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手づくりパン工房「ベンチタイム但東」

豊岡市但東町に移住して6年になりました。パン工房、田舎暮らし、地域の情報、愛犬のことなど、いろいろなことを・・・

オムツをしている幼児がプールに??

2010-08-14 09:50:41 | ひとりごと
水浴びしても、もれないオムツが新発売されて、親子でプールに行く人が増えているとか・・・
オムツをしている幼い子どもを、プールに連れて行く実態が納得できません。
いろいろな人が泳いでいるプールに、抵抗力のない幼児を連れて行くこと事態が、子ども主体の育児を本当にしているのかと疑いたくなります。
親がパチンコに行っている間に、炎天下の自動車内に幼児を残していたなどは論外ですが、子どものことを中心に考え、親がいくら行きたくても、人ごみの中・不衛生な場所・子どもの就寝時など、避けなければならないと思います。
赤ちゃんの発達は、どう見ても昔よりは進んでいるように思われます。よく観察していれば、おしっこや便の周期も分かってきます。
私は、首がしっかりしてきて離乳食が始まる頃に、後ろからかかえておまるでさせました。その辺りからオムツも外れて、洗濯物(昔は紙オムツなどはなくて布でした)も激減しました。
幼い子どもと向き合うのは、その子の人生の中のほんのわずかです。肝に銘じて愛情を持って子育てをしてほしいものです。

かえるを見つけました。





甲子園高校野球

2010-08-10 15:49:53 | ひとりごと
「熱闘甲子園」といわれるように、毎日熱戦が繰り広げられています。一回戦なのに、強豪チームが戦う組み合わせが多いので、見ごたえがあると同時に「敗退チームが可哀相!」と思ってしまいます。
校歌が演奏されるとどの校歌も、学校周辺の環境や教育のコンセプトが折り込まれていて、なかなかいいものです。高校の校歌は、人生の中で一番心に残るものです。歌う機会も多いことと、歌詞がよく理解できる年令になっているからかもしれません。
私の高校も、女学校から共学になったので「真・善・美 そはわれらの命」という出だしで始まった優しい校歌でした。

昨日いただいた素敵な花です。



国旗と国歌

2010-08-07 13:23:13 | ひとりごと
子育て真っ最中の頃は、PTAの役員をしたりボランティア活動に忙しくしている毎日でした。
先日の民主党・議員総会で思い出したことがあります。
PTA総会の最後の「何かご意見はありませんか」に対して、「国旗と国歌について、どう思われますか」と質問されました。
国旗を先頭に掲げて戦争を続けた結果、多くの人の命を失ってしまった国への非難。
また国歌の内容が、「君が代」を「民」ではなく「天皇」と解釈できることへの批判。
そんなマイナス面を強調して、国旗や国歌の使用を追及するものでした。
革新系の人たちが、公の場で意見を言ったりすることが、今よりも多かった時代です。
「国旗や国歌がない国はありません。反対されるならば、今の国旗や国歌に代わるものを提案すべきです」ときっぱり言いました。
あらためて思います。日の丸の国旗は紅い太陽を表しているようで、どこの国旗よりもシンプルなデザインで分かりやすいこと。
国歌については、私の母は「君」母の姉は「千代」という名前です。大正生まれの子どもに天皇を示すような名前をつけたとは思われません。


百合地の人工巣塔は、2日の豊岡の花火大会が実施された円山川のすぐ近くにあります。
巣立ちがまだの3羽のコウノトリが、びっくりして巣から落ちないように、セーフティネットが張られずっと見守られていたようです。大丈夫だったようで、3羽は特等席で花火を楽しんだかも・・・
「六方たんぼのコウノトリ便り」から拝借した写真です。
http://pub.ne.jp/kounotori/

65回・原爆の日

2010-08-06 21:39:30 | ひとりごと
午前8時15分、原爆が投下された日も、今日のように朝から晴れ渡っていたと聞いています。
今日の記念式典は、国連事務総長やアメリカ駐日大使の出席で、世界的にも注目されたことと思います。
そして、広島市長の平和宣言を初めとした挨拶には、世界平和を願う内容と言葉に迫力がありました。
また、自分たちの言葉で訴えた二人の小学生の姿に、広島だけでなく全国の子どもたちに、平和の願いが伝わってほしいと思いました。

奈良にいる孫から手紙が来ました。夏休みでも地域の行事があったり、スイミングスクールに毎日通ったり、結構忙しそうです。手紙の最後に「ラッキー」と「そら」の絵がかいてありました。
この子たちも、いつか広島を訪ねてほしいものです。

平和記念日

2010-08-04 13:54:45 | ひとりごと
広島の原爆資料館を訪ねたのは小学生の頃ですから、もう50年前になるでしょうか。
詳しくは覚えていないのですが、父の実家が岡山ですから、帰郷した時に行ったのでしょう。
今のように周辺の記念公園などはなく、原爆ドームもそのままの状態だったように思います。
原爆資料館では、敷石に残った黒い影が印象に残っています。2歳下の弟は「怖い」と言って入りませんでした。
大阪の実家の近所には、原爆にあったお姉さんがおられました。顔や手足にケロイドがあって、原爆乙女と呼ばれていた方ではなかったでしょうか。
まだ終戦後の復興は始まっていなかった頃で、畑の真ん中のバラック小屋に、親を亡くした同級生がおばさんといっしょに生活していたり、防火水槽が家の玄関を出たところにあったりしました。
子供心に、「戦争は絶対してはいけない」と感じた原風景です。

我が家の栗の木です。いつのまにやら大きい実が・・・


戦争で焼け野原だった日本の国も、緑の多い場所になってきました。自然の力は素晴らしいものです。

京都の書店・恵文社

2010-08-02 14:04:38 | ひとりごと
知る人ぞ知る京都の書店「恵文社」を取材したテレビ番組を先日見ました。
新刊本を積んである一般の書店とは違って、お客さまに手にとってもらえるような内容や表紙にこだわって、さまざまな書籍が並べられていました。
独身時代の職場の上司が、本が大好きな方で、いつかは本屋さんをしたいとよく話されていました。
この番組を見ながら、自分のこだわりの本を、こんな風に店頭に並べたいと思っておられたのだと感じました。

私も活字大好き人間で、本を選ぶ時は結構慎重です。
何年もたってまた目を通したくなるような本や、孫の代にまで伝わるような絵本を選んでいました。恵文社の店内を写している画面で、我が家にもある本を見つけました。1985年発行の「冒険図鑑」です。生まれたばかりの孫にプレゼントします。

沖縄マンゴー

2010-07-31 19:25:29 | ひとりごと
沖縄のH氏から、マンゴーをプレゼントしていただきました。
南国の太陽をいっぱい浴びた、みずみずしい沖縄マンゴーです。いただくと甘くて本当に美味しい!! 元気をもらいました。感謝!感謝!
H氏とはもう50年もお会いしていないでしょうか。
私の実家は終戦前に空襲で焼かれ、大阪市の西区から旭区の長屋に転居しました。大阪工業大学の近くで、周辺には学生寮や下宿がたくさんありました。H氏は隣に下宿されていた沖縄からの留学生で、沖縄の返還など思いもしなかった頃のことです。
我が家は狭い家でしたが、クリスマスなどの行事の時には、近所の学生さんにも声をかけて、たくさんで食卓を囲みました。
マンゴーをいただきながら昔のことを思い出しました。

疎開日記

2010-07-29 12:25:31 | ひとりごと
亡くなった母が幼い私を連れて、父の実家の岡山県足守に疎開していた時の日記が残っています。
昔の書き方ですから「しょう」が「せう」となっていたりして、少し読みにくいのですが、終戦前の状況がリアルに書かれています。
特に、原爆にあった父の一番下の弟が、広島から命からがら戻ってきて、離れで何日間か寝て過ごした後に亡くなったことは、文章では表せなかったこともたくさんあったことと思います。
私は、離れから聞こえた「痛い 痛い」という言葉をいつまでも言っていたそうです。

終戦記念日が近づいてきて、戦争当時の出来事を若い人に伝えていこうという動きもありますが、あの当時のことをなかなか積極的にはいえないものです。疎開日記を残してくれた母から、もっと話を聞いていればよかったと思っています。身近な人から昔の話を聞くことも、事実を知ったり、日本の心を取り戻すきっかけになるのではないでしょうか。

こんなにきれいなチューリップを見ると、平和な国・日本を実感します。

レディ・ワシントン号

2010-07-28 09:50:40 | ひとりごと
ペリーの黒船が、日本に初めて来航した船と思い込んでいましたが、その62年も前に、和歌山の串本町にレディ・ワシントン号という小さい帆船が来ていたそうです。通商を行うために堺に来る予定がかなわなかったためだとか・・・
串本町は、トルコの船が座礁して漁民が乗組員を助けた話があって、友好関係にあることは知っていましたが、レディ・ワシントン号のことは初めて知りました。
明治維新のことも、龍馬ブームでいろいろな関連書籍が出ていて、まげて伝わっていることもたくさんあることが分かります。
歴史に事実がのらないことだらけの日本です。


この猛暑が続く中では、熱中症が心配で草刈もストップです。家もログハウスの周りも、雑草でジャングル化しています。

小河勝氏の算数チェックノート

2010-07-26 11:45:01 | ひとりごと
理数系の若者たちを採用していこうという社会情勢の中で、数学の基礎ができていない中高生が多い傾向を取材している「週刊文春」の記事で、懐かしい方の名前を発見しました。
今は大阪府の教育委員をされている小河(おごう)勝氏です。
奈良のベンチタイム二店目・家庭料理の店「富雄店」のお客さまでした。一人でこられたり4人のお子さんもいっしょに家族でこられたり・・・
その頃は大阪の公立中学校の教師をされていて、じっくりお話しすることはなかったのですが、教育に情熱をかけておられることをひしひしと感じました。
それが小河式算数チェックノートとして誕生し、それを中高生の本人が繰り返し使うことで、抜けている数学の基礎を取り戻すことができるそうです。
このことで基礎の大切さを実感し、あきらめないでチャレンジする若者に期待したいものです。

メープルレインボーの色がまた変わりました。