国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

紀勢本線を走った夜行列車のお話 第21話

2019-06-05 22:41:07 | 国鉄思いで夜話
しばらく間が空いてしまいましたが、紀勢本線のダイヤの変遷ということで、昭和61年のダイヤをご覧いただこうと思います。

国鉄分割民営化を昭和62年3月に控えていましたが、実は、日本国有鉄道改革法 法律第八十七号が成立するのが、昭和61年12月4日であり、分割民営化は既定の方向で動いていましたが、実際に法律として制定されていませんでした。

この辺が意外と言えるかもしれませんが、実際には法令が制定される前に分割民営化は既定の事項であるとして国鉄が動いていただけに過ぎないとも言えるわけです。

実際の職員選別などは、法律の制定以降に行われることになるわけで、その選定は多忙を極めたとも言われています。

さて、昭和61年の国鉄の動きをサクッと見てみますと、
1月には前年に発売を開始したオレンジカード〔現在は販売を終了した、JR各社の磁気カード)の高額版が発売されました。

国鉄「オレンジ・カード」割引実施 1/1

国鉄は1万円券は7%,5000円券に6%の付加を付けた「オレンジ・カード」の発売を開始

国鉄全職員を対象にした、進路希望アンケートの回答期限 1/6

スキー専用列車「シュプール号」運転開始 1/9
三塚運輸大臣5組合幹部と会談 1/10

天王寺鉄道管理局の直営ハンバーガー店が開店 1/10

天鉄局が杉本町駅に計画していたハンバーガー店「シーダハウス」が開店、地元の飲食店店主から出店反対を受け、9日には営業禁止を求める仮処分が大阪地裁に提出されていた

東京のデパートで、国鉄職員に対する接客等の体験研修が始まり、第一回30人が受講 1/11、

国鉄の民営分割によって62年4月に発足する6つの旅客会社の名称が決定 2/21
北海道旅客鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
四国旅客鉄道
九州旅客鉄道
なお、貨物鉄道(日本貨物鉄道)については、すでに政府原案として決定しておりこれで全ての国鉄を承継する鉄道会社の名称が決まったことになる

等々

ご興味を持たれましたら、是非「国鉄があった時代」昭和61年前半・後半をご参照ください。

さて、今回も用意させていただいた時刻表は、三冊
昭和61年3月、8月、11月になります。
特に、11月号は、国鉄最後の時刻改正〔実質的に、JR発足後のダイヤとなる唯一のものとなります。

結局昭和61年は全国ダイヤ改正が2回行われたことになります。


さて、最初にご覧いただくのは、昭和61年3月号、新幹線100系が大きく写っており、全国時刻改正の文字が見えます。
表紙には、埼京線の新宿乗入れや京葉線の開業など、首都圏での新線開業が目立ちます。


紀勢本線を見てみますと、「特急くろしお」7時台の運転が始まります。
いずれも臨時列車ですが、高速道路が白浜まで開通していない時代、高速度で移動できる手段は国鉄だけであり、国鉄としても紀勢本線は観光シーズンは稼ぎ時であったことが多くの臨時列車が運転されていることでも伺えます。
また、普通列車で、ハローホリデー有田という列車が運転されていますが、国鉄末期に行われたアルファー列車の様なもので、現在の湯浅止まりの列車がありますが、この前身と言えます。
他にも、紀勢本線は観光輸送として魅力があったので、サロンカーなにわによる白浜行き等が運転されています。
当時は、電機機関車を運転できる機関士がいたので、天王寺~紀伊勝浦までEF58が牽引していました、当時の時刻表を参照しますと、特に白浜から南は、機関車列車は大幅な速度制限を受けるのか、381系と比較すると2時間以上も差が出ています。

さて、信楽焼の駅スタンプがご愛敬ですが、臨時列車として夜行快速、「いそつり」が走っています。
そして、一時期は、「南紀」その後は「はやたま」と言う愛称を付けて貰った普通列車924列車は12系客車6連という軽快なスタイルとなり、運転区間も新宮までと短くなっています。
これは、一つには国鉄の荷物輸送が撤退したこともその原因に有るかと思います。


アルファー列車とは?
弊サイト、国鉄があった時代に下記のように掲載されていましたので解説に代えさせていただきます。。

α列車正式運行開始 3/3

毎日運転の臨時列車という名目で、昭和60年3月のダイヤ改正から導入された試行列車で、時刻表にも「α列車」の表示がされていた。3月3日の改正で、一部の列車を除き全て一般列車として認知された

というもので、民営型ダイヤを目指して改善されたものでした。
それまでは、集約輸送と言うことで長大編成で運転する代わりに運転間隔を長くするものでした、これを短編成化の上頻度運転を行おうとするダイヤで、名古屋圏や、広島などの比較的大きい都市でもそれまでは30分とか1時間間隔でといったダイヤを見直し、近畿圏の新快速のように等間隔のダイヤに変更したものでした。


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