6/14にアフリカ大陸とヨーロッパ大陸を左右に見ながらジブラルタル海峡を通過。
太平洋から楽しかった地中海を抜けて大西洋に出ました。
ヨーロッパの最西端に位置するポルトガル、首都リスボンに向かいます。
リスボン
イベリア半島中部に端を発するタホ川は、ポルトガルでテージョ川と名前を変えて大西洋に注ぐ。
リスボンはこのテージョ川の右岸に開けた古都であり、ヨーロッパ最西端の首都としても知られている。
テージョ川の河口から12kmほど奥まった、起伏に富んだ丘陵地帯に広がるリスボンは、
「七つの丘の都」という異名も持ち合わせている。
左岸に世界遺産・ ベレンの塔が見えてきました。
リスボンと対岸のクリストレイを結ぶ4月25日橋を通過します。
リスボンの市街から朝日が昇ってきました。
◎ 4月25日橋
1966年8月6日に開通した当初は、当時のポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールにちなみ、
サラザール橋と呼ばれていたが、1974年4月25日のカーネーション革命のすぐ後、
この無血革命が起こった日から名前をとって改称された。
入港歓迎のセレモニーでしょうか、タグボートが旋回して放水を何度も見せてくれました。
対岸のクリストレイに建つ高さ110mの巨大なキリスト像。
7:00に入港し、9:00に下船してバスツアーに向かいます。
【6/15、リスボンとシントラ・ロカ岬観光を選択】
◎ リスボン市内 ◎ ジェロニモス修道院 ◎ 発見のモニュメント ◎ ベレンの塔
◎ シントラ王宮 ◎ ロカ岬 ◎ カスカイス立ち寄り
最初にリスボン市内観光ですが、車窓中心で地区名は判別できません。
アルファマ地区
ポルトガル・リスボンの旧市街。行政区の一つ。サン・ジョルジェ城とテージョ川の間の丘陵に広がる。
名前の由来はアラビア語のAl-hamma、『泉』もしくは『風呂』を意味する。
多くのファド酒場やレストラン、重要な歴史的建造物がたつ。
最初に見えた銅像ですが、何かは未確認。
世界三大花木の一つであるジャカランダ。
「熱帯の桜」とも呼ばれていて、市内各所に移植されて咲き誇っていました。
リベルターデ通り
リスボンの新市街は、高級ホテルや航空会社が立ち並ぶビジネス街です。
目抜き通りは、リベルダーデ通り。「自由の通り」という意味で、リスボンのシャンゼリゼとも呼ばれています。
レスタウラドーレス広場とポンバル公爵広場をつなぎ、さらに北上しエドゥアルド7世公園へと続きます。
エドゥアルド7世公園で下車し、テージョ川を撮影。
エドゥアルド7世広場に隣接するポンバル侯爵広場の像を通過。
リスボン名物・急勾配のケーブルカー。
残念ながら車窓観光の我々は乗れませんでした。
レスタウラドーレス広場
バイシャ・ポンバリーナ地区にあり、リベルダーデ大通りの南の終点でありロシオ広場に隣接している。
広場の中央に、同君連合を組んでいたスペインからの独立(ポルトガル王政復古戦争)を
記念した、高さ約30mのオベリスクが立っている。レスタウラドーレスとは、「復興者」の意味。
リスボン市内の車窓観光。
コメルシオ広場
18世紀に起こったリスボン大地震で破壊された宮殿の跡を広場にしたもので、
テージョ川に向かって視界が開けており、どことなく明るい感じがする。
広場の後ろには壮麗な造りの「勝利のアーチ」がそびえている。
広場はイベントの準備中でしょうか、ハーレー軍団がいました。
テージョ川の岸辺に移動してジェロニモス修道院に到着。
◎ジェロニモス修道院
16世紀初頭に建てられ、世界遺産にも登録されているマヌエル様式を代表する修道院で、
その規模の大きさと壮麗さに圧倒される。特に回廊横の2階部分から見下ろす礼拝堂が見事。
当時のポルトガルが、いかに海外の植民地から富を収奪したのかがよくわかる建造物である。
修道院の建物内に、国立考古学博物館や海洋博物館などの施設も併設されている。
ジェロニモス修道院の建設費用は、ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料を売ったお金で賄われた。
修道院の建設を命じたのはマヌエル 1世、建設を可能にしたのはヴァスコ・ダ・ガマとなる。
エンリケ王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称えて建立されたジェロニモス修道院は、
ポルトガル黄金期を象徴する建物で、大航海時代の栄華を反映させた修道院といえる。
レース細工のような繊細な彫刻が美しい南門は、フランス人建築家ボイタックの作である。
上部中央にはエンリケ王子の像が置かれ、また楯型壁には聖ジェロニモスの生涯が描かれている。
礼拝堂の入口付近には、この国の二人の英雄の墓がある。
右手は航海者のヴァスコ・ダ・ガマ、左手は民族詩人ルイス・ヴァス・デ・カモンイスで
ユーラシア大陸最西端のロカ岬のことを「ここに地終わり、海始まる」と表現した。
◎発見のモニュメント
船に見立てた台座の両舷に、富を求めて海を目指す船乗りや王侯貴族、キリスト教の布教のため
海外へと赴く聖職者などの彫像が並んでいる大航海時代を記念するモニュメント。
中世の塔と船を足したような形をしており、海に突き出たような格好になっている。
◎ベレンの塔
「テージョ川の貴婦人」とも称される世界遺産・ベレンの塔はテージョ河口に浮かぶ要塞である。
16世紀初め、マヌエル1世の命により船の出入りを監視する要塞として建てられた。
階段で屋上の展望台まで登ることができ、塔の上から眼下に広がるテージョ河畔の
風光明媚な景色を楽しむことができる。途中の階には、大砲などの武器類の展示もある。
1階は満潮時に水が溢れる水牢、2階は砲台、3階が王族の住まいだった。
マヌエル様式の優雅なテラスをもつこの塔を司馬遼太郎は貴婦人が
ドレスの裾を広げている姿にたとえ「テージョ川の公女」と呼んだ。
公園に大西洋を初横断したという水上機のモニュメントがありました。
1919年5月、アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドからポルトガルのリスボンへ
着水しながら初横断したカーチスNC4飛行艇。(複葉機にフロート仕様)
かつてイギリスの詩人バイロンが「エデンの園」と呼んだシントラに向かいます。
緑豊かな自然と美しい町並みで、古くから王侯貴族たちに愛されてきた町とのこと。
現在もお金持ちの別荘が点在しているリゾート地です。
機関車を模した観光バスと馬車が走り回っています。
洒落た塔の傍にあるレストランで昼食。
ボリュームのある串焼き風の食事で美味しく頂きました。
三個のシュークリームにタップリとチョコレートをかけたデザートを食べきったのは私を含めて数名でした。
食事後にポルトガル王室の夏の離宮として14世紀に建てられた
33mの三角煙突がある世界遺産のシントラ王宮を見学。
◎シントラ王宮
シントラ国立宮殿は、15世紀初頭から19世紀後半にかけポルトガル王家が住み続けており、
ポルトガル国内で最も保存状態の良い中世の王宮である。
シントラの文化的景観の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されている。
様々な様式で飾られた王宮内を見学。
紋章の間です。
緑の木々にしっとりと覆われたシントラ山脈の上には、7~8世紀にムーア人によって築かれた城壁。
イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルなど各様式の寄せ集めの町並みです。
なぜかシントラにもハーレー軍団がいます。
いよいよ待望のロカ岬に向かいます。
◎ロカ岬
ポルトガル共和国リスボン都市圏にあるユーラシア大陸最西端の岬で、北緯38度47分、西経9度30分。
西には大西洋が広がり、その遥か先にはポルトガル領のアゾレス諸島がある。
ヨーロッパ人達が地の果てと見ていたロカ岬。
ここから大西洋を眺めて先人の想いを味わってみました。
ポルトガルの民族詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩「ウズ・ルジアダス」第3詩20節の一節
「ここに地終わり、海始まる(Onde a terra acaba e o mar comeca)」を刻んだ石碑。
灯台だけの寂しい海岸ですが、花々が咲いて明るいロカ岬を満悦できました。
船から600人も来た為に大混雑でしたが、やっと記念撮影できました。
ロカ岬にもハーレー軍団がおり、記念に乗車してパチリ。
ユーラシア大陸最西端到達証明書があり、名前・日付等が入り、裏面には主要国の言葉で書かれた
上記の詩が書かれたものを有料で入手することが出来ますが、時間切れでパス。
美しい海岸線を走行してカルカイスに立寄ります。
カスカイスでは公園付きの豪華なカジノがありました。
ここにもハーレー軍団、どうやらリスボンで開催されるハーレーダビットソンのお祭りで、
ヨーロッパ中から数千台というハーレーマニアが集まってきたようです。
◎カスカイス
カスカイスは、ポルトガルの首都リスボン近郊の都市である。
市内には、国際的なリゾート地であるエストリルを含む。
リスボンまでの海岸線にも豪華なホテル等が並んでいます。
海水浴場と要塞の跡地でしょうか。
17:00にリスボンに戻り、残り時間で港周辺を歩いて見ました。
近くの駅で見た電車はどれもペンキの落書きが目立ちます。
経費節約でしょうか、再塗装しないようです。
果物屋とスーパーで買い物し、帰船リミットの19:00ギリギリに船に戻りました。
20:00にリスボンを出港。
4月25日橋をくぐって大西洋に出ます。
夕日に照らされた発見のモニュメントとジェロニモス修道院。
船からは船乗りや王侯貴族、聖職者等の彫像がよく見えました。
船の出入りを監視する要塞・ベレンの塔を通過。
時間不足で市内を徒歩観光できなかったリスボンとお別れです。
テージョ川の河口を出て、夕焼けに包まれたポルトガルの半島を回り、
次の目的地、スペインのビルバオに向かいます。
大航海時代の歴史に触れられたリスボンでしたが、
彼らに「発見された」側の国々から見ると、植民地政策による富の略奪であり、
どうしてもヨーロッパ各都市の繁栄と旧植民地の貧しさを対比してしまいます。
次は2日後にスペインのビルバオに寄港します。
ポルトガル・スペインには再度訪れて、じっくりと旅行したい国です。
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