ビートルズあれこれ

やっぱりビートルズ。ビートルズのあれこれを記していきます。

Let It Be

2006年01月05日 17時59分32秒 | イギリス盤シングル
Let It Be  ②You Khow My Name(Look Up The Numbre)

 1970年3月6日発売。ポールが当時の心境を歌っている。録音は前のシングルより早く、1969年1月31日。4月30日にジョージがギターを入れた。
 ジョンが電話帳に書いてあったフレーズをヒントに書いた意欲作。珍しくジョンの曲をポールが歌っている。1967年に録音したものに1969年4月30日にオーバー・ダビング。

Something

2006年01月04日 18時56分57秒 | イギリス盤シングル

Something  Come Together

 1969年10月31日発売の両A面シングル。初めてアルバム発売後にカットされたシングルだ。また、ジョージの作品が初めてA面として発表されたシングルでもある。ジョージ自身も「一番成功した曲だ」と認めている。
 ジョンがチャック・ベリーの「You Can't Catch Me」をヒントに作った曲。後に盗作問題になり、ジョンがその曲をカバーすることで解決した。


The Ballad Of John&Yoko

2006年01月03日 07時36分07秒 | イギリス盤シングル
The Ballad Of John And Yoko  Old Brown Shoe

 1969年5月30日発売。ジョンヨーコとの結婚式(3月30日)のことを歌っている。4月14日にジョンとポールだけで録音し、急いで発表した。
 ジョージの作詞作曲、ボーカル。この曲はジョージ、リンゴ、ビリー・プレストンだけで録音したものだ。2曲あわせてようやくビートルズがそろったことになる。

Get Back

2006年01月02日 09時47分51秒 | イギリス盤シングル
Get Back  Don’t Let Ne Down

 1969年4月11日発売。7か月ぶりのシングル。アルバム・バージョンと違い、1月28日に録音されたテイクのみ使用。ピアノはビリー・プレストン
 こちらはジョンヨーコへの思いをストレートに歌った曲。レコーディングは同じく1月28日で、ビリー・プレストンがピアノで参加している。

Hey Jude

2006年01月01日 11時15分26秒 | イギリス盤シングル
Hey Jude  Revolution

 1968年8月30日発売。作詞作曲、ボーカルともポール。7月29日に録音を開始し、8月1日にオーケストラを入れて完成させた。ビートルズ自身が設立したアップルレーベルからの第1弾シングルである。
 ジョンが社会的なメッセージを歌いこんだ作品。7月10日から3日間でレコーディング。

Lady Madonna

2005年12月31日 06時58分48秒 | イギリス盤シングル
Lady Madonna  The Inner Night

 
1968年3月15日発売。作詞作曲とボーカルはポール。このシングルでは1950年代風のシンプルなメーロックン・ロールに仕上げている。
 B面ながら初めてジョージの作品がシングルに収められた。1月12日に12人のインド楽器奏者による演奏を録音。2月6日と8日にボーカルを入れた。

Hello Goodbye

2005年12月30日 08時59分38秒 | イギリス盤シングル
Hello Goodbye  I Am A Walus

 1967年11月24日発売。作詞作曲とボーカルはポール。10月2日からの6回のセッションでレコーディングされている。
 ジョンが作った言葉遊びとサイケデリックなサウンド。映画の中での演奏シーンはやっつぁんは大好きだ。9月5日からの4回のセッションでレコーディング。

All Need Is Love

2005年12月29日 06時28分27秒 | イギリス盤シングル
All Nead Is Love  Baby You’re A Rich Man

 1967年7月7日発売。1967年6月25日、世界31か国を結んで放送された「OU R WORLD」にビートルズはイギリス代表で出演し、ジョンが書き下ろしたこの演奏シーンが放送された。
 ジョンが作った「One Of The Beatiful People」とポールの曲をあわせて完成。ボーカルもジョンとポール。

Stawberry Fields Forever  

2005年12月28日 16時41分40秒 | イギリス盤シングル
Stawberry Fields Forever  Penny Lane

 1967年2月17日発売の両A面シングル。2曲とも故郷リバプールの実在の地を歌った作品。ライブ活動中止後初のシングルで、1966年11月24日に録音開始。7回のセッションと編集作業で完成。
 ポールの作詞作曲。ボーカルねポール。1966年12月29日から翌年1月17日までの9回のセッションで完成。

イエロー・サブマリン

2005年12月25日 15時51分50秒 | イギリス盤シングル
Yellow Submarine  Eleoner Ligby
 1966年8月5日発売の両A面シングル。同日発売のアルバム「リボルバー」のリンゴのボーカル・ナンバーとしてポールが書いた曲で、歌詞はジョンとドノバンが手伝っている。初めてリンゴの歌う曲がシングルとなった。
 ポールの作品でジョンも歌詞を手伝った。レコーディングに参加したのはポールと8人の弦楽器奏者
だけである。