季節のブログ『ほっとひといき・四季の便り』

日本の美しい四季の移り変わりのなかで、季節の風景や食べ物など何気ない日常を綴る日記です

『秋深き・隣は何をする人ぞ…』

2018年10月30日 | 四季のことのは

『秋深き…』は人口に膾炙した松尾芭蕉の俳句。この句が詠まれたのは元禄7年の秋で、芭蕉が51歳のときのことだそうです。

松尾芭蕉は寛永21年、伊賀国(現・三重県伊賀市)の生まれ。奥州を旅した「おくのほそ道」の紀行文や、「古池や蛙飛び込む水の音」など数々の名句で知られる俳諧師です。

芭蕉が生まれたのは第3代将軍・徳川家光公の時代。

13歳のときに父が亡くなり伊賀上野の藤堂家に仕えたものの、京都の俳人・北村季吟に師事して俳諧の道へと入ります。

その後は俳諧師の修行を経て、次第に頭角を現していきました。

江戸深川の芭蕉庵に居を移したのは延宝8年のこと。孤独で静穏な生活のなかで「侘び」の境地へと分け入っていきます。

しかし、天和2年の「八百屋お七の家事」で庵は焼失し、新居を再建したものの旅の誘いに身を任せる生活が始まっていくのです。

冒頭の「秋深き 隣は何をする人ぞ」の句は、芭蕉が亡くなる元禄7年11月の2カ月前の作です。

この夜、芭蕉が参加するはずだった俳席が開催されたものの、芭蕉本人は体調が悪く参加することができませんでした。

自分が参加できなかった俳席で、「仲間たちはどうしているのだろう」という想いを詠んだ句であるとされています。

(※画像は山形県山形市山寺にある松尾芭蕉像)

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『秋の味覚・美味しい松茸』

2018年10月27日 | 季節の美味しいもの

秋の最高級の味覚のひとつが『松茸(マツタケ)』。

高価な食材としても知られ、なかなか庶民の口には入りにくいところが難点の美味です。

『松茸』はキシメジ科のキノコで、ブナシメジやしいたけ等のお仲間だそうです。ただしキノコというだけで特段の共通点はなく、残念ながら「シメジやしいたけを松茸の代わりにしましょう」とはなりにくいですね。

私はキノコ類が大好きで、しいたけやシメジ、エノキ、マイタケ、ナメコ等、どれも美味しくいただきます。

とはいうものの『松茸』は別格。あまり口にする機会はないものの、「松茸ご飯」「どびん蒸し」「ホイル焼き」などで食べられたら幸せだなぁ…と夢想したりします。

『松茸』が高価なのは人工栽培がむずかしいという部分でしょうか。

現在も人工栽培が試みられているそうですが、期待したほどは上手くいかないのが現状といいます。

しかし、研究者の方々の努力で、さまざまな試みが続けられており、「いずれは…」という期待があるのも事実です。

もしも『松茸』がリーズナブルなお値段になったら、みなさんはどんな料理で召し上がりたいですか?

私はやはりシンプルに、炭火で網焼きなどしてみたいですね。

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『秋の七草・萩(ハギ)の花』

2018年10月25日 | 四季折々の風景

この季節を代表する七種の草花が『秋の七草』。

萩(ハギ)、尾花(ススキ)、葛(クズ)、撫子(ナデシコ)、女郎花(オミナエシ)、藤袴(フジバカマ)、桔梗(キキョウ)の7つの草花を指します。

筆頭に挙げられた『萩(ハギ)』はマメ科の植物で、東アジアから北米東部、オーストラリアまで広く分布しています。

『萩(ハギ)』というと、日本の秋の風情を象徴する花のイメージがありますが、アメリカやオーストラリアにもあるのですね。

ちなみに『萩(ハギ)』の英語名は「ブッシュ・クローバー(クローバーの茂み)」といいます。クローバーはシロツメクサなどの総称で、そういえば何となく花の形が似ているような気がします。

我が国の『萩(ハギ)』は昔から和歌や音楽の題材として親しまれてきました。

万葉集にもこの花を詠んだ歌がたくさんあり、その一例が「我妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを」です。

意味は「あなたに恋などしないで、秋萩の花のようにただ咲いて散ってしまえばよかった。なぜなら生きていても、あなたは私の気持ちに応えてくれないのだもの」。

あらまあ…、これは切ない恋心を詠んだ歌ですね。『萩(ハギ)』の儚げな風情は、ツライ恋を表現するのにピッタリなのかもしれません。

いつの世も、男女の恋愛模様は変わりません。秋萩のように散らず、あなたの恋が実りますように!

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『明治に始まる・電信電話記念日』

2018年10月23日 | 季節のきねんび

本日10月23日は、昭和25年に電気通信省によって定められた『電信電話記念日』です。

電気通信省は逓信省を前身とし、戦後に「二省分離(郵電話分離)」よって設置された中央省庁でした。しかし、設置からわずか3年後には廃止され、日本電信電話公社(現・NTTグループ)に移行しています。

…と聞いただけでも、日本の電信電話の歴史が見えてきますね。

『電信電話記念日』が本日と定められたのは、明治2年の10月23日に「東京~横浜間の電信線架設工事」が着手されたからだそうです。

この工事では東京・築地の税関から、神奈川・横浜の横浜裁判所までの約32キロのあいだに593本の電柱が設置されました。

当工事により、日本で初めて電信が実用化されたというわけです。

さらに明治3年には「大坂~神戸間」、明治6年には「東京~長崎間」、明治7年には「東京~青森間」の電信が開通しています。

明治時代の思想家で教育者でもあった福沢諭吉氏は、電信について「(伝信の)神速なること、千万里といえども一瞬に達す」と記しました。

当時の人々を驚かせた電信は、現在では公衆電話や固定電話から携帯電話へと移ってきています。

家にいても千万里の彼方の人と話せた電話が、現代では家にいなくても話せるような時代になったということなのでしょうね。

(※画像は電話を掛ける明治時代の女性「にいがた文明開化ハイカラ館」HPより)

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『皇后美智子さまのお誕生日』

2018年10月20日 | 季節のきねんび

本日10月20日は皇后・美智子さまの84歳のお誕生日です。

美智子さま、お誕生日おめでとうございます。

お生まれは昭和9年、正田家の長女として東京市本郷区(現・文京区)で誕生されました。戦時中の小学生時代には疎開も経験され、群馬県館林市の小学校に通っていたこともあるそうです。

戦後に雙葉小学校を卒業、聖心女子学院中等科、高等科を経て、聖心女子大学文学部を首席で卒業されたという秀才でもありました。

昭和29年に長野県軽井沢のテニスコートで、皇太子さまと出会われたのは、みなさんもご存知のエピソードですね。

皇太子さまと美智子さまのご成婚は昭和34年のこと。

同日の成婚パレードを覚えている方も多いかと思います。その華やかなパレードの裏側で、平民からのお嫁入りに反対し「貴賤結婚」を嘆く皇族も少なくなかったといいます。

「貴賤結婚」とは現代の感覚からすると驚くような言葉ですが、当時の皇族のみなさまや女官たちは真剣に皇室の将来を憂いていたという話です。

本年はおふたりのご成婚から59年目となります。長い年月を共に歩んで来られたおふたりのご苦労を思うと、僭越ながら「本当にお疲れさまでした」と申し上げたくなります。

60年目の来年は天皇陛下のご退位があり、皇室もまた新たな未来へと変わっていくのでしょう。

今年84歳となられた美智子さまですが、これからもお健やかでと心からお祈り申し上げております。

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