
東京・江東区亀戸には、かつて『梅屋敷』と呼ばれるお屋敷がありました。
『梅屋敷』は本所埋堀(現・墨田区)の商人・伊勢屋彦右衛門の別荘「清香庵」の別名。
その「清香庵」の庭には数多くの梅の木が植えられていたことから、亀戸の『梅屋敷』として名高かったのです。
亀戸『梅屋敷』は江戸の梅の名所として知られ、歌川広重などの浮世絵にも描かれたほどでした。
『梅屋敷』の庭の梅の木のなかでも、ひときわ見事だったのが「臥龍梅」と名付けられた一本。名付け親は「水戸のご老公」こと水戸光圀公であったといいます。
8代将軍・徳川吉宗公も鷹狩の帰りには、よく『梅屋敷』に立ち寄ったとのこと。
浮世絵師の歌川広重も『梅屋敷』の梅を気に入り、さまざまな構図で10数種もの浮世絵を描きました。
うち1枚が「名所江戸百景・亀戸梅屋舗」です。
この浮世絵は海を渡ってヨーロッパまでもたらされ賞賛を受けました。ゴッホはこの絵に大きな衝撃を受けて、油絵でそっくりに模写した1枚が残されています。
ゴッホの絵には拙いながらも漢字の説明書きも描かれているほか、広重の『梅屋敷』の浮世絵を完璧に再現しているのが驚きです。
(※画像は『亀戸梅屋敷』の絵。左が広重・右がゴッホ)
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