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今日はどこへ行こうかな 

猛暑のシェムリアップ観光三日目

2014年12月15日 | 旅行

観光三日目、今日は観光後に深夜便に乗って帰国します。

今朝も御握り一個分を食べてお腹の回復を図ります。

三連泊したホテルを8:30に出発し、市内にあるオールドマーケットを見学。

【12/7、ホテル-オールドマーケット-タ・プロム寺院他-シェムリアップ空港-ハノイ空港-成田空港】

15分程でオールドマーケットに到着。

ホウキと竹かご・飾り売りの叔父さん。

すでに生活雑貨、食料品のお店は賑わっています。

豊富な果物・野菜類です。

土産店は開店準備中で、まだ閑散としていました。

同じような商品が並んでますが、それだけ大勢の観光客が集まっているのでしょうか。
私達に次々と日本語が飛んできます。中国人や韓国人と識別できるようです。

次は定番の伝統工芸学校アーデイザンアンコールの見学・ショッピング。

 

クリスマスツリーが飾られた昼食会場へ。

昼食もお腹三分目とし、カボチャプリンでお腹を満たします。

 

暑さ対策のためホテルに戻ってシャワーを浴び、着替えて12:00にチェックアウト。

最後の遺跡観光です。タ・ケウ仏教寺院遺跡は写真撮影のみ。

タ・ケウ(Ta Keo)は、アンコール遺跡の1つ。「クリスタルの古老」の意味を持つ。10世紀末にジャヤヴァルマン
5世により建設が開始されたが、王の死去により未完成のまま放置されたピラミッド型ヒンズー寺院。
タ・ケウの
タは、おじいさんの意味で、直訳すると「ケウじいさん」の意。タ・プロームやタ・ソムも同様である。
地元では
プラサット・ケウと呼ばれる。ジャヤ・ヴァルマン5世の死と、その後の内乱により建設が中止された
とされるが、
建設中に中央祠堂に落雷があり、神の怒りだと信じ建設を中断したとの説もある。

次に期待していた神秘の遺跡タ・プロム寺院に到着。

外周壁の門を通過すると地雷被災者の楽団。日本の曲を演奏してくれました。
釣銭で得た手持ちのカンボジア紙幣を寄付します。

タ・プロム寺院の入口に着きました。

タ・プローム(Ta Prohm)は、カンボジアにある、アンコール遺跡群と呼ばれる多くの寺院や宮殿などの遺跡群
の内のひとつで、12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている
遺跡。創建したのは、クメール人の王朝、アンコール朝の王ジャヤーヴァルマン7世。ガジュマルによる浸食が
激しい。三重の回廊に覆われた遺跡には、文字通り樹木が食い込んでいる。あまりの酷さにインド政府は
タ・プロームの修復計画を発表した(インドはタ・プロームの修復を担当している)。しかし、現在ここで議論が
沸き起こっている。熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのか
という議論である。2006年10月現在、この遺跡の修復方針をめぐって、ユネスコを中心とした活発な議論が
継続中である。映画アンジェリーナ・ジョリー「トゥーム・レイダー」等の撮影が行われたことで知られる。 

寺院の主役が巨大なガジュマルの木になったようです。

遺跡と一体化して食い込んだ根っ子を撤去するのは不可能か。

名所となっている根っ子の間から見える石仏。

ここが一番人気の撮影ポイントで、順番待ちになっていました。

さらにガジュマルの木が育つと遺跡全体が崩壊しそうな印象です。

密林の寺院遺跡そのもので、神秘な景観も上手に残してほしいですね。

大蛸か大王イカが絡みついた様なガジュマルの根っ子です。

 

次にバンテ・アイ・クデイ寺院遺跡観光。小さな仏面塔(東塔門)を通ります。

バンテアイ・クデイ(Banteay Kdei)は、カンボジアのアンコール遺跡において、「チャンバ族の砦」(Citadel
of Chambers)、または「僧房の砦」(Citadel of Monks' cells)として知られる仏教寺院である。この寺院
タ・プロームの南東、アンコール・トムの東に位置する。12世紀半ばから13世紀初頭のジャヤーヴァルマン
7世
(在位1181年-1218年頃または1219年ないし1220年頃)の統治中に築かれたものである。
バイヨン様式で、
構成はタ・プロームやプリヤ・カーンに似るが、複雑ではなく、より小さい。その構造物は
2重の周壁に囲まれて
おり、そして塔門から2重の中央回廊を構成し、東面前方には前柱殿がある。

この仏教寺院複合体は、これまで不完全な建設およびその建築に質の悪い砂岩が使われていたために
荒廃し、現在修復を受けている。バンテアイ・クデイは1960年代まで何世紀にもわたってさまざまな間隔で
僧侶により占有されていた。

修復中のため塔や回廊の一部は閉鎖されていますが、日本だったら全て進入禁止でしょうか。

バンテアイ・クデイは東西方向に一直線にさまざまな建物が並ぶ構成になっている。外周壁の東塔門
から西塔門まで、ひたすら西に向かって歩いていけばいい(またはその逆コースをたどる)。
外周壁内部は静かな森で雰囲気もいい。遺跡内部は崩壊の危険にさらされた個所が少なくない。

崩壊が進む塔にはワイヤーが架けられて痛々しい姿です。

 

この遺跡では上智大学アンコール遺跡国際調査団が継続的に調査を行っている。2001年には第三周壁
東塔門の北東にある小祠堂前の地中から、合計274体の首の部分が切り離された仏像と、千体仏の刻まれた
石柱が発見された。彫像を収める保管室の建設が計画され、2007年11月、シハヌーク・イオン博物館が
完成した。2010年8月には、また内環濠の南面で6体の仏像が発見された。

日本の上智大学を中心とした「アンコール遺跡国際調査団」の掲示板。

 

バンテ・アイ・クデイ寺院遺跡を出て、向かい合うラ・スラン遺跡を見学。

バンテアイ・クデイの東にあるスラ・スランは、「王の水浴池」または「沐浴池」といわれる。10世紀のラージェンド
ラヴァルマン2世の治世中に掘られたもので、大きさは東西700メートル、南北300メートルとなる。太陽と
向き合う池のほとりには、砂岩の外縁を持つラテライトの階段が配置され、ジャヤーヴァルマン7世によって
美化されている。スラ・スランは、大きな木々に囲まれ、一年中、青緑色の水をたたえる。水辺への階段には、
装飾されたナーガの欄干に2体のライオン(シンハ)の石像が側面に並んでいる。この池は、王や彼の妻が
使用するために備えられたとされる。かつて池の中央にあった島に見られた石の基盤には、王が瞑想した
木造の寺院があった。池の水は現在、地域の農民による稲作に使われている。残された碑文には
「象の水浴びを禁ず」と記され
ている。朝日と夕日観賞の人気スポットでもある。 

最後はヴィシュヌ神を祭ったヒンズー教寺院・プラサットクラバン遺跡。

基壇の上にレンガ造りの5つの塔堂が並び、中央塔には巨大なヴィシュヌ神とガルーダ、北側の
塔にはヴィシュヌ神の妃ラクシュミーのレリーフが残る。 「カルダモン(木の名前)の寺院」の意。

1964年にフランス極東学院により修復が施され、保存状態も良い。  

できるだけ汗をかかない様、ゆっくりと観光します。

5つのレンガ塔が並んでいますが、中央塔以外は上部が残っていません。

我々以外の観光客は見当たらず、お店もお昼寝中で子供達だけが必死に売り込み中。

 

最後の中華料理の夕食。ここも腹三分目で飛行機搭乗に備えます。

 

シェムリアップ空港に向う途中の夕焼け。三日間の酷暑にさようなら、週末はスキーです。 

空港内のトイレで汗を拭き、夏服から冬服に着替えます。

シェムリアップ-ハノイ間の機内食、ハノイ-成田間の機内食は無理して完食。

 

翌朝7時に成田空港帰着。12時前に昭島帰着。
猛暑を避けたアンコールワット観光の筈が、恐るべしカンボジアの12月気候でした。

現地での5食をしっかりと味わえなかったのは、もったいない世代として悔いが残ります。

お腹を早く直してスキーシーズンに入ります。


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