
3月26日は読売ジャイアンツなどで活躍したプロ野球人・水原茂さんの命日です。
水原茂さんは明治42年に香川県で生まれ、高松商業高校、慶応義塾大学を経たのち、昭和11年に当時の東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)に入団しました。
現役選手時代は三塁手として活躍したものの、徴兵によって出征しシベリア抑留を経験するなど苦難のときを過ごしたそうです。
終戦後に帰国を果たしたのは昭和24年の7月20日。その4日後に後楽園球場に登場し、「水原茂、ただ今帰ってまいりました」とファンに報告したのは有名な話です。
現役引退後は読売ジャイアンツ、東映フライヤーズ、中日ドラゴンズの監督を歴任します。巨人軍ではリーグ3連覇や日本一を遂げるなど「巨人の第二期黄金時代」を築いた監督として高い評価を受けました。
その水原茂さんが巨人軍の選手時代に付けていた背番号が「19」でした。
巨人軍の背番号「19」は上原浩治投手が入団時に付けていた番号でもありました。大阪府生まれ、東海大学附属仰星高校から大阪体育大学に進んだ上原投手は、平成10年のドラフト会議で巨人軍に1位指名を受けて入団します。
プロ入り後は堀内恒夫さんの新人投手記録を更新し、「雑草魂」の精神で日本一に貢献するなど大活躍。その後は米国メジャーリーグに移籍し、ボストン・レッドソックス時代にはチームの優勝に貢献しMVPを獲得したのはみなさんご存知のとおりです。
実は、巨人軍の背番号「19」は水原茂さんが二代目ということをご存知でしたでしょうか。
初代は沢村栄治投手とバッテリーを組んでいた中山武捕手でした。三代目以降は関根潤三さん(広島・巨人・大洋・ヤクルトなどで監督)、高橋直樹さん(東映・日ハム・広島・巨人など)、森永勝也さん(広島・巨人)、木田優夫さん(現・日ハムGM補佐)等がいます。
歴代「19番」のなかには「江川事件」の小林繁さんや、若くして亡くなられた湯口敏彦さんが名を連ねているのも個人的には感慨深いものがあります。
現在の巨人軍の背番号「19」は菅野智之投手です。チーム復帰した上原浩治投手は、別所毅彦さんや角三男さん、斎藤雅樹さんなどが付けた「11」を付けることとなりました。
背番号にはいろいろな物語が詰まっているものですね。
プロ野球開幕ももうすぐです。今シーズンも選手のみなさんの活躍を楽しみにしつつ、ワクワクしながら開幕を待ちたいと思います。
(※画像左は監督時代の水原さん。右は選手時代の水原さんで。昭和12年に「後楽園球場の第1号ホームラン」を打ったのは水原選手でした)
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