汨羅の観察人日記(一介のリベラルから見た現代日本)

自称『リベラル』の視点から、その時々の出来事(主に政治)についてコメントします。

デマゴーグを討つ-産経新聞「阿比留瑠比」1

2012-01-11 02:40:04 | 報道批評


私は小沢一郎氏の政治理念を支持するものである。従って、菅直人前首相の脱小沢路線なるものは全く評価しないし、敵意する覚える。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言ったものである。もともと菅直人氏に好感は持っていなかったが、脱小沢論戦で人気取りに走ってからは、この政治家への私の評価は低い。 しかし、この阿比留瑠衣なる産経記者の書いたコラムと言うか与太文書を読むと、この人物の知性、そして当該コラムを掲載する産経新聞なるメディアのあり方に疑問を持たずにはいられない

 まずは、このコラムを読んでもらいたい。 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120108/plc12010803130003- n1.htm

この記事では、菅首相(当時)の状況判断がいかに杜撰であったかを滔々と述べているが、
その指摘は全くのデタラメロジックで成り立っている。

この記事最初から最後まで酷いものである。何が酷いかというと、まず、
菅首相はベントに否定的な東電本社に対し苛立ち、そして激烈な指導をしたにも関わらず、東電本社への言及は全くないまま、ベントを一生懸命行っている現場へ、勘違いをベースに視察に行き、そして作業を遅らせたというストーリー展開に成っている。
 この段階で阿比留なる記者の知性を疑う『勘違い』と言うならば、東電本社と官邸のやり取りを分析しなければならない。即ち、東電本社はベントを行う意志決定をしていたにも関わらず、官邸は東電本社の意図はベントをしないと『勘違い』していたことの説明が必要である。それにも関わらず、ここのやり取りはすっぽり抜けている。そして、あたかもベント作業をしている現場にいきなり行って、
現場を混乱させたかのような話の展開で
ある。 よくぞここまで他人のネガティブキャンペーンをするために、都合のよい事実のみを繋ぎ合わせることができるものだと関心する。
実関係として、『官邸側は東電本社にベントを指示→東電本社がベントができない旨報告→菅首相による現場督戦』という流である。このようなことは、当該コラムの冒頭にある「東京電力福島第1原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会報告書」を読めばわかることであるが、阿比留記者はここには全く触れない。
 
そして、現場の報告書内にある原発作業員の声を書き、現場職員が困惑しているたところを殊更に強調し、あたかも菅首相は邪魔であったかの記事を書いてある。この記者が現場で頑張る労働者を美化したい「労働運動家」的メンタリティーを有しているのはわかった。しかし、これも現場の人間=ヒーローという虚構に基づいた批判である。 そもそも、現場で作業して
いる原発作業員は全体の状況等理解できない
。即ち局部だけを見て判断しているに過ぎない。一方、情報が集まる官邸では高いところから判断できる。そう、
全般を考慮した場合、ベントを早急にしないと大変なことになるのでわざわざ現場に行って督戦、政府としての覚悟を見せたのである。こんなことも理解できないとは、阿比留記者は大局というものを考える能力に乏しいのだと判断せざるを得ない。
 
さらに、菅首相の行動はパニック・混乱と決めつけているが、何をもってパニック・混乱していたとしているのかも不明である。
阿比留記者は、他人に怒鳴られたこともないお坊ちゃん育ちなので、他人に対して怒鳴る人間はパニック・混乱しているように思うのであろう上司として本気度を部下に示すため「敢えて」高圧的になるやり方があることは想像の範疇外なのであろう。 そもそも、あの原発事故状況の中で、ノンビリ構え「君ねぇ、○○
してくれなきゃ困るよ」等と行っている方が
指導者として致命的欠陥を持っているといえるだろう。
それとも阿比留記者は、原発事故を目の当たりにしつつ「東電は民間企業なので政府が口を出すべきではない」と言い放った自民党・石原幹事長の姿勢が正しかったとでも言いたいのだろうか。

 

さらにこの期に及んで「菅首相が現地に行かなければベントは早く実施されていた」と物理的に無理だった迅速なベント実施に対し、可能だったと言い切る厚顔無恥というか、プロパガンダを垂れ流すに至っては、阿比留某はもはやジャーナリストとしての矜恃すら持っていないと思わざるを得ない。 以下、本コラムは続いているのだが、要は阿比留氏の作成したい物語に都合のよい事実の組み合わせ、狭い見識、一方的決めつけによるネガティブキャンペーンが繰り広げられているだけである。

そもそも、福島原発事故は菅氏が首相であれば被害様相が変わっていたのであろうか。少なくても、「原発は民間企業だから、民間企業に口を挟むな」と言った自由民主党だったならば、更に状況は悪化していただろうが仮に小沢氏が首相でも、私は被害状況には大きな変化はなかったと思う。
 根本的な問題は、本来危険な
原発を地域住民・世論対策から「安全だ」とプロパガンダ
をしていたところ、当のプロパガンダを行っていた電力会社を始めとする原発村の方々が「原発は安全」との自己暗示
にかかり、それに対してストップをかけるべき政治・行政も暗示にかかったことが問題であろう。
さらに、電力会社からの政治献金により、原子力村の閉鎖性への一部識者・ジャーナリストの警鐘を国会で取り上げることへの鋭鋒を鈍らせた政治特に元万年与党の自民党も問題である。
そしてこれらを批判しているマスメディアそのものが、広告料により原発の安全神話を何の躊躇もなく国民に宣伝していたことも問題であろう。
即ち、今回の原発事故は、日本社会全体の問題であるという結論にしかならないのである。

それにも関わらず、阿比留瑠衣氏は「原発事故の元凶は菅直人」と主張する。このような、特定個人を対象としたネガティブキャンペーンを弱小紙といえども新聞で行う阿比留なる人物の知的水準を
私は疑うし、当該コラムを産経新聞読者層に阿り紙面に掲載する
産経新聞は、もはや新聞というより「朝刊 産経」と改称したほうがよい、イエロージャーナリズムに片足を突っ込んだメディアであると断言せざるを得ないだろう。





歴史から学ばない人達-韓国高速鉄道輸出への批判を通して

2012-01-06 22:01:45 | 報道批評



MSN産経ニュースを見ていると「前代未聞、恐怖の逆走…韓国高速鉄道「海外進出」に批判の声」(←クリックで記事にジャンプ)という記事があった。
本記事によれば、韓国高速鉄道(KTX)は常日頃から故障や運行遅れが目立つ上に、運転ミスで停車駅を通過後に停車駅に戻るために約10分間逆走したとのこと。韓国内では「輸出など時期尚早」との声がでているとの事である。
確かに我が国の新幹線を始めとする鉄道は定時定刻運行が当たり前であり、ましてや10分間の逆走など今後も起こることが無いであろう。
このような正確無比なシステムを擁する我が国の新幹線に韓国の高速鉄道が挑むなど早い早い・・・と、本記事を読めば思う人が多いのではないだろうか。

しかし、少し考えれば、本記事の記者を始め、だから韓国は・・・と考えている方は、サムソン電子が弱電部門で日本企業からシェアを奪い今や世界最大の電気メーカーになり、現代自動車が北米市場や新興国市場で躍進著しい要因を完全に見落としているのではないだろうか。
韓国企業の強み、それは輸出先の徹底したマーケティングにより、カスタマーニーズを満たしつつ安価な製品を販売していることにあるといえる。これにより、市場を開拓し、シェアを伸ばしていった。
一方、日本勢は成熟市場や新興市場いづれにおいても日本スタンダードのハイスペックかつハイプライスな製品を供給し、結果としてシェア獲得競争に敗れ、最悪の場合は撤退に追い込まれる。撤退に追い込まれなくても苦しい競争を強いられているというのが現状であろう。

このような過去の経験から考えると、新幹線とKTXが競合した場合、KTXの輸出の成否は、輸出先において住民が許容できる運行遅れの幅と輸出先の国がインフラ整備に投資しうる金額との兼ね合いで決まるのであり、仮にKTXが提示する性能(特に運行面)が相手側の許容する範囲内で収まっていれば、新幹線側がどんなに正確な運行時間と安全性を強調したところで、KTX側が新幹線側より安価な値段を提示したとすれば、落札されるのはKTXである。
一般論でいって、相手が許容する範囲まで性能を落として製品を開発すれば、相手の要求する性能を遥かに上回るハイスペックな商品を作るより安価に製品を作ることができる。このことからすると、ハイスペックを追い求める新幹線より、ある程度性能は犠牲にしているがコストは安いKTXの方が輸出競争に勝つということになる。

産経の記者も、韓国を冷笑するのも結構だが、韓国企業が軒並み日本企業から市場からシェアを奪っている要因をもう少し分析してから記事を書くべきだろうし、それこそがマスコミ人の社会貢献であろう。
いつまでも戦後の成功神話に酔いしれ相手国を侮っていては、日本は勝てる競争にも勝てなくなるのではないかと危惧する。韓国が日本のチャレンジャーとして出てきた以上、韓国という国を蔑視・冷笑ではなく、正面から見据えて分析する努力を社会としてしなければならないし、それを国民に普及することがマスメディアの役割であろう。

少なくても、韓国社会は日本を真面目に分析していたし(例:朝鮮日報刊『(邦題)韓国人の見た日本』)、現在も行っている。我が国のマスコミも、この本のような深い韓国社会分析を行った記事を連載してもらいたいものである。


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米大統領選挙予備選と橋下大阪市長

2012-01-05 14:41:35 | 政治全般

米大統領選の共和党予備選挙において、ロムニー氏がアイオワでの予備選を制した。共和党の予備選に関しては「無知蒙昧・愚かさの競い合い。ブッシュ(子)が聡明に思える」と欧州の新聞で揶揄されている中、見識・政治的手腕とも群を抜いているロムニー氏が極めて僅差とはいえ(アメリカ的意味での)保守層が強いアイオワで勝利したことは、アメリカ社会の良識はまだまだ捨てたものではないと感じた。

 一方、我が国はどうなのであろうか?先日の大阪市長選挙を鑑みるに、暗澹たるものを感じずにはいられない。橋下氏の選挙戦略は単純である。『市民の敵「市職員」を討伐するために正義の使者、橋下が乗り込みます。市民の皆さんお力を』というものであろう。その目玉は市をぶち壊して『都』にするというものである。 要は、『市民の敵』を設定し、大衆の怒りをそこに向けさせ、敵を叩く正義の使者として大衆の支持を得るというものである。
このような大衆の「スケープゴートを叩きたい」という感情に訴える手法は結局のところ社会を分断し、理性的な議論を封じ込め、合理性より直感に頼った市運営にならざるを得ず、その負の影響は大阪市民及び大阪府民が直接受けることになる。

 私が問題視するのは、歴史の経験則からこのようなことはわかりきってたにも関わらず、世論調査の結果に阿り、橋下氏をあたかも逼塞する日本社会の救世主のごとき言動を弄するマスコミ人である
一通りの教養のある人間であれば、オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を読んだことがあるだろう。少なくても、マスコミ人に「社会の木鐸」としての自負があるならば、学生時代とはいわないが、マスコミ業界に入った以降は読んでいなければならない本である。
私はマスコミ人が当該書籍を読んだことがあることを前提として書くが、「大衆の反逆」を読んだ上で、世論調査に阿り「橋下提灯記事」を書くとはどのような了見なのかと言いたい。確かに、テレビは視聴率、新聞は購読数があるので「大衆の欲望」に応じた番組編成・紙面編成をしなければならないのは分かる。しかし、それにも限度があるだろう。あのような大衆扇動型政治の行き着く先は知れているのだから、そのことに対ししっかりと警鐘を鳴らしていく、それがマスコミの使命というものである。それを怠っているのであれば、社会の木鐸の名を返上し、人を見ては吼えている狆コロから名をとって『社会の狆コロ』と改称すべきである。

アメリカ政治も、選挙戦におけるネガティブキャンペーン、茶会運動に見られる『極端な保守』の政治的影響力の増大等の問題が多々ある。しかし、共和党の一つの州における予備選ではあるが、アメリカ社会はロムニーという扇動的な政治的主張とは距離を置いている政治家に票が集まる社会的厚みがまだ健在だということが今回の予備選で分かった。
一方我が国は、大阪という一地方の出来事ではあるが、扇動的な政治家が出てきた場合、そこに票が集中するという事態が発生した。但し、今回の橋下旋風は小泉首相(当時)の郵政選挙と同じ事象であり、今回の大阪市長選挙はローカルな特殊事情ということでは説明がつかない。橋下旋風は日本社会全体に起こりうる事態である。 このような○○旋風により、我が国はよくなるのだろうか。感情と思いつきによる投票行動で社会がよくなると私は全く思わない。
マスコミ人は、自社の視聴率アップ、購読数維持・アップの前にやるべきことがあるだろうと声を大にして言いたい。

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波乱の年、2012年

2012-01-04 12:27:08 | 政治全般


2012年といえば、米国・ロシア・韓国での大統領選挙、中国における指導部の交代等、国際政治が大きく動く年である。年末に金正日が鬼籍に入り、北朝鮮という国家運営の帝王学をほとんど学んでいない金正恩が北朝鮮のトップになったのは、2012年をむかえ不安定化する国際情勢、特に東アジア情勢の不安定化に華を添える出来事であった。

さて、我が国の情勢を見てみると、なにやら「消費税増税」を論点に今年中に総選挙がありそうな勢いである。総選挙があった場合、民主とは現在の議席を保つのは困難だといういう予想が出ており、問題は民主及び与党がが過半数を維持できるかが焦点になろう。言い方を変えると、自民・公明による政権奪還が成るか否かということである。

しかし、少し考えると、この構図はおかしいということに気付く。そもそも、先の参院選で「消費税増税」を公約に掲げ勝利したのは自由民主党である(もっとも、得票率は民主党の方が高かったが)。民主党が自民党に擦り寄り、消費税増税を言い出したのならば、公約を実行に移すステージに入ったと真っ先に協力してよさそうなものであるが、何故か自民党の見解は「民主党が行う消費税増税は反対」である。理由は「民主党は選挙公約違反だから」である。
ちょっと待ってもらいたい。そもそも、民主党の公約のエッセンスは、マニュフェストに掲げるセーフティーネットを整備しつつ、政治・行政の無駄を削る。したがって、先ず「増税」ということはやらない。そして、無駄を削っても歳入が足りなければ増税するということであったはずである。
これに対し、自民党は参院での優位により旧社会党のように何でも反対し民主党の法案を参院で通過させず、結果として旧来(自民与党時代)の政策の延長を行う以外の選択肢がなくなったため、歳入不足を補うためには消費税増税しか手段が無くなったということであろう。
このように見ると、自民党が言っているのは、「自民党が民主党の法案を参院で葬る→民主党は従来の延長線以外の選択肢が無くなる→自民党は『民主党は公約違反』と騒ぎ立てる」という、自作自演以外の何者でもない構図であり、政党は権力を掌握するために何でもするということを知らなければ噴飯物である。

このように自民党の消費税に関する主張を見ると、一体この政党は何を考えてるのかわからないのであるが、そもそも、自由民主党そのものが何を目指しているのか、どのような国家、どのような政治を目指しているのかさっぱりわからない。ここに自民党のHPにある新綱領へのリンクがある。 http://www.jimin.jp/aboutus/declaration/
これを見てわかるのは

新憲法制定
高い志をもった日本人育成
小さな政府
持続可能な社会保障制度の確立(少子化対策含む)
世界一、安心・安全な社会
食糧・エネルギーの安定的確保
知と技で国際競争力の強化
循環型社会の構築を
男女がともに支え合う社会
10生きがいとうるおいのある生活
 
ということを自民党が目指しているということである。 新綱領を見ると4~10は民主党のマニュフェストにも書かれているというより、更に具体的に書かれているということである(因みに、1は民主党内の意見集約ができず、2に関しては言及無し、3に関し民主党は大きな政府指向)
つまり、4~10の分野では、党利党略がなければ十分に民自の調整が可能な分野であるのだが、何故か自民党は民主党の低い法案成立率を攻撃し、民主党マニュフェストを攻撃している始末である。民主党マニュフェストの攻撃は結構であるのだが、では、自民党が新綱領実現に向け、何を努力しているのかさっぱりわからない。

何故、自民党がこのように政策本位ではなく「政局本位」な主張をするのかといえば、色々な要因があるが、大きな理由の一つに「自民党は保守陣営の権力維持のために作られた政党である」という出自が大きく影響していると私は考えている。55年体制における保守合同の経緯を見れば、このことは容易にわかるであろう。左右社会党の合同への保守陣営のカウンターとしてできた政党、これが自由民主党である。従って自民党の綱領とは、畢竟、自由党の主張+民主党の主張以外の何者でもない。
 実際、自民党の綱領・新綱領そのものが自由党と民主党の政策を足したものであり、鳩山一郎氏を鑑とする鳩山由紀夫元首相が実質オーナーであり、マニュフェスト作成に木曜クラブ直系の小沢一郎氏が深く関わった民主党マニュフェストと自民党の新綱領が類似していてもそれは当然なのである。

 このように、自民党と民主党は「保守」という根は同じであり、自民党の新綱領で目指すところと民主党のマニュフェストは大きなところではベクトルが同じなのであるが、自民党は民主党の政策は全否定している。このような、結果として自分達の新綱領を否定するよう主張を、自民党は何故できるのか?という疑問が出てくる。先に指摘した「党派的見地からの否定」という要因以外で言えば、自由民主党は権力を維持する(即ち政権党でいる)ことを目的とし、政策は二の次の政党に成り果ててしまっていることに、その原因があるといえる。
 実際、自民党のHPを始め、谷垣総裁、石原幹事長等、自民党の政治家の口から出てくるのは、ひたすら「民主党の政策はダメ」ということばかりであり、「このような国家・社会にするのでこのような政策が必要」という建設的な意見というものはほとんどないというのが現状である。 冷戦時代、自由主義化か社会主義どちらかを選べという時代であれば、自民党への投票=自由主義の選択ということが明確であった。また、人口増を前提とし、外交は対米一辺倒で済んでいた時代は、政官財のトップ層の思惑が基本的には一致しており、政治の役割は利害調整と現状の問題点の是正であったし、これで十分であった。

しかし、昨今の情勢は劇的に変化している。冷戦終了と中国の国力増により東アジア情勢は流動的になっている。我が国は人口減局面に入り、黙っていれば経済のパイは縮小していく。
このような状況において、政治に期待されているのは、いかにして東アジアにおいて我が国が起立し、人口減社会において国の経済力を維持・増進し、国民の福祉の充実を図るかというビジョンを示すことであろう。 確かに民主党の政策は予算の抜本的組換えをしなければ財源が拠出できない政策であり、予算の抜本的組換えは負の影響が大きいため実施には相当な摩擦と困難が伴う。このため、マニュフェストの実施は財源という面で実現性が疑問視されるのはそのとおりである。 では、財源問題を叩いている自由民主党にはいかなるビジョンがあるのか?今までの自民党代議士の発言からわかるのは、外交は対米一辺倒以外のオプションは思考の範疇外であり、少子化対策は現状の延長線以外の策はなく、経済のパイを広げる具体策は何も無い。要は新綱領というビジョンらしいものはあるが、それを実現する気はサラサラ無い。つまりビジョンなどというものは持ち合わせていないとしかいいようが無いであろう。

このような政党に、これからの日本を任せてよいのかというと、私は甚だ疑問に思うわけである。 更に見方を変えれば、自民党とは所詮は冷戦体制化に生まれた政党であり、国際環境、社会環境が激変した今日においても新しいビジョンを国民の前に提示できないのであれば、既に賞味期限切れであるとしかいいようがあるまい。

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