きのう、今日と、
朝と夕方は随分、涼しくなりました。
きのうの日曜日、
あまりに 気持ちのよい夕方だったので、
朝に続き、久々につうを連れて
夕方の散歩に出かけました。
久々というと、
花を持って出かけました。
留学生の慰霊碑に供えるためです。
とうさん、金欠病なので、ひと月に一度程、
供えた花が枯れたころ、活け直すのですが、
この前 見た時、枯れた花を見苦しく思ってくれた誰かが、
きれいに片づけてくれ、グラスの花瓶もひっくり返してあったのが、
気になっていたのです。
台風の風によって、枯れ葉が吹き寄せられており、
慰霊碑前は とても汚かったのですが、
一応、持ってきた花を活けてみました。
花があるだけで、随分、慰霊碑が輝いてみえるものなんですね。
この前を通り過ぎる人達も、ちょっと立ち止まって、
慰霊碑の建てられている意味を分かってくれるかもしれません。
これから、秋の気配が感じられる日が、
少しずつ増えて来るんでしょうね。
外を歩きながらの「思索の秋」も、
いいかもなぁ。
そう考えながら、黄昏色の
平和記念公園まで来てしまった
とうさんと、
つう姫。
とうさん、今の時間、
本当なら つうは夕御飯を食べてる頃ですワン!!
↑ 食欲の秋を 忘れないでほしいワン!! ↑
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留学生の慰霊碑は気がつかなかったかもです・・・
犠牲になったのは、日本人ばかりではなかったのですね。
それにしても、じゅごんさん毎月お花を供えているなんて、凄いですね~
家でめいの遺影の水も換えるの忘れがちな、無精者だすぅ・・・(汗;
それにしても つうちゃんは、いつも可愛いなぁ
じゅごじゅごんさんのブログ記事に度々紹介されている慰霊碑。。
花瓶が倒れやすかったことやお花が少なくてさみしいこと・・・
毎月お花を供えられてるんですね つうちゃんと一緒に。。
頭が下がります・・・
すこし長い散歩になってしまいましたね
物思いにふけって つまずいてコケないように(^_-)
姫はごはーん!ですか(・m・ )クスッ
広島は一度も行ったことないですが、
悲しい歴史を忘れさせないとこですな。
わたしはお土産とか、広島風お好み焼きでしか、広島を感じたことがにゃい。
金欠なのにお花を…
優しいとうさんに育てられた、つうちゃんもきっと優しい子なんだろうね
あっ、留学生の慰霊碑は、平和記念公園の中には、ないんです。
公園周辺、つまり爆心地を中心に公園内外にたくさん点在しています。
留学生の慰霊碑は、爆心地から約1キロ下った元安川沿いにあります。
原爆の被爆者の中には、米国人捕虜もいたということを聞いたことが
あります。
戦争はむごいですね。
うちのもっとも近所にある慰霊碑なのですが、運命的なものを
感じているのです。
当時の軍の国策、八紘一宇により、東南アジア各国から集められた
留学生達です。
とうさんがその東南アジアの一国で、教え、教えられた学生たちと
重なるのです。彼らは奇特にも日本を愛してくれ、今でもとうさんを
慕ってくれています。
無力なとうさんにとって、今、恩返しとしてできることは、そのくらい
なんです。
元安川沿いに慰霊碑はいくつもあるのですね。
たくさんの思いが残った御霊の地、と思うので
本当に、「お邪魔いたします・・・」という気持ちになりますね。
次回はぷりぷり牡蠣を堪能したいと思います
そういえば、山口市にも慰霊碑があるんでした。日頃、あまり意識することがないので
、、、スミマセン
今日から一週間、50万羽の平和折鶴が山口市の商店街のアーケードに飾られているとか…
慰霊碑の場所を確認して、手を合わせてきたいと思っています
今の広島は、美しい川の街です。とても、63年前に焼け野原になった
とは信じられません。
でも、小さい時からの平和教育は、しっかりと身についています。
平和教育でなくても、身近に被曝を体験した人達がたくさんいました。
中学校、高校の担任は被爆者で、当時の様子を聞いた記憶がありますし、
広島市内に住む今では、自然とまわりの方達にもっとお話を聞く
機会があるのですよ。
広島風お好み焼きと言ってくださってありがとう。
広島焼きという奴は、許しません。
「じゃったら、大阪のお好み焼きは、大阪焼きとか、なにわ焼きとか
言うとるんかぁ、われっ!」とぶちまわしたるけんのうっ!!
って、平和的でなくて、すみません。
はい、つうは、とうさんみたいな偏屈な奴を好いていてくれるから、
やさしいワンコですよぉ~。
金欠な時ほど、花を買いたくなるのです。
なにかいい変化がありますようにって。