると、訪問国の価値観を理解する物差しを持たないレベル層による異文化常識の氾濫が引き起こされる。その結果、受入国のIdentityが損なわれ、文化崩壊に向かってしまう。
事実、iPhone6日本発売時に引き起こされた中国人との購入トラブルは異文化の軋轢であるし、これに助長して国家間での軋轢があれば、近視眼的なネトウヨやヘイトスピーチが跋扈し、憎しみの連鎖は留まる所を失うだろう。
世界を見ても、価値観の違いに端を発する騒乱、経済混乱、如いては極端な民族主義の跋扈が、戦争へと結び付いて行くのは、人類の愚かな歴史が証明している。
また、恐怖支配で勢力を拡大しようとするISISの急激な台頭を見れば、一般人は単純にイスラム教の常識を危険とする思考に陥るが、現実にはイスラム教徒の中で大きな殺戮が行われている。
神というシンボルで民衆の心を一つにしようとする宗教…価値観の統一を目指すと極論し、同じ神を信仰しても、お互いの中で殺戮を繰り返す愚かな現実。
混乱の中から生まれた信仰は、民の心を一つにし、平和と安息をもたらすGOALがあったはずだ…
結果的に信仰は常識と価値観の中に深く寄与しても、GOALを果たすことが出来ていない。
本来、この負の連鎖を断ち切るには「しかりとした教育」が無ければならないが、未来の子供たちを育てる教育も諸刃の剣で、「恨」の歴史教育は破壊にしか繋がらない。
慈しみの心を育む真の教育とは何なのか。
ここで、改めて海外におけるビジネスを振り返れば、自国の常識、自身の価値観のみを相手国にぶつけて仕事をすれば軋轢を生むだけで、業績は向上しない。
当然、利益を生む、もしくは利益を生んでいくビジョンが無ければ、一過性の慈善事業でしかなく、人々に豊かさと喜びを与え、継続し成長していくGOALには結びつかない。
ある意味、海外で展開するビジネスの目指すGOALは信仰と同じだ。
今、我々に求められるものは、性善説では成り立たない現実を理解し、相互のIdentityを認識した上で、相手の価値観を計る「物差し」を持つことだろう。
そこに、未来に繋がる決断が存在していると信じている。