
今月4日、長らく中日ドラゴンズで投手として活躍したプロ野球選手、星野仙一さんが逝去されました。
星野さんは現役引退後に中日ドラゴンズ監督を経て、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督などを務め、素晴らしい成績を挙げたのはよく知られているとおりです。
私が星野さんと聞いて初めに思い浮かぶのが、明治大学野球部の出身であることです。
星野さんは岡山倉敷商業高校を卒業後、明治大学に進学してエース投手として大活躍しました。その成績は63試合に登板して23勝24敗、防御率1.91、199奪三振。ノーヒットノーラン1度(立大戦)を記録しています。
当時の東京六大学は法政大・田淵幸一選手(のちに阪神)、山本浩二選手(広島)、富田勝選手(南海)、早大・谷沢健一選手(中日)が活躍していた華やかな時代でした。
星野さんのプロ入りが昭和44年ですから、昭和40~44年頃になるでしょうか。
私はその少し後の時代、元阪神の平田勝男選手(現コーチ)が明治大学野球部の選手だった頃、よく六大学野球を観戦に行っていました。というのは偶然のことですが、私の友人が明治大学に進学しており、同級生の野球部員たちと交流があって「応援しよう!」となったからです。
当時の明大野球部は鹿取義隆選手(のちに巨人)、高橋三千丈選手(中日)、豊田誠佑選手(中日)、広澤克実選手(ヤクルト)などが活躍していました。六大学自体も、法政大・江川卓選手(のちに巨人)、慶応大・山下大輔選手(大洋)が大活躍するなど活気に満ちていました。
その頃、友人からよく耳にしていたのが明大野球部監督・島岡吉郎さんの話です。名物監督として数々の逸話を残す島岡さんですが、星野さんも大学時代には深く薫陶を受け、選手時代はもとより監督時代も強い影響を受けていたといいます。
島岡監督の教えは三つ、「命がけ」「魂を込める」「誠を持つ」だそうです。まさに星野監督の生き方そのもののように感じます。
70歳という若さでこの世を去った星野仙一さん。もっともっと長生きして日本プロ野球界のために活躍してほしかったなぁ…と残念に思います。
同時に、今頃はあの世で島岡監督と旨いお酒でも酌み交わしているんじゃないかなぁ…などとも想像しているのです。
(※画像は明治大学野球部公式ツイッターから。https://twitter.com/mubc_official)
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