現代の医療の世界では、先ず病名を決めてからそれに対する治療法を考えるといういわゆる対症療法が主流となっています。
政治、行政を見てみますと、ある同じ類の事件が多発した場合には、そのことが起こらないようにするには先ずはどのような罰則、条例を設ければよいかという議論を始めます。
日本における問題は、多くの場合その速度が遅いことであり、その現象の根本にある原因の追究に力が入らないことが往々にしてあることです。
教育の世界でも同様であり、運動の世界も禁止薬物、大麻など同じことが言えるのではないでしょうか。
実に情けないことであります。
人間という動物が欲の塊りだと言うことに尽きるからと言ってしまえば身もフタもあったものではありませんが、人間は形而上学的存在であると言うことを基本に考え直す必要があり、そうすることにより事象の大本が見えてくるとともに大本からの改善策が浮かんでくると考えますが。
健康に関して言えることは、例え検査により病名を確定されたとしても、緊急を要する非常事態の場合などを除き、そのときの医者の説明がすべて正しいとか、その治療方法しかないといった決めつけを直ぐにはせずに、他の解釈はないのか、また、他に選択肢がないかと考えるなどいろいろと検討をするゆとりが必要だと考えます。
そのためには、社会の道徳的ルールを乱したり、周りに迷惑を掛けてはなりませんが、根本的には誰も面倒をみてくれるものではありませんので、自分の健康と安全を確保するためには日日の勉強と努力を怠ってはならないのです。
ただ、生物は助け合ってしか生存できないものであり、その中でも人間は形而上学的存在であり精神、心がある唯一の生物であることを理解できていなければなりませんが。