Miyuki Museumブログ

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Miyuki Museumのひとりごと

大人になる君へ

2013-01-13 | 読書・言の葉
(Sun)
明日は成人の日ですね

昨年春、教育関連行事にて頂いた資料に良い記事が掲載されていました
哲学者、中島義道氏のコラムで「大人になる君へ、他人のせいにしない姿勢を」というタイトル。

成人の日を迎えたり、進路の決断をしなければいけない学生さんに
読んで頂けたならいいなって思い引用させて頂き、ここで紹介したいと思います。
※HPの読書コーナーにも転載pencil

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note「大人になる君へ、他人のせいにしない姿勢を」哲学者/中島義道氏 コラム(2009年)

「大人になる」ための要件というと、ひとは責任感を持つだの、
社会的役割(選挙)を引き受けるだの、
とかく「きれいごと」を語りがちだが、私見では多くの場合、
大人になるとはすなわち感受性も思考も凝り固まっていくことである。
これは、さまざまな要素に目配りをして総合的判断を下せる能力と表裏一体をなしているが、
現実的で円熟した判断とは、往々にして因習的で定型的な判断、
共同体の一員として生きていける「賢い」判断であることが多い。
大人の入り口に立っている若者たちの耳に、自分の貧寒な経験から、
絶えず「世の中そんなに甘くない」と言い含める大人が多いのは困りものである。

サルトルは、感受性や思考が型通りになってしまった人間を
「くそまじめな精神」と呼んで最も軽蔑した。
「くそまじめな精神」は、自分や他人の「本質」から何もかも引き出そうとする。
Aは「信用のおける男」だから信じていい、Bは「卑劣な男」だから付き合ってはならない、
Cは「軽薄な男」だから用心しなければならない、というように。
だが、じつは一人の人間がなぜあるときある行為を実現するのかのメカニズムは、
まったくわからないのだ。
ある行為の「原因」はほぼ無限大であり追跡不可能であるのに、
われわれは行為の「あとで」その一握りの要因を「動機」として選び出し、
「それらが行為を動かした」というお話をでっち上げているだけなのである。
動機ばかりではない。
じつは世の中で解決済みとみなされている因果律、意志、善悪、自由、存在など、
いったいこれらの概念が何を意味するのか、いまだに全然わかっていない。

哲学をしてよかったことは、世の中のほぼすべての事柄は
厳密に考えれば何もわからないのだ、ということが
身体の底からわかったことである。
とくに哲学にのめり込まなくても、青年のころは多少こういう実感も持つものだが、
大人になって厳しい世間の風や波に身も心もすり減らされていくうちに、
そんなことはどうでもよくなり、「とにかく生きなくては」という言葉が
すべてをなぎ倒してしまう。
だから、そうならないように、いまから身を引き締めておこう。

一抹の不安とともに、いままさに人生に船出しようとしているきみは、
すばらしい可能性を秘めている。
それは、きみは希望を捨てず努力すれば何でもできるという無責任な激励ではなく、
きみがどう生きていくかはすべてきみの手中にあるということだ。
きみが自分を「才能のない人間」と決めることはそういう自分を選ぶことであり、
自分を「もてない男(女)」と決めることはそういう自分を選ぶことである。
この意味で――サルトルとともに言えば――誰でも否応なく「自由」なのだ。
だから、すべてを誰かのせいにするのもきみの自由である。
面倒なことは考えずに、自分を物のように固めていくのもきみの自由である。
すべてを諦めて幽霊のように生きるのもきみの自由である。
だが、そういう選択の積み重ねはきみから生きる力をそぎ、
きみをますますやせ細らせるであろう。
それは、安全で無難かもしれないが、つまらない生き方ではないだろうか。

学力の低い親のもとに生まれたから、教養のかけらもない環境に育ったから、
魅力的な肉体の遺伝子を受け継がなかったから……
自分はこんなにだめ人間なのだ、ときみは言う。
だが、とにかく人間のことは皆目わからないということを思い起こしてほしい。
その中で、きみは自分の本質をそう決定し、それが人生を規定すると解釈したのだから、
その責任はきみにある。
自分の「だめさ」を固定してそれを親や状況のせいにしたのはきみである。
その意味で、きみは自分を「だめ人間」として選んだのだ。
だから、きみは未来永劫にわたって「だめ人間」になるであろう。
だが、何が一人の人間の行為やあり方を決定するかは、
じつのところまったくわからない。
だから、どんな人でもどんな瞬間でも、
「いままで」を完全に断ち切って新しいことを選べるのだ。

こうした大枠のもと、最後に大人になるための条件を挙げておこう。
大人になるとは、ひとり立ちすること、すなわち親やその他の保護者から
独立することである。
独立とは主に二つの要件から成っている。
一つは、経済的に独立すること。
何らかの社会的に認められる仕事をして金を稼ぐこと。これはいいだろう。
だが、もう一つ、これと同じくらい重要な要素がある。
それは、金銭面以外でも他人に依存しない生き方を実現することである。
すなわち、自分に居心地のいい人間関係を自力で開拓すること。
きみが孤独が好きならそれを自力で達成すればいい。
本当は人恋しいのに孤独を気取っている限り他人は介入するが、
きみが本当に孤独を欲しそれに満足しているのなら、
他人はきみを抛っておいてくれるであろう。
孤独に徹するのもいいが、一般的に言って、多様な人との付き合いは
きみを豊かにしてくれる。

だが、この際とくに言っておきたいのは、きみと異質な人々を切り捨てるのではなく
「大切にする」ことである。
彼らがたとえ理不尽にきみに敵対的であっても、
そういう人々との困難な「交流」は長い人生において真にきみの宝になるであろう。
これらの二要件を満たしていれば、もうきみは大人の入り口に立っているのだが、
あえてこれらに初め強調した一要件、すなわち、きみがどんなに過酷な境遇にあろうと、
なるべくそれを他人のせいにしないで「私(ぼく)が選んだのだ」と
自分に言い聞かせる姿勢を付け加えておきたい。

この要件をそなえていれば、きみは特別偉くならないかもしれないし、
金持ちにならないかもしれないけれど、
強く柔軟で深みのある大人、すなわち「よい大人」になるように思う。

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