空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」⑯

それが欠陥品や不良品だったら、皆さんはどうしますか?


 ノンフィクションであるはずの「鉄の暴風」に、まるでフィクションのような描写があることを指摘してきました。
 最終章ですので、ここであらためてその内容を掲示します。


 一つ目として、「鉄の暴風」に描写された赤松大尉の「自決命令」は、住民・元軍人ともに誰も聞いていないということ。

 二つ目として、赤松大尉が「自決命令」を出した「地下壕」や、逃げまどう住民を追い払った「地下壕陣地」は、集団自決以前には全く構築されておらず、集団自決以後に完成されたということ。

 三つ目として、「鉄の暴風」からは最初から決まっていたというような、既定路線だったと印象を受ける地上戦と集団自決だが、実際は様々なタイミングによる偶然の産物だったということ。

 この三つによって「集団自決における誤認と混乱と、元軍人に対する偏見」が始まるということになります。



 それでは、2019年現在の状況はどうなっているのでしょうか。

 特に「自決命令」と「地下壕陣地」については、ここ最近になって初めて言われるようになったのではなく、既に様々な視点から指摘されていました。「鉄の暴風」の最新版は第10版で発行が1993年なのですが、それ以前からも「自決命令はなかった」立場をとる方々が、当の本人である故赤松氏を筆頭に再三主張しております。

 では「自決命令はなかった」という側の立場に対する、沖縄タイムス社のアクションはどういったものかというと、まず、訂正は全くしていません。そういった事情がありながら、現在も第10版の発行・販売を継続しているということですから、訂正をする必要がないという立場を堅持しているのではないでしょうか。

 ただし、訂正をしないと同時に、反論もしていないのも事実です。
 つまり、赤松大尉が言ったとされる「自決命令」を聞いた人が、2019年現在も現れないのです。
 反論自体は特に難しいとは思いません。「自決命令」を聞いた人、あるいはそういった資料を見つけて掲示するだけのことです。そうすれば赤松大尉の虚偽がいとも簡単に決定されるでしょう。赤松大尉が悪人だったという主張が正当化されるのです。

 それでも「自決命令」を聞いた人がいないのです。そういった資料がない以上、誰も聞いていないということになるのです。
 しかし沖縄タイムスは証言等の資料を提示して反論を試みた形跡が全くありませんし、残念ながら今後も同じような態度を継続するのではないかと思われます。
 要は反論できるような資料がないから「無視」するわけです。

 反論をしていないということを指摘しましたが、実は「反論らしき」ものをしているのも事実です。

 それは「兵事主任の証言」です。

 「兵事主任の証言」というのは、つまり「軍の命令があった」という趣旨の証言です。渡嘉敷島の集団自決に興味がある方は、それがどういったものなのか詳細に説明しなくてもご存知かと思われますし、当ブログでも「誰も知らない兵事主任の証言」でより詳しく解説しておりますので、もしよろしかったら一読なさってください。

 そういったわけで証言の内容は省略しますが、「兵事主任の証言」が出現した以降は、軍の自決命令があったとして沖縄タイムスのみならず、日本軍や日本の戦争責任を追及する方々によって大々的に取り上げられ、まるで一大キャンペーンのように流布され拡大されていきました。渡嘉敷島の集団自決では必ずといっていいほど、この「兵事主任の証言」が取り上げられ、既定事実となり続けております。

 しかしこの証言というのは、集団自決が「軍の命令か否か」という考察に対しては有効かもしれませんが、赤松大尉の「自決命令」があったかどうかの考察に対しては非常に不十分です。
 「鉄の暴風」に描写された、赤松大尉自身が発した「自決命令」の文言には一切触れず、「赤松大尉個人」ではなく「軍の命令」としか読み取ることができないからです。
 つまり、極論すれば個人という具体的なものから、軍という抽象的なものへの論理のすり替えであって、赤松大尉の文言に対する反論にはなり得ないのです。

 このような現状があるなかで、「兵事主任の証言」によって「赤松大尉自身からの自決命令」は無視され、「兵事主任の証言」を流布すると同時に、「赤松大尉自身からの自決命令」は排除されてしまっているのです。

 沖縄タイムス自身から提示したともいえる「赤松大尉の自決命令」は、故赤松氏自身を含む「命令は出していない」という反論に対して、沖縄タイムスはその反論を無視し、かわりに「兵事主任の証言」を前面に押し出すことによって、「赤松大尉の自決命令」を無視するだけでなく、悉く排除もしているというのが現状だと思われます。
 
 そういった経緯であっても「鉄の暴風」第10版は発行・出版・販売を続けているのです。残念ながら、都合が悪いことに関して、まともに対応しようとする姿勢がみられません。

 赤松大尉の「自決命令」を無視し排除することの詳細については、当ブログ「渡嘉敷島の集団自決 言い出しっぺがほったらかし~で読む「挑まれる沖縄戦」」で考察いたしました。ご興味のある方は御一読をお願いいたします。


 さて、みなさんはそれが欠陥品や不良品だとわかっていたら、それを買うのでしょうか?また、それを人に薦めるのでしょうか?

 「鉄の暴風」を買って読んで体調が悪くなったり、「鉄の暴風」から発火し爆発する恐れは全くありません。
 ただし、事実ではないこと事実と主張し、その反論を論理のすり替えによって無視し排除するという姿勢、あるいはノンフィクションなのにフィクションが混ざっているということが、2019年現在も継続していることは間違いありません。

 それを「欠陥品」「不良品」と呼んでも過言ではないと思われます。
 しかし、だからといって「鉄の暴風」を「買うな」という主張もいたしません。いわゆる不買運動の類いですが、歴史学、ことに歴史認識問題における不買運動というのは、自らの主張に反する側に対して、論理的な反論をするのではなく「主張そのもの」をさせないといった、ファシズム的・独裁的な行為と同じであると、個人的には確信しております。

 従って「買うな」「読むな」という主張はいたしません。その代わりに皮肉ではなく「買って」「読んで」、そして複数の資料でもって吟味していただきたいのです。

 自ら「買って」「読んで」検証した結果、ノンフィクションであるはずの「鉄の暴風」は、実はフィクションであるという判断をいたしました。それが「欠陥品」「不良品」だということにつながっていくことを強調したいです。

 そういうことでありますから、ここでは「買って」あるいは「借りて」「読んで」と同時に「欠陥品」「不良品」であることも併記して、最後の言葉として残しておく次第でございます。


次回以降に続きます。
 

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