歌舞伎三昧の一日、「伊達の十役」足利家奥殿の場では、八汐(巳之助丈)と政岡(猿之助丈)栄御前(中車丈)のやり取りが見事でした。

私の育ったころも、まだまだそのような時代でしたが、今思うと、先輩方の芸の確かさは、きっと、そのような時代ならではの、賜のように思われてなりません。
歌川国安の錦絵『奇罠娼釣髭』です。こちらの右上、朝比奈が三代目坂東三津五郎丈で、その下に座られている方が、初代 坂東玉三郎丈です。つまり、坂東しうか丈、三代目三津五郎の養子となり、三代目の俳名・秀佳を仮名にして坂東しうかと改名。ご逝去された後に五代目坂東三津五郎となられたお方です。歌川豊国の役者絵で、江戸市村座での『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子もこのお方です。
坂東流日本舞踊 第八回 扇 菊 会
9月23日祝 国立小劇場に於いて、
一門の会を開催いたします。
何卒、ご指導、ご後援のほどお願い申し上げます。
文化10年中村座で三代目坂東三津五郎が「四季詠高三ツ大」と題し「十二ヶ月所作」を踊り評判となりました。これはその中で2月の部分、長唄「半田稲荷」で、三津五郎丈の舞台姿を歌川豊国が描いた錦絵です。
赤一色の衣裳と頭巾、首には下箱を下げ、右手で鈴を左手に「奉納半田稲荷大明神」と書かれた幟を担いだ出立ちは、
疱瘡も軽い、麻疹も軽い、祈るは葛西金町の半田稲荷の幟竿』という歌詞とともに、疫病退散を願う人々の想いが集約された形のように見えます。

半田稲荷社の疱瘡除けの御利益を江戸市中に広めたと言われる願人坊主とは、民家の門口に立ち、阿弥陀羅経などを唱え、唄や浄瑠璃を歌い、流行り病を鎮める御祈祷を行なっていたそうです。
満足な薬もない時代には、祈るしかなかったことが伺えます。そして、その時代を即座に反映させた芝居や踊りがあり、大評判をとったという史実が、人々が芝居見物に救いを求めていたことを明らかにしています。
現代に於いても、食物が体の栄養なら、芸術は心の栄養なのでしょう。