薬研掘不動院 正式名称:川崎大師平間寺の東京分院 都内散歩
薬研堀不動院は真言宗智山派寺院で
【住 所】東京都中央区東日本橋2-6-8 地図表示:Google Map
【本 尊】不動明王
【創 建】根来寺の大印僧都が天正13年(1585)に当地に創建
【縁 起】 薬研掘不動院HPより
【境内の記念碑】不動院境内の正面左側には 順天堂大学発祥地碑 講談発祥記念の碑 納めの酉の市之碑 などの石碑があります。
【薬研掘不動院】 平成25年5月3日撮影
薬研掘不動院は階段の上にある
薬研掘不動院には赤い幟旗が階段に取り付けられている
薬研掘不動院本堂の左にある講談発祥記念の碑
薬研掘不動院本堂の左にある順天堂大学発祥の地の碑
薬研掘不動院本堂の左にある納めの酉の市之碑の碑
薬研掘不動院本堂の左にある納めの酉の市之碑
薬研堀不動院は真言宗智山派寺院で
【住 所】東京都中央区東日本橋2-6-8 地図表示:Google Map
【本 尊】不動明王
【創 建】根来寺の大印僧都が天正13年(1585)に当地に創建
【縁 起】 薬研掘不動院HPより
御本尊(不動明王)は、崇徳天皇の代、保延3年(1137)に真言宗中興の祖と仰がれる興教大師・覚鑁(かくばん)上人が、43歳の厄年を無事にすまされた御礼として一刀三礼敬刻され、紀州・根来寺(ねごろじ)に安置されたものです。
その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。
その後、明治25年(1892)より川崎大師の東京別院となり現在に至っています。
【江戸三大不動】薬研掘不動院は目黒不動(所在地:目黒区下目黒三丁目20番26号 )、目白不動尊(所在地 豊島区高田二丁目12番39号)とともに江戸三大不動のひとつ。 その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。
その後、明治25年(1892)より川崎大師の東京別院となり現在に至っています。
【境内の記念碑】不動院境内の正面左側には 順天堂大学発祥地碑 講談発祥記念の碑 納めの酉の市之碑 などの石碑があります。
【薬研掘不動院】 平成25年5月3日撮影
薬研掘不動院は階段の上にある
薬研掘不動院には赤い幟旗が階段に取り付けられている
薬研掘不動院本堂の左にある講談発祥記念の碑
薬研掘不動院本堂の左にある順天堂大学発祥の地の碑
薬研掘不動院本堂の左にある納めの酉の市之碑の碑
薬研掘不動院本堂の左にある納めの酉の市之碑
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