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空と無と仮と

沖縄・日本史・ミリタリーなど、拙筆ながら思ったことをつれづれと、時には無駄話、時にはアホ話ってなことで…

1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り④ 手術壕の幻想的異空間②

2021年12月24日 18時51分49秒 | 1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り編
前回の続きです。

自分にとってとても魅惑的な、
それでいて「幻想的な異空間」だった場所。

この手術壕は他の方のブログや、
Youtube等を確認させていただいたところ、
2021年現在は2つの出入り口があるそうです。

…2つの出入り口?
…あれ?確か入口は1つしかなかったような…
いや、確かにあの頃は入口が1つだけだったはず!

自分の記憶が正しかったら、
1990年代は入口が1つしかなかったはずでした。

でも現在は2つあるのですね…

それでは、
文章だけだと何がどうなっているのか、
ちょっとわかりづらいかもしれませんので、
画像をふまえて説明したいと思います。




まずは上記の画像をご覧ください。
これは手術壕の全体図です。
ただし出入口のAやBという呼称は、
あくまで便宜上添付しただけであり、
正式名称ではございません。


自分が1990年代に訪れた時、
出入口Bまで行くには、
出入口Aからしか行けないと思っていました。
実際、そのようなルートしか知りません。

ちなみに出入口A付近は下記の画像です。



そして出入口B は下記の画像です。

そして2021年現在は道路側から出入口Bまで、
簡単に行けるということになっています。
つまり、両方から中へ入れるということです。
ただし、崩落の危険があるということで、
立入禁止のロープが張ってあるみたいですね。

この事実を初めて知ったのは数年前で、
インターネット上の情報でしたが、
どうやら間違いはないですね。
正直言ってショックでした。

なぜかというと、
出入口Bの前に広がっていた、
周囲と隔絶された空間が跡形もなく、
なくなってしまったことになりますからね…

ポッカリあいた広場というのは、
真っ暗闇の壕内を歩いて初めて到達できる、
そんな場所だったはずです。

断崖によって周囲が隔てられていたはずなのに、
それがどうしていとも簡単に到達できるのか、
本当に不思議でした。
ちなみに自分は2010年以降、
沖縄さえ行ったことがありません。

しかし自分なりに調べてみると、
その答えが判明することにもなりました。

それについては次回以降に続きます。

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