国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国会審議議事録 踏切事故編 Part3

2012-04-30 08:01:49 | 国鉄関連_国会審議
みなさま、おはようございます。
ゴールデンウイーク前半いかがお過ごしですか?
10日ほど空けてしまって申し訳ありませんでした。
緊急の仕事?なんてないんですけど何となく間延びしてしまって。
さて、本日も南海本線での踏切事故に関する当時の国会記録からアップしたいと思います。
みなさま、しばしお付き合いください。

○政府委員(増川遼三君) 従来の実績を申し上げますと、踏切道の整理統合及び交通規制を行ないました個所を申し上げますと、三十六年度から四十年度までに国鉄におきまして整理統合いたしました踏切の数が五千九百九十カ所、私鉄におきましては千三百三十五カ所、それから交通制限――通行禁止とかこういった通行規制を行ないました踏切の数が、国鉄におきましては一万三千七百五十五カ所、私鉄におきましては二千五十一カ所、合計いたしまして整理統合しましたのが七千三百二十五カ所、交通規制を行ないましたのが一万五千八百六カ所と相なっております。
 ただいまの御質問にもございますように、今回のような場所につきましては、当然道路の状況からいいましても、また通行量からいいましても、自動車の通行を当然、少なくとも大型車につきましては通行禁止をすべき個所ではないかというふうに考えております。この点につきましては、大阪の陸運局から当該泉南町町長あてに連絡をとりまして指示をいたしておる次第でございます。また、たいして重要でないような、あまり通行量もないというようなところでございますけれども、これ以外にはどうしても非常な大回りしなきゃならぬので、どうしても閉鎖はできないというところにつきましては、通行規制――車両の大きさで制限をするなり、必要でございますが、なお廃止するわけにもいかないというところにつきましては、この当該道路の構造改良なり、あるいは設備の増強なりということをやらざるを得ないと考えております。これらは従来の計画の中で再検討いたしまして、もしここで事故が起こったらどういう結果になるだろうというふうな観点からもう一度洗い直しをしてみたいというふうに考えておる次第でございます。
 ここで、念のために、今回の踏切道における通行状況を見ますると、一日の自動車通過量が百四四、五回でございます。これをその警報機によりまして通行を制限されております時間が一・六時間でございます。したがいまして、当該踏切における制限の時差でまいりますると、百六十六台時というふうに相なりまして、従来われわれの考えておりますものは、時間と車両数をかけ合わせました台時で申しまして一万台時以上のものにつきましては、これを立体交差にする。それから二千台時をこえます場合には、これを構造改良すると、こういうふうに処置をとっておるわけでございます。今回の場合におきましては、それにも非常に及びませんで、ほんとに微々たる踏切と判断をされるのでございますが、われわれのほうといたしましては、これの自動車通行禁止をやっていただきたい。どうしてもそれができなければ自動車の通れるようなものに改善すべきであるというふうな考えで、現地で相互で現在検討をさしておる次第でございます。
○谷口慶吉君 鉄監局長、この概況はこれはいつ印刷されたんですか。
○政府委員(増川遼三君) これは昨日つくりましたものを、けさほどさらに警察庁及び消防庁と打ち合わせいたしまして、一部死傷者の数を訂正したものでございます。
○谷口慶吉君 「下り線を支障して停止している大型トラック」となっていますね。これは荷貨の積載量は何トンですか。
○政府委員(増川遼三君) 当該トラックは大型貨物自動車、日産の一九六二年型ということに調べはなっておりまして、これが五トン車であるか六トン車であるか、車両がめちゃくちゃになっておりまするのではっきり確認ができないそうでございますが、大体六トン車というふうに見ておるようでございます。
○谷口慶吉君 空車でエンストしていたのですか。それとも荷物を積んでいたのですか。
○政府委員(増川遼三君) 事故当時は当該トラックは空車でございました。
○谷口慶吉君 ここに運転者の氏名も年齢も書いてないのですが、氏名と年齢は何で、何年の運転経験があったのか、それはわかっていますか。
○政府委員(増川遼三君) 運転者は佐藤新一郎二十一歳でございまして、運転経験は四年三カ月でございます。それから助手が同乗いたしております。助手の姓名は白川周治十九歳でございます。先ほど、運転経験四年三カ月というのはこれは間違いでございます。取り消します。自動車運転者の運転経験は、免許を取りましたのが四十年六月でございます。普通免許でございます。大型免許を取りましたのが四十一年の四月でございますので、ようやく満一年になったところでございます。
○谷口慶吉君 踏切道ですから、われわれ常識的に考えますと、こういうふうに高くなっていると思うのですよ。その傾斜勾配はどれくらいなんですか。
○政府委員(増川遼三君) 踏切のところの取りつけ勾配は一〇%でございます。
○谷口慶吉君 空車だったら、運転者と助手と二人でバックさせるだけのゆとりは全然なかったものだろうかというふうな疑問が一つあるんですがね。整備部長どうなんですか。
○説明員(堀山健君) その間の事情は、まだよく調査中でわかりませんが、踏切上で車がとまって、その直後警報器が鳴ったというふうではないかと思いますので、そうしますと、人間二人の力――一人はハンドルを持ちますので、一人ではどうしても、この車は五トン車でございますので、ちょっと無理じゃないかと思います。
○谷口慶吉君 森吉運輸というのはトラック会社なんでしょう。これは一体何両ぐらいを所有している会社ですか。
○説明員(堀山健君) この会社は本社が愛知県の一宮市にありまして、車全体は、事業用の車として百四十八両持っております。
○谷口慶吉君 新聞で見たんですが、電車の運転士の二十六歳の人が三歳の自分の子供を乗っけておったというのですが、それは乗っけておったのですか。
○政府委員(増川遼三君) 警察を通じまして私のほうでとりました調査によりますと、三歳の長男を添乗させていたということを自供いたしておるそうでございます。
○谷口慶吉君 これも新聞紙で読んだもんですが、急ブレーキをかけたんだけれども、とても衝突は必至だと見たために、客席のほうに逃げておるんだというようなことになっていますね。そうしますと、二両が落っこって――一両目はさかさに落っこち、その上に二両目が乗って、三両目が引っかかっている。どこまで逃げてましたか。
○政府委員(増川遼三君) その点はまだ警察のほうからの連絡を得ておりません。不明でございます。

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