汨羅の観察人日記(一介のリベラルから見た現代日本)

自称『リベラル』の視点から、その時々の出来事(主に政治)についてコメントします。

冷戦的発想から抜け出ることのできない日本における素人外交論

2020-10-22 01:37:32 | 国際情勢

本邦において、米中対立を新冷戦と呼び、中国を旧ソ連よろしく打倒すべき相手と見る向きが盛んである。現下のトランプ政権による対中の超強硬路線がこれらの人々に確信を与えていると言っても過言ではないだろう。

しかし冷戦期、西側諸国は、旧ソ連が世界中で社会主義革命を起こそうとしている、または起こそうと企てていると見做しており、旧ソ連も資本主義サイドが反革命としてソビエト社会主義の打倒を企てていると考えており、冷戦期の国際関係はいわば体制間の生存競争であったと言える。

他方で、現在の米中対立はどうであろうか。中国はそもそも自国制度を革命により世界に伝播しようとしているとは考えられない。というより、そもそも経済について資本主義を取り入れていると言えるこれで体制選択とも言えた冷戦期と比肩するのは無理があると言える。

端的に言えば、現在の米中対立は冷戦期の二元論的対立というより、19世紀的な大国間の競争、則ちパワーオブバランスの世界と見る方が実態近いであろう。過去の例で言えば、欧州の英仏の関係と言ったところであろうか。

このように見ると、本ブログを書いている現在、管首相が「自由で開かれたインド太平洋」を推し進めるべく、ASEAN諸国に赴き対中包囲網形成に成功しつつあるかのような報道ぶりである(一例:産経新聞2020/10/21)。

しかし、当のASEAN諸国は冷静である。たとえば。フィリピンは米国との地位協定の放棄を米側に通知する等、アメリカ一辺倒ではない(⇒時事通信2020/2/11)。

管首相が今回訪問したインドネシアに至っては基本的に中立政策である(⇒ニューズウィーク2020/10/21)。本邦のメディアはこの辺りの事情も踏まえた上で国民が、日本は世界的な対中包囲網形成に貢献している的な幻想を抱くのを防ぐ必要があろう。

日本社会にとり必要なのは、経済の復活であり、そのためには少子高齢化社会に突入し需要が縮小する国内市場の他、海外市場にも目を向ける必要がある。将来的に人口増により市場として大きくなる可能性があるのは所謂「一帯一路」に該当する地域なのであるから、日本企業が、如何にして当該市場にアクセスできるようにするかというのが、政府が考え実行すべき事項であろう。

そして、他のアジア諸国は、安全保障上の問題と自国の経済的利益を上手に天秤にかけながら外交を行っている。日本政府も、自国社会や自国民が如何にすれば豊かになるのかを真摯に検討し、従前の対米一辺倒外交で良いのか否かを今一度考え直すべきであろう。その結果が従前の外交の延長ならばそれはそれで結構であるが、米中デカップリング論や新冷戦論に安易に乗り、イデオロギー的に反中一択外交では日本社会の繁栄はおぼつかないと言えるだろう。


環境問題で中国に遅れをとる日本

2020-10-22 00:34:38 | 国際情勢

報道によると、中国は二酸化炭素排出量を2060年までに実質ゼロにする計画に着手したそうである(引用:共同通信 2020/10/19記事)。本邦においては、どうせ中国に達成できるわけない等々の斜に構えた意見を言う人が多いのだろう。しかし、二酸化炭素排出抑制による地球温暖化防止という、先進国が唱えている世界の公共的事項を中国政府が対外的に言い出したことに着目する必要があろう。ほんの10年ほど前まで、アジアでこのような事を世界に向けて言えたのは日本だけであったと言っても過言ではない。しかし、ストレスによる腹痛で政権放り投げ×2男である安倍晋三が2回目の首相をやって以降、地球儀俯瞰外交なる意味不明なスローガンを掲げ、外遊してカネをばらまき、対中包囲網を築くというアホな外交に邁進している間、日本社会には世界公共的事項を先導するという気概も実力も無くなり、中国にお株を奪われる事態になったと感じる。アメリカ社会の今の混乱状況を併せて見ると、アジア情勢におけるパラダイムシフトが起きつつあると感じる次第である。

真に日本社会の繁栄を願う者であれば、冷戦期の善悪二元論的安全保障環境の理解から脱することのできない、中韓に対する差別意識丸出しの本邦の自称保守・愛国者達の愚論に惑わされる事無く、このパラダイムシフトが起きているアジア情勢下において、日本社会をどのようにしたら豊かで繁栄したものにできるかということに、脳漿を搾るべきであろう。


日本学術会議を巡る愚論

2020-10-18 10:01:51 | 自称保守・愛国≒ネトウヨ

日本学術会議の会員候補6名の任命拒否問題については、論点は次の二点なのであろう。①法律論 ②国家権力と学問の関係。①はある程度、結論がみえている。要は普通に理解すれば法律違反(3条)との誹りは免れないであろう(⇒日本学術会議法)。以下の朝日新聞の記事に要点が書いている(⇒朝日新聞リンク)。②について、学問の領域と国家権力には距離があった方が良いに決まっている。それは、人間の思考Aがあり、Aを更に発展させるためには、Aに対する批判見解Bとの討議を通じて新たな思考Cを案出するという手段をとるのが、一般的であることによる。これをしなければ間違いなく思考は停止し、新たな見解、よりよい見解は出てこない。これは歴史の鉄則である。よって、世に名君との誉れの高い李世民、趙匡胤、上杉鷹山等は耳の痛い話でもあってもよく人の話を聞いたというエピソードが伝わっている。この逆に暗君と呼ばれる者異論を言う者を処罰するというエピソードが伝わっているのは巷間に伝わるところである。

上記のように考察すると、学術的な見地から政府の政策を批判する学者の存在は日本社会にとり貴重であり、これを意見が異なるから排除というのは、日本社会のためにならないという結論になる。日本学術会議法の制定当時は、おそらく左記の考え方は当然だったのではないかと思っている。

ここで、自称保守・愛国≒ネトウヨ達は曰く「見なし公務員なのだから政府の言うことを聞くのは当然」。この論法で行くなら、国立大学法人の学者は皆政府の方針に従って研究しなければならなくなる。これが如何に愚劣かは旧ソ連が同様のことを行っていたが、その結果がどうなったか見ればわかるであろう。よって、上記のような指摘をしている自称保守・愛国者達に、「おまえ達は日本の学術の世界を旧ソ連のようにしたいのかと問えばよい。SNSでしつこく絡んでくる輩には、「中国・北朝鮮も似たようなことをやっている。おまえは民主集中制を理解している優秀な中国共産党員か朝鮮労働党員になれる」とでも言っておけばよろしい。

さて、話は大きくズレるが、日本学術会議を巡る一連の騒動で、自称保守・愛国社≒ネトウヨ達の愚劣な知性が炙りだされたのではないだろうか。

その一例がフジテレビ上席解説委員の平井文夫氏であろう。この御仁、10月5日放送の情報バラエティー『バイキングMORE』で「だって、この(日本学術会議の)人たち、6年ここで働いたら、そのあと(日本)学士院ってところに行って、年間250万円の年金をもらえるんですよ。死ぬまで」という嘘をばらまいたことは有名な話である。

まぁ、人間だから誰にでも間違いはある。しかし、この御仁は案の定、自分の間違いを認めることから逃げ回り、翌日別のアナウンサーが訂正する事態に。加えて言うと、この平井某の誤報に乗って学術会議をSNS上で罵倒していたイタイ自称保守・愛国者どもで自分の書き込みについて訂正や削除をしたような人物は存在するのだろうか。存在するなら紹介してもらいたいものだ。自分の事実誤認を認め、それを訂正できない知的誠実性皆無輩による学術会議批判は、今の日本社会に蔓延する、『学問は企業の儲けになり、ノーベル賞で国威を発揚づるために必要だ』的な反知性主義的風潮の現れであろう。

似たような話として中国における研究がある。日本の研究者が中国で研究することに対し批判する馬鹿が結構存在しており、これを日本学術会議と結びつけて罵倒している馬鹿な輩が存在する(例:産経新聞記事)。記事を書いている花田氏は生活費を稼ぐために当該論調の記事をかいているのであろうが、こういう記事を読んで喜ぶ層が日本に多いのもまた一つの事実であろう。

そもそも、学者が何故中国で研究を行うのか?それは日本において十分な研究ができないからであり、これは本邦の文教政策が失敗している証左であろう。それをあたかも売国だのように論難している方がおかしいのである。現在の大学における研究環境は日本の方が中国より遙かに勝っていると思い込んでいるのであろう。こういう、環境認識が昭和で止まっているような残念な輩の批判が的外れに終わるのは当然であると言える。そしてこういう不勉強な輩が曰く「中国の軍事科学技術の発展に寄与している云々」。確かに現代の戦争は、軍事・非軍事融合型であり、民政技術と軍事技術の垣根が非常に低くなっているので、あらゆる研究が軍事に結びつく可能性はある。しかし、以下の二点で当該指摘は失笑ものであろう。

1点目:そもそも、中国が【軍事科学技術】で日本に学ぶものは何かという所を明確にする必要はある。中国は今やICBMを開発・整備しており、また性能はおいておくとして戦闘機を独自開発できる国になっているということを認識する必要がある。これを踏まえ、日本学術会議叩きを行っている輩は、中国が【軍事科学技術】について日本から学びたいものは何だと言っているのだろうか。日本が軍事技術の流出で留意しなければならないのは、まずもって軍関連の情報が日本経由で流出することであろう。中国が狙うとしたらこれであり、その意味で、仮に中国云々言うのであれば、中国の研究機関帰りの研究者が防衛関連の研究に帰国後従事する際、気をつけるというのが防諜の観点からの施策となるであろう。単に中国行って研究しているから怪しからんみたいな愚論は傾聴に値しないと考える。

2点目:中国の軍事科学技術開発に協力しているという発言に至っては、中国をなめすぎとしか言いようがないであろう。国防産業が皆無だった革命直後ならいざ知らず、軍事産業がある程度発達した現代において、外国人に国防の根幹とも言える軍事科学技術を担わせるほ中国は甘くはないであろう(参考:毎日新聞記事)。嘘でも何でもいいから、政権擁護のためには中韓を利用してバッシングするという、自称保守・愛国者達の知的レベルの低劣さに呆れる次第である。

長々と書いたが、結論を書くと、今回の日本学術会議を巡る一連の騒動により、日本社会の劣化状況が明らかになったということである。日本社会は学問をノーベル賞と企業利益の観点でしか捉えることのできない貧困な知性の集合体に成り下がってしまったという、悲しい現実を突きつけられたのが、今回の騒動と理解すべきであろう。