日々の日本舞踊

私のノート、公開します。あなたの日本文化mini知識Noteとして。

『仮名手本忠臣蔵』七段目の翻訳をめぐって

2015-05-25 01:00:17 | 歌舞伎舞踊 坂東流 坂東扇菊 日本舞踊

山本邦彦氏の論文より抜粋__ドナルド・キーンの英訳と ルネ・シフェールの仏訳 __に関して、山本氏の見解が述べられています。

『仮名手本忠臣蔵』七段目の幕開きは、祇園一力茶屋の門口、遊里の華やかな歌に合わせて、伴内を同道した斧九太夫の入り込みで始まる。

 (英訳1) 

NARRATOR : If you wou1d dally among flowers you will find in Gion a full range of colors. East,south,north,and west, with a glitter as bright as if Amida’s Pure Land has been gilded anew,Gion sparkles with courtesans and geishas,so lovely as to steal away the senses of even the most jaded man,and leave him a ravimg fool.

KUDAYU : Is anybody here? Where’s the master? Master!

MASTER : Rush, rush, rush! Who’s there? Whom have I the p1easure of serving? Why, It’s Master Ono Kudayu!   How formal of you to ask to be shown in!

 (原典1)

花に遊ば ・祇園あたりの色揃へ 東方南方北方西方。弥陀の浄土か塗りに塗立ちぴっかりぴかぴか 。光り輝くはくや芸子にいかな粋めも 。現ぬかして 。くどんどろつくどろ つくやワイワイノワイトサ誰ぞ頼ふ 。亭主は居ぬか 。亭主亭主 。是は忙しいは 。どいつ様じゃ。どなた様じゃ。ヱ斧九太様。御案内とはけうといけうとい。 

__________

この幕開きの歌の文句を注意して聞いている観客はまずあるまい 。祇園町の華やかな ,そして どことなくくつろいだ気分を醸しだしてくれるただの前奏曲 ,その程度の理解であろう 。日本の 観客にとってすでにそうならば,外国人にとっては,筋の展開になんら影響のないこの部分をカ ットしてしまっても ,あながち責められることではないようにも思われるが,キーンもシフェールも律儀に翻訳している 。そうなると ,とりあえずは ,論理的な文章に組み立てねばならない 。 キーンの英訳は ,その点で明快を心がけた好例であろう 。擬態語「ぴ っかりぴかぴか」をwith a glitter とsparkles で表すところなと ,定石とおりの模範解答ではなかろうか。それに比べて,シフェールの仏訳はかなりわかりにくい。du paradis d’Amida は bouddhas redor'es にかかっており、eclatantes,ruisselantes,resplendissantes は下のcourtisanes et dan-seuses にかかっていて,その両者が同格でイメージを重ねる。シフェールは明快さを多少犠牲 にしてでも ,全体を韻文風に仕組むことによって ,古謡の雰囲気を出そうと心がけたのであろう 。

効果のほどはともかく ,「西方」から「浄土」へのつながりを意識していることや ,「ぴ っかりぴ かぴか」という擬態語のもつ音感への気の配りよう ,さらには歌の難し言葉も省略せずに留め置く律儀さ ,ここには原典尊重を旨とする研究者の顔がある 。 

_____と。う~ん凄いですね。日本語でも説明が困難ですのに。

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十一段から成る「仮名手本忠臣蔵」の筋は?<その2>

2015-05-20 10:31:28 | 歌舞伎舞踊 坂東流 坂東扇菊 日本舞踊
真っ向から政治批判の出来なかった、江戸時代には芝居や詩などにその想いを織り込みました。
忠臣蔵は、歌舞伎ですと「太平記」の設定に置き換わります。
そして、登場人物の名前は史実とまったく違います。
 
・吉良 上野介 →高 師直(こうの もろのう)
・浅野 内匠守 →塩治 判官(えんや はんがん)
・浅野の妻  →顔世御前(かおよごぜん)
・大石 蔵之助 →大星 由良之助(おおぼし ゆらのすけ
・大石 力 →大星 力弥(おおぼし りきや)
・伊達 左京亮 →桃井 若狭助(もものい わかさのすけ)
・梶川 与惣兵衛 →加古川 本蔵(かこがわ ほんぞう)


勅使下向(ちょくし げこう)の春弥生(はるやよい)の設定は、
足利将軍の弟、足利直義(あしかがの なおよし)が、鶴ヶ丘八幡宮が完成間近なので下向してきた、という設定に変わります。

「序段」
「大序(だいじょ)」と呼ばれます。
鶴ヶ丘八幡宮門前
唯一、太平記らしい部分です。
出だしは文楽由来のカタチが残っていて、口上を述べます。
幕が開き、登場人物はみんな舞台の所定の位置にすでに座っており、動かずに下を向いています。
これもお人形の演出の踏襲です。動き出す前のお人形のカタチを真似ているのです。
義太夫が「八幡宮の造営がなったので、足利直義(あしかがの ただよし)が都からやってきた。横に高師直(こうの もろのう)がいる」というような感じで登場人物を順番に紹介する文句を語り、それにつれて役者さんも順番に頭を上げて動き出します。
忠臣蔵が本当に古い古典劇であることを感じさせてくれる部分です。


清和源氏の嫡流(正式な子孫)である足利氏。
征夷大将軍としての権威を示すためにも、源氏の氏神である八幡様を祀るべく、大規模な鶴ヶ丘八幡宮を造営しました。

直前の戦で、これも源氏の嫡流であるところの新田義貞(にった よしさだ)が、足利勢に負けて死に、この新田義貞が使っていた兜は、後醍醐天皇にいただいた由緒正しいものなのです。
でも死んだときは義貞は兜かぶっていなかったので、その辺りに落ちていた兜をいくつか集めて来ました。
さて本物はどれだということになります。

因みにセリフによると、落ちていた兜は47個です。もちろん四十七士を意識した数字です。
というところからお話ははじまります。

ここの事情は討ち入りにはまったく関係ありませんが、この段はこの問題を中心に登場人物が延々揉めています。
征夷大将軍 足利尊氏の代理の弟、直義が「兜を八幡宮に納めよ」と言っているのに、高師直(こうの もろのう)が文句言います。
若い桃井若狭介(もものい わかさのすけ)反論しますが、師直に逆に苛められます。
無難にとりなして、直義に決めてもらおう、というのが塩治判官(えんや はんがん)。ここでそれぞれの性格や人間関係が描かれるのです。

さて、兜を見分けさせるために塩治判官の奥さんの顔世御前(かおよごぜん)が呼ばれます。
顔世御前は昔は後醍醐天皇に女官として使えていてました。天皇が儀式的に使う装備を顔世が管理していたので、顔世は帝が義貞にあげた兜もよく見知っているのです。
顔世が見事に本物の兜を見分けたので、兜の問題決着し、一同退場しかかりますが、
師直は女好きで、顔世に以前から言い寄ろうとしていて、この優雅な顔世を見てさらに顔世に言い寄ります。
師直が無理やり手紙を渡しますが、顔世は投げ返します。

表沙汰にすると夫が困るだろうし、師直を怒らせたらもっと困ったことになる、
状況を察した桃井が戻ってきて助け船を出し、その場は収まりますが、師直はますます桃井が気に食わなくなります。

このように、ここでは人間関係とそれぞれの性格が描かれて終わります。
全体の物語の「前フリ」場面にあたり、大きな事件は起きません。
 
舞台は二段目へと移ります。ではまた続きは次回に。
 
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十一段から成る「仮名手本忠臣蔵」の筋とは?

2015-05-20 00:07:09 | 歌舞伎舞踊 坂東流 坂東扇菊 日本舞踊
江戸時代の作品ですので、当時は幕府が風紀の取り締まりに厳しく、実際の事件をそのまま上演することができず、表向きは「太平記」の設定を使っています。

初演は文楽で、大阪で上演されました。
本筋とはあまり関係ない上方周辺での出来事が全体の半分ほどを占め、どこがどう忠臣蔵と関係あるのかわかりにくい場面もあります。

まず、史実から。

江戸時代は毎年春、三月になると朝廷から勅使(ちょくし)が江戸にやって来ます。
「勅使」というのは朝廷からの直接の命令を伝えるための特別な使者で、朝廷の代理人です。
何をしに来るかというと、江戸時代も、人事異動は3月でした。
そして幕府が任命した役職にだいたい対応するような「官職」が、朝廷から与えられることになっていました。
もちろん朝廷は政治を行いませんから、官職も名前だけですが、その任命のために、毎年勅使がやってくるのです。

その勅使を饗応(おもてなし)する役目が、その年は「浅野 内匠守 長矩(あさの たくみのかみ ながのり)」と「伊達 左京亮 村豊(だて さきょうのすけ むらとよ)」でした。
その指導役が「吉良 上野之介 義央 (きら こうづけのすけ よしなか)」でした。
伊達家は吉良に相応の付け届けをしたのですが、浅野家は形式だけで少なかったのです。
浅野からの進物が少ないのに腹を立てた吉良が、いろいろと浅野を苛めます。

ついに、堪忍袋の尾が切れた浅野内匠守が、吉良上野之介に斬りつけます。朝廷のお使者も来てるときに、江戸城のまん中、松の廊下で。

伊達の家老が浅野を取り押さえたために、吉良は大きな傷も負わず。
城中で狼藉を働いた罪で浅野は切腹、お家はおとりつぶしになります。
浅野家の家老は「大石 蔵之助(おおいし くらのすけ)」です。
大石をはじめとした家来達は主君の無念を思い、結託して半年後、吉良の屋敷に押し入って吉良を討ち取ります。

「敵討ち」は、公儀(幕府)の決定した「切腹」の処罰への不服表明とも取れる行為ですので、幕府は厳罰に処したかったのです。
でも、江戸市中に浅野の浪人への同情論がまき起こったため、幕府は折衷案として彼らに名誉ある死である切腹を命じました。
菩提は今も、主君浅野内匠守を中心に、泉岳寺の境内に眠っています。

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「仮名手本忠臣蔵」なぜ「仮名手本」なのか?

2015-05-18 10:31:24 | 歌舞伎舞踊 坂東流 坂東扇菊 日本舞踊

言論の不自由さが生み出した、こんなにも壮大な歴史劇「忠臣蔵」

みなさんは、どんな忠臣蔵を知っていますか? 「忠臣蔵」じたいは、ご存知の方も多いと思いますが。今日は、めちゃくちゃ季節外れですが「仮名手本忠臣蔵」のことを書きます。

歌舞伎や浄瑠璃の忠臣蔵は「仮名手本忠臣蔵」といいますが、なぜ「仮名手本」なのでしょうか?

『いろは47文字』のことなのです。

赤穂浪士の人数は47人

実は、判じ物(なぞの一種。文字図画などに,ある意味を隠し,人に判断させて当てさせるもの)として使ったのですね。

そして、もうひとつの理由があります。

いろは歌を七文字で並べると、

_______

いろはにほへ

ちりぬるをわ

よたれそつね

らむうゐのお

やまけふこえ

あさきゆめみ

ゑひもせ

_______

一番後ろの文字を並べると「とかなくてしす」、つまり「咎なくて死す」と読めます。罪はないのに罰せられ殺されたという意味です。

江戸時代の当時、この解釈は誰もが知っている常識的なものだったようです。だから「仮名手本忠臣蔵」という題を見たとき、初めて見た人でも、元禄赤穂浪士事件か思ったのでしょう。

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今日は、神楽坂セッションハウスでの『ダンス学校』日本舞踊クラス1コマ終了

2015-05-04 22:50:23 | 日本舞踊 歌舞伎舞踊 ワークショップ

今日の復習をしてみましょう!

①お辞儀---正座をしてお辞儀をする。手の位置、胸の位置、頭の高さなどに細心の注意をはらい、お辞儀をすることに集中しましょう。

②柱に立つ---躰の軸の確認、背骨への注意力を高めるため、柱(壁)に立つ。

③すり足---能の歩行を真似たすり足の稽古。躰の軸を中心に360°の意識を持ち、丹田を絞める。

④呼吸法---イヨー、ハッなど声を出すことにより、呼吸を学ぶ。

⑤扇を使った基本的な動きを習う。

⑥女形の歩行、所作を習う。

⑦曲を使って振りの組み合わせを体現。

⑧歌舞伎の立ち回りの基本形を学ぶ。

などなど、、書ききれないほどですが、反復練習が基本ですので、明日、初めての方でも安心してご参加ください。 明日は所作と言われる歌舞伎の仕草もお稽古したいと思っています。

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