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2013 青森ねぶた 下絵 (1)

2013年07月12日 | 青森ねぶた
ねぶた愛好会
夏祭浪花鑑
作:諏訪 慎

主人公、団七は幼いとき浮浪児であったのを三河屋義平次に拾われ、今ではその娘お梶と所帯をもって、堺の魚売りとなっていた。
 元来、義侠心が強く、名も団七九郎兵衛と名乗っていた。
 恩人の玉島兵太夫の息子・磯之丞の恋人・琴浦に横恋慕する、悪人佐賀右衛門の誘いにのる欲深い義平次は、「団七に頼まれた」と言って、琴浦を籠にのせ連れ出した。団七がそれを追いかけて救い出したときの「長町裏」の一場面。
 団七は、「親父どん、ここに30両ある」とうそを言い、琴浦を載せた籠を取り戻す。金子にみせた包みが石ころだったことに腹をたてた義平次は、「ようも、親をだましくさったなあ」と罵り、ついには団七の雪駄で額を打ち据え傷を負わせる。額に血がついていてびっくりした団七は、思わず刀に手をかける。刀を取り合う揉みあいとなり、刀の鞘が走って、団七は義平次の肩先を斬ってしまう。
 「もはやこれまで」と、だんじり囃子の聞こえる中、義平次を惨殺する。屍骸を池に捨て、井戸水で身体を洗った後「悪い人でも舅は親、親父どん堪忍してくだんせ」とだんじりの群集にまぎれて去っていく。
 元禄11年(1698年)冬、大阪長町裏で起きた魚屋による「舅殺し」事件を題材にした人形浄瑠璃および歌舞伎狂言の題名。から

消防第二分団ねぶた会・アサヒビール
高橋 竹山「風雪流れ旅」
作:千葉 作龍

青森県・平内町に生まれた初代高橋竹山は世界に誇る津軽三味線の奏者である。
 しかしその半生は苦難に満ちたものであった。
 幼少の頃病いのため失明、以後生きるために三味線を習得し「ボサマ」と呼ばれ北海道を中心に門付けをする放浪の旅の日々であった。
 行く先々での艱難辛苦は想像を絶するものであったろう。
 このねぶたは若き日の竹山が白魔と対峙し試される場面である。

青森菱友会
津軽野萩ノ台合戦 奮戦 安東 堯季
作:竹浪 比呂央

前九年の役にて源頼義に滅ぼされた安倍貞任が遺児、高星丸。
 津軽へと落ち延び、藤崎(現・青森県藤崎町)に拠を定めた。以来、その子孫は代々「安藤太郎」と称し、後に陸奥国津軽地方から出羽国秋田地方を支配した海の豪族、かの「安東水軍」の祖を興したと伝えられる。
 時は流れ、鎌倉は寛喜元年(一二二九)。当主、安東堯季の世。
 日本海の玄関口たる十三湊、その地を統治していた十三藤原氏と、一族の足固めのためこの重要拠点を手中に収めんとする安東氏の双方が萩ノ台にて激突。
 見事、堯季軍は敵を散々に打ち破り、十三湊を支配下へ置くことに成功した。
 この一戦を機に、日本各地および大陸と交易を結び、強大な力を持つこととなった安東氏。
 天翔ける麒麟が如き破竹の勢いを以て、一族を隆盛へ導かんと進軍し続ける堯季の奮戦に、東日本の復興と繁栄を願うものである。

青森市役所ねぶた実行委員会
三井寺合戦
作:外崎 白鴻

鎌倉幕府滅亡後、「建武の新政」を始めた後醍醐天皇の南朝と、武家政治の再興を目指す足利尊氏の北朝が覇権争いを繰り広げる南北朝時代。
 京都奪還を目指す後醍醐天皇方の新田軍が、足利方が立てこもる三井寺に攻め入ろうとするが、その周囲には堀があり、懸けてあった橋が外され攻めあぐむ。
 そのとき、新田義貞の側近・篠塚伊賀守が、新田軍の攻め入る橋とするため、近くの塚の上にある大卒塔婆を自慢の剛力で引き抜くや堀の向こう岸へ倒し懸け現状を打開する。
 このねぶたは、その後、周囲をなぎ倒す勢いで三井寺へ攻め入る伊賀守と、三井寺の守護の象徴である不動明王とが対峙する様子を表したものである。

青森市PTA連合会
林冲・王倫を討つ
作:内山 龍星

林冲は、上司である高より罠に嵌められ流罪となった。護送中に護送役人から命を狙われ、彼らを返り討ちにして逃亡する。
 その後、林冲は紫進の仲介でやむなく梁山泊へ身を寄せることにしたところ、梁山泊の首領である王倫は林冲の実力を恐れ、入山を断ろうとし、三日以内に旅人から金目の物を奪う条件を出した。林冲は、三日目に現れた楊志と打ち合うが、戦いは一進一退、決着はつかなかった。これを見た王倫は楊志を引き込み林冲と競わせれば、自分の地位は安泰のまま戦力が強化されると目論み、楊志に仲間入りを勧めた。しかし、楊志がこれを断ったため、仕方なく林冲のみの入山を認めた。
 それから半年後、晁蓋ら豪傑七人が大挙して梁山泊を頼って来たとき、王倫は首領の座を奪われる不安に駆られ、手切れ金を渡し追い払おうとする。その態度に林冲は激怒し、王倫を討ち取った。

私たちのねぶた自主製作実行委員会
戦場ヶ原の神戦
作:相馬 寿朗

その昔、中禅寺湖(現・栃木県日光市)の領土をめぐり下野国(栃木県)二荒山の神・二荒権現と、上野国(群馬県)赤城山の神・赤城大明神の間で争いが起こった。そこで両神による神戦で雌雄を決することになった。
 赤城山の神は大きな百足に姿を変え、百足の大群を率いて日光へ攻め入った。一方、二荒山の神は蛇に姿を変え、蛇の大群を率いてこれを迎え撃ち、中禅寺湖のほとりの群馬と栃木の県境で激しい戦いを繰り広げました。戦況は赤城山の軍が優勢となり、劣勢に立たされた二荒山の神は常陸国の鹿島大明神から助言を受け、奥州の弓の名手、小野猿丸に助けを求めた。二荒山の軍に加わった小野猿丸は一際大きな百足が赤城の神だと分かり弓を射た。矢は見事に左目に命中し、赤城の軍は逃走し、二荒の軍が勝利したのであった。
 二荒山の神と赤城山の神が決戦したこの地は戦場ヶ原と呼ばれ、現在の栃木県日光は二荒山の「二荒」から由来しているとも言われます。

マルハニチロ侫武多会
京市原野 鬼同丸と綱
作:竹浪 比呂央

平安の昔、名将 源頼光は、四天王と数人の家来を従え鞍馬詣に出かけ、その帰り道、京都の北 市原野に差しかかった。
 そこには、頼光に恨みをもつ盗賊 鬼同丸が牛の群れの中に紛れ、大牛の皮を被って待ち伏せていたのであった。
 四天王の一人、渡辺綱が動かない牛を不審に思い矢を射るや、牛の腹から鬼同丸が躍り出て頼光へ襲いかかってきた。
 だが頼光、少しも騒ぐことなく太刀を抜き、一刀の下に鬼同丸を退治した。
 ねぶたは、長剣を振りかざして頼光へ切りかかろうとする鬼同丸と、これを阻止せんと弓をもって身構える渡辺綱の勇姿である。


全22台の大型ネブタを3回に渡り紹介します


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2 コメント

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いよいよねぶた (masatana55)
2013-07-12 22:17:00
ねぶたの下絵でてますね。

今年はサンロードより北村隆さんの
ヤマトに期待しています。

北村麻子さんの川中島もなかなか
でしょうかね。

今年も速報お願いします。

案外とその時間マスターのお店にいるかもですが・・・
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Reいよいよねぶた (Bおやじ)
2013-07-13 01:14:53
ネブタは実物を見ねばわがねし
5日の日は23時くらいには結果わかると思います
今日は涼しいくて、布団かけて寝ねばマイネほど
このままだば、最高だな
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