beetaro's diary

ぐーたら主婦のお気楽な日常

目から鱗!の国文法

2021-10-26 23:40:14 | 日記
さて。

今日、YouTubeで三上さんという方の提唱した日本語の文法について知りましたが。

もう目から鱗。

すごい!
もう納得しかない。

国語はかなり得意な方ですが、ずっと文法は苦手でした。
文節区切ったり、主語だの述語だの副詞だの形容詞だのに分けたりするテストとか、こんなことやって何になるの?って思ってたし、ずっと「正解」である分類に納得いってなくて、モヤモヤしてました。

いわゆる「古文」で書かれたものも好きなので読みますが、私としては、古文といえども基本は日本語、今と意味が違う言葉や、今はない言葉、地名などの固有名詞は註釈見るなり調べるなりしないといけないとしても、だいたいのところは何となく分かるし、「ノリで分かる」という感覚。

娘ちゃんは、こんなの何を書いてあるのかさっぱりわからない、なんでこんなのが読めるのか、と言いますが。
たぶん、いわゆる主語が書いてないことが多く、誰が何をしてるのかがわからないから、結局何を書いてあるんだかわからないということのよう。
明らかに動作の主が分かる文は理解してるようだから、そうなんじゃないかと思いますが…どうだろう?

で、ママは何で読めるのか、と言う。

でも、前述の通り、こっちはノリで読んでる感覚なので、註釈見れば読めるじゃん?という気持ちなんだけどね。

この、ノリで読むという感覚がどこからくるのか、ずっと説明しようがなかったんだけど、今日知った三上文法でなんだかスッキリ納得しました。
超ざっくり言うと、日本語の「は」は主語を提示しているのではなく主題を提示するもので、主語と言われてるものは、主題だという説。
日本語の文章は、主題と、主題を説明する形容文で成り立ってるという。

よく機内食で肉と魚どっち?と聞かれて、私は肉、という返事するのを、「は」が主語を示すものだとして、私=肉って変だよねっていう方向にいくけど。
それを(~が食べたい)が省略されてるんだ、という風に説明したりする。
だけど「は」が主題を提示するものなら、何か省略されてるんじゃないか、とかいう面倒な思考はなしで、例えば食事を注文する場面なら私は肉が食べたいんだと分かるし、例えばみんなで食材を持ち寄ってバーベキューしようとかいう場面で私は肉、と言ったら私は肉を持ってきますと分かる。
私は肉、を理解する時に、日本語を使ってる人たちは、いちいち何が省略されてるか考えてないと思う。

動画ではさらに「こんにゃくは太らない」という例文を出してて。
これを英語的に品詞分解したら「こんにゃく」が主語になって、太らないのがこんにゃくだってことになる。
もし省略されてるとしたら(~は、人が食べても太らない食べ物です)って感じかな?省略してるとしたら、省略しすぎだろっていう…。
これも「は」によってこんにゃくについて話しますよ、というテーマを提示して、太らないと言ってるとすれば、聞いてる人はいちいち省略されてる文を類推しなくても、こんにゃく=食べても太らない食べ物って理解できる。

う~ん、素晴らしい!
画期的!
正に日本語の本質をついてると思いました。

しかもこの提示された主題は、句読点によってその優位性を失わない。

私は転んだ。膝を擦りむいて血が出た。でも泣かなかった。

この文章、成り立ってるよね?
書いてなくても膝を擦りむいたは私だと分かるし、泣かなかったのも私だと分かる。
最初にこれから私の話をしますよって提示してるから、以降の文に私と明記しなくても伝わる。

もう納得の嵐ですよ。
古文(とくに平安時代とかの貴族の文学)は使われてる敬語で動作の主が確定できたりするのでややこしいところもあるけど、基本的にはこの考え方で読んでいけば話の流れは分かるんじゃないかとおもうんだよね~。
意識してないけど、自分が古文(たぶん現代文でも)読む時には、この考え方で文章読んでると思う。
この文法の説明が、一番「ノリで読む」感覚に近い。

何だか今まで感じてたモヤモヤがスッキリして、感動すらしました。

三上さんの論は、三上さんが国語学者でなく、数学者だったことなどから、生前は学会から相手にされなかったそうですが、イヤイヤすごいよ、これ。

近いうちに著作を読んでみたいと思います。

ではでは。






コメント (1)
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