私の中でシビウ演劇祭は静かに幕を下ろしました。
海外公演では、時折、日本ではあり得ないことが起きますが、今回は通常のレベルを超えていました。
私は、急遽、照明プランを変更してもらい、出ハケを含む演出を変更。
出入口は観客席のど真ん中を貫いていたので、そこを花道と見立てることにしました。
セットの立て方を変え、一時的に隠れる場所を確保しました。
でも、今回は、出演者全員が衣裳の早替りをしましたので、そのスペースの確保に手惑いました。あり得ないほどの狭いスペースである時は同時に、ある時は入れ代わり立ち代わり。怪我が無かったことが不思議なくらい。
公演は無事終了しました。
私自身、この結果に責任は持っているものの、何かをやり終えた充実感は何故かありませんが、
道行く人にgreat performance と言って貰い、公演の評判を聞くにつけ、ほんの少しの安堵。
この公演で、色々思うところもありますが、10年前に参加したときと大きく違うのは、この演劇祭の進行にボランティアが関わるようになったことだと思います。
私は今回、プロの集団にボランティアが関わることの善し悪しについて、痛感しました。
ボランティアの方々は、本当に親切で一生懸命尽してくれました。感謝しています。
しかしながら、このような舞台上での、空間と時間との闘いを知る由もありません。
各国のボランティアがシビウ演劇祭と関わるようになって、8年目だそうです。ある方面では、素晴らしい力を発揮していると思います。
その一方、主催側もその好意に頼り過ぎてか、業務が煩雑になり、負担が掛かり過ぎているように感じました。
好意は好意として、感謝するものの、プロとアマの違いは如実です。関わることの出来る業務と出来ない業務は、自ずからはっきりしていると思います。その線引きをはっきりさせる。それがこれからの課題ではないでしょうか?
シビウ演劇祭は、世界で3番目の規模を誇る演劇祭で1、2位に劣らぬクオリティの高さは言うに及びません。
しかしながら、今日まで何がそれを支えて来たのかもう一度考えさせられました。