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2012年 日中線記念館にて

2012-10-21 19:02:13 | そのほかの鉄道

 こんばんは。今日最後に更新する、昨日行って来た日中線記念館について更新します。


日中線とは

昭和13年、喜多方・熱塩間を結ぶローカル線である。

昭和13年、喜多方・熱塩間を結ぶ日中線が開通した。朝夕合わせて数本しか走らないことから「日中は列車が走らない日中線」と揶揄(やゆ)された路線だったが、山間を走る小さな列車は人々の暮らしを豊かなものにしてくれた。熱塩駅近くに住む須田さんも、幼い頃から喜多方への交通手段としてよく利用したという。

 「買い物や映画を見に連れて行ってもらうのが楽しみでした。喜多方から特急に乗り換えて、上野へ修学旅行へも行きましたよ。熱塩から列車が出るのは7時、10時、16時、最終は19時…」。生活の一部となっていた駅の時刻表は、今も脳裏に刻まれている。「朝一番の列車が駅に着くと、スイッチバックするときにポォーッと汽笛を鳴らすんです。あれが目覚まし代わりでした」
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事務室内にある切符(硬券)が入っていた乗車券箱。ここから多くの乗客たちが切符を購入したのだろう。現在ここで買えるのは来場記念の「熱塩発喜多方行き」切符(100円)

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出札口に置かれた来場記念切符と改札鋏。ここに立つと、窓越しに交わされた乗客と駅員達との会話が聞こえてくるようだ。記念館近くの熱塩温泉では、この切符を持参すると入浴料が100円引きになる
 駅舎は、当時としては珍しいメートル法による建築。待合室には木製のベンチがあり、大きな時計が今も時を刻み続けている。事務室だった場所には、昔の写真や切符、国鉄の制服などを展示。券売機もそのままだ。かわいらしい格子の窓やアールを取り入れたホームの屋根や梁がまるでヨーロッパの小さな駅のよう。「懐かしい…」初めて見た者でもなぜかそう感じてしまう木製の改札を抜けホームに出ると、そこには次駅が記入されないままの駅名標が。いつしか喜多方からやってくる列車を待っているような感覚になっていた。ここに線路があったら…とつぶやくと須田さんが口を開く。「みなさん、そうおっしゃるんですよ」
 昭和59年、廃線とともに熱塩駅周辺は公園として整備される。駅舎はそのまま残されたが、目の前の線路はすべて撤去。ホームから下りる階段が作られ、子ども達が目を輝かせて駆け寄ったラッセル車と客車はホームの北側に展示された。しかし、訪れるのは国鉄などのOBや鉄道マニアのみ。常駐して管理する人はなく、定期的に伸びてきた草を刈る程度だったという。
 駅の変わりゆく姿を目の前で見ていた須田さんは、廃線から22年後の平成18年、定年退職を機に駅の管理を引き受けた。荒れ果てた駅を少しずつ人の集まる場所にしたかったという。「きれいにしておくと、自然にこうなるから不思議」と、うれしそうに眺める駅舎の周りの芝はすべて野芝。こまめに草刈りなどの手入れをした結果、自然に生えてきたものだ。車両の向きを変えていた転車台の跡地には花を植え、イベント時には線路のないホームに手作りのトロッコ列車を走らせる。
 生まれ変わった駅にはこの日も、熱塩温泉へ来た母娘や九州から来た一人旅の男性などがこの駅を訪れていた。来客にコーヒーを淹れ、誇らしげに駅の話を聞かせていた須田さん。最後に「いつかここに線路を引きたい。短くてもいい。小さくてもいいからこの駅に列車を走らせたい」という夢を語ってくれた。

遺産の辿った歴史

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昭和40年代、まだSLが走る頃の熱塩駅。喜多方行きの列車が勢いよく煙を吐き走り出す

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現在の風景
 昭和13年8月、喜多方、会津村松、上三宮、加納、熱塩の5駅を結ぶ、全長11.6kmの旧国鉄「日中線」が開通。明治時代より持ち上がっていた、下野(栃木)?岩代(福島)?羽前(山形)を結ぶ野岩羽線構想の一部区間といわれ、「日中」が熱塩温泉の北にある地名であることからも将来的には米沢へ繋がる予定があったと考えられる。しかし、開通当時の主な目的は、熱塩にあるマンガンや金、加納にある銀や石膏といった、戦争のための物資輸送だったという。そのため、この路線は急行列車が走れない簡易路線であった。
 戦後、物資の需要は減り、路線バスが運行されるようになると、本数が多く便利なバスの利用が高まり日中線の利用者は減少する。1日の本数も3本に減り、「日中は列車が走らない日中線」と言われるようになる。昭和49年、日中線の蒸気機関車の運行が終了。これが本州で走る最後のSLであった。その後もディーゼル機関車での運行が続くが乗客数の減少は止まらず、ついに昭和59年3月31日に路線は廃止。会津と米沢を鉄道で結ぶ夢は叶わぬままに終わってしまう。

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日中線記念館に展示されている客車。中は自由に見学できる。懐かしいハンモックのような網棚や丸いライト。壁や床、座席の背もたれは木製でシートの濃いブルーとのコントラストが美しい。夕暮れ時の車内はとてもノスタルジックな雰囲気だ

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記念館外観。屋根のアールが欧風の建物を思わせる駅舎は、どこか懐かしさを感じる。駅名標を残したままのホームに立つと、今にも列車がやってくるようだ
 廃線後、国鉄の補助により熱塩駅は公園として整備され、駅舎は日中線のSLの写真や切符などの資料を公開する「日中線記念館」となった。外にはラッセル車や客車を展示、踏み切りも残されている。
 平成18年から、市の委託を受けた須田崇さんが記念館を管理するようになる。2年後の平成20年、トイレを整備し、展示客車の椅子を入れ替えたことなどをきっかけに、記念館を地域活性化の拠点としようという運動が起こる。そして須田さんを中心に「熱塩駅よみがえらせ隊」が結成された。メンバーは市の職員や会社員、旅館関係者など。熱塩温泉との観光の提案や農産物直売所の設置、記念館を利用したさまざまなイベントの開催など、地元住民はもちろん、観光客に向けた活動を行っている。
 記念館の周りには、日中線が開通した頃に植えられたソメイヨシノや八重桜が咲き、春は多くの花見客が訪れる。また、喜多方駅近くの廃線跡は「日中線記念自転車歩行者道」という遊歩道に整備され、記念に植えられたしだれ桜が咲き並ぶ。遊歩道の中ほどには当時運行していたSLも展示されている。


ふくしまの近代化産業遺産:旧国鉄日中線熱塩駅:熱塩駅よみがえらせ隊

                                                      五色沼のついでに行って来た。

 

きれいで、ライトもついていた。

バスも走っている。

熱塩駅が記念館に

当時、走っていた車両が。

元ホーム 線路は撤去されています。

 

どうやら、なにかをやっているらしいです。

 ほしかった

 って、言うか、スタップいなかったし。

 

入ってないよ

今では珍しくなったあれが。

こんなものまで体験できる

 

動画はないが、実際に押してみた

おお、国鉄としてはいい音。

車掌さんごっこwwww車掌じゃなくて、駅長さんごっこでもいいんではないかなwww

どうやら、

さっきの車両の撮影はNHKで銀河鉄道の撮影の準備だったらしい。

本数が。

 

撮影と言うのに。

そうして、元日中線で走った車両があると聞いて車で探していたらなかったのであきらめる。〔また今度。〕

喜多方に来たら、やっぱり喜多方ラーメン。この日は喜多方に始めて来た時に食べた喜多方ラーメンの店【大みなと味平】で

やっぱり、うまいね。

で、帰ってきた。

で、夜も買ってきた、喜多方ラーメンをいただきました。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
行きたい (いいでん)
2012-10-22 18:33:32
熱塩駅跡に、ラッセル車や、旧客や、タブレットがあったとは...是非行ってみたいです。
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日中線記念館 (JR磐越西線大好き)
2012-10-22 19:39:53
 いいでん様

 今回の日中線記念館<旧熱塩駅>は、初めての廃線訪問でした。かなり喜多方では有名です。

 須田さんが管理人で、たまにラッセル車の扉が開いていて、見学できます。<客車も>伝言板も確認しておくといいでしょう。

 なんか、訪問記念切符は、無くなったようです。


 
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