鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

春の雪・立石寺其之弐

2012-12-25 | 寺院仏閣

2 0 1 2 年 4 月 1 日 ( 水 )

午 後 1 時 3 7 分

山 形 市

立 石 寺 仁 王 門





仁王門が見えてくると、山道もいよいよ後半。
門の左右に配置された仁王像は、運慶の弟子による作といわれ、邪心を持つ者を拒むという。


立石寺は、860年(貞観2年)に天台宗3代座主の慈覚大師・円仁が開山したとされる。
鎌倉時代には、幕府の政策で禅宗に改宗されるが、14世紀半ば、羽州探題・斯波兼頼により再建され天台宗に戻った。

戦国時代には兵火を受けて一山焼失してしまう。
このとき比叡山延暦寺から分燈されていた「不滅の法燈」も消滅し、再度分燈されるととなる。
1571年(元亀2年)比叡山が焼討ちにあうが、その再建には立石寺から「不滅の法燈」が分けられた。

立石寺再興は、山形城主であった最上義守・義光父子によりなされていった。

松尾芭蕉が旅の途中で訪れたことは、あまりにも有名であろう。


仁王門をくぐると、ちょっとした難所あり。


(上から見下ろした画)

石段に雪が積もって、踏み固められてアイスバーン状態になっていた。
ここはロープを伝って上る。


仁王門の先は、雪が多く残っていた。



行く手の左を見上げると、岩壁の上に建つ伽藍。

行く手の右側には立石寺の支院が並ぶ。
順に観明院、性相院、金乗院、中性院
これらの支院には立ち寄らず、まずは上を目指す。




立石寺の最奥、奥之院(妙法堂)に到達。
天は春の雪を降らせる。
1015段の石段を踏破した私への嫌がらせか? 祝福であろうか。

ここで立石寺のご朱印をいただこう。
奥之院の坊主にご朱印帳を差し上げたところ、
「ここでは立石寺のご朱印ではなく、奥之院と大仏殿のご朱印ですよ」
「四寺廻廊」のご朱印帳は返されてしまった。

 

奥之院(左)と大仏殿のご朱印。
立石寺のご朱印じゃないならいらねぇとは言えず、ご朱印ふたつとも頂戴することとなった。




奥之院から見下ろす山内支院。



中性院は奥之院のすぐ下に建つ。


奥之院から石段を下りずにそのまま歩くと、

 

三重塔のミニチュア・三重小塔【国指定重要文化財】が安置されている。
手書きの案内表示によると、室町末期に作られ、本尊の大日如来が中に収められている。


ふと崖の向こうを見やると・・・



山内支院のさらに向こうの岩場は、釈迦ヶ峰という。
一般の参詣者は入れず、修験者のみが入れる。



釈迦ヶ峰の岩場に覆われた胎内堂
修験者のみ入れる。


雪積る道を進んでいくと・・・





がけっぷちに建つのは納経堂【山形県指定文化財】で、山内では最古の建築物。



立石寺の開基・慈覚大師の木像を安置する開山堂

開山堂の脇には・・・


(上から見た画)

ここにもちょっとした難所。
こちらはロープがないのでかなり難儀した。
そんで・・・



五大明王を祀る五大堂
立石寺随一の展望台となっている。







日いまだ暮ず。
麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。
岩に巌を重て山とし、松栢年旧(しょうはくとしふるく)、土石老て苔(なめらか)に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。
岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞(じゃくまく)として心すみ行のみおぼゆ。
閑さや 岩にしみ入 蝉の声

・・・この日は当然蝉など鳴いておらず、参詣者もそれなりにいたので閑かさもくなかったが、冷たい風がなんとも心地よかった。


立石寺は、五大堂でゴールというわけではない。
ほんのちょっと先がある。



のびる脇道から見た五大堂。



穿たれた巨岩の中に祀られる磐司祠
ここがもうひとつの最奥部だ。




午 後 2 時 3 4 分

山 を 下 り る


20分弱で山を下りた。
売店で荷物を回収し、あとは立石寺のご朱印を頂戴せねばならない。



登山道入口近い根本中堂へ。
しかしここではご朱印はもらえない。

売店のおばちゃんに尋ねると、下山口近くの本坊でもらえるようだ。
最初からおばちゃんにきいておけばよかったよ。




立石寺から外へ出る抜苦門
本坊はこの先にある。

本坊に入りご朱印を所望すると、
「ご朱印をしまうかばんを足下に置くのはいかがなものか・・・」
軽くお説教されてしまった。



立石寺のご朱印と「四寺廻廊」のご朱印を頂戴し、立石寺をあとにした。





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