中学校教師 生き残り術

平凡な中学校教師が、中学校現場の「小技」「知恵」「うまくいったエピソード」「失敗例」を紹介します。

(284)生徒があいさつをしないと感じること

2020年12月20日 | 生徒とふれあい
 同僚(中学校教師)や保護者から、「生徒があいさつをしない」との言葉を聞いたり、ご指摘をいただくことがあります。

 私は「あいさつをしない」と聞くと、いつもこう思います。

 それはあなた自身に課題があるのではないですか。

 私のモットーの一つに「先取りあいさつ」があります。
 あいさつは自分からするものという考え方です。

 私からあいさつをするとたいていあいさつが返ってきます。
 先取りあいさつを続けることで、生徒たちは私にあいさつをしやすいと思います。
 「先取りあいさつ」を励行している人は、生徒があいさつをしなくなったと感じることが少ないのではないでしょうか。

 「最近の生徒はあいさつをしなくなった」と思っていることが、ほんの少しでも表情や態度に出ている人に、生徒は喜んであいさつをするでしょうか。
 
 こうした理由から、「生徒があいさつをしない」と感じることは、そう感じる自分に課題があると私は思っています。
 口に出したことはありませんが。

 私は先取りあいさつをしていてもあいさつを返さない生徒もいます。
 その時、あいさつをしないことの背景を気にします。

 嫌なことがあったのかな。
 忙しかったのかな。
 体調が悪いのかな。
 対人関係を苦手とする人なのかな。
 私の態度が良くなかったのかな。
 あいさつをする状況ではなかったかな。
 
 おやっと思ったら、生徒の内面や背景を考えるのが、人を相手に仕事をする人の基本だと思います。

 あいさつは人間関係で大切です。
 だから学校教育でもあいさつを重視しています。
 私も爽やかにあいさつをできる生徒になってほしいと思います。
 
 しかし、私たち教師が気をつけなければならないと思うことが一つあると思います。
 それは私たち教師はあいさつを最上位の目標の一つと考えていることです。
 あいさつは人として大切なことの一つであって、あいさつが不十分だからと言ってそれは重大問題ではないと私は思います。
 世の中にはあいさつを苦手とする人はいます。
 あいさつの言葉も出せないような悲しい状況やイライラするような状況にいる人もいます。
 それは幸せな家庭に育った教師には想像のつかないような状況かもしれません。

 私は、あいさつを返せない人(生徒)に、ニッコリ、あるいはさり気なく、返礼を期待せず、「おはようございます。」と言える教師になりたいと思います。

(257)教師である前に、きちんとした社会人として生徒の前に立ちたい

2018年04月22日 | 生徒とふれあい
 中村雅俊さんの学園ドラマを見て、教職の道に憧れを持ちました。
 個性的な教師で、生徒たちに人気のある教師になりたいと思っていました。
 同僚からも一目置かれるような教師になりたいと思っていました。

 今は、こう考えています。

 社会常識のあるきちんとした社会人として生徒の前に立ちたい。

 なぜなら、生徒たちの一日の中で接する大人のほとんどが教職員です。
 (このことが問題であり、子供は学校外の様々な大人に接するべきだと私は考えています。)

 若者言葉で生徒児童と接する教職員もいます。
 威圧的な態度で生徒児童と接する教職員もいます。

 生徒が社会に出る前に接する大人の代表として、社会常識のあるきちんとした社会人として生徒の前に立ちたいと考えています。

 私が心がけていることを、ここにあげます。

 ○会社や役所、大人社会の中で通用する礼儀と言動を心がける。

 ○保護者に見られても信頼を得られる礼儀と言動を心がける。

 ○一般の方の家庭環境や経済状況を理解、想像できる。


 追記(平成30年5月5日)

 ほとんどの教職員は、6歳から現在まで、ずっと学校で生きています。
 小学校、中学校、高校、大学、そして学校に就職と、ずっと学校にいます。
 一般社会から教職員を見たら、かなり特殊な人生を送っています。

 わたしたちは、教師が一般社会とその感覚がわかりにくいことを自覚しようと努めています。
 学校社会におけるで我々の行為や判断に、疑問を持ち、考えています。

(186)教師の言葉づかい 教師「おはよう」子ども「おはよう」???

2011年12月12日 | 生徒とふれあい
 先日の朝、登校途中の小学生に挨拶をしました、小学生は、1年生か2年生だと思います。
 私は元気に「おはよう!」
 すると小学生がこう答えました。「おはよう!」

 これには驚きました。私は小学校勤務の経験がありません。小学生は、教師が発した通りまねをして挨拶をすることに気づきました。

 中学校ではこのような場面があります。
 生徒「おはようございます」
 先生「おはよう」
 私はこれを当たり前のことと思っていました。
 しかし、中学生は、立場を考えて言葉を選んで挨拶をしているのです。

 私は日頃生徒の言葉づかいをよりよいものにしたいと思っています。
 優しい言葉を介して、優しい人間関係ができる。
 暖かい言葉を介して、暖かい人間関係ができる。
 その逆はどうか。
 きつい言葉を介して、きつい人間関係ができるかもしれません。

 私はできるかぎり優しい言葉づかいを生徒たちに促し、優しい人間関係であって欲しいと思っています。
 子どもたちが優しい言葉づかいになるためには、彼らをとりまく環境が大きく影響すると思います。
 長い時間一緒にいる教師の影響力は大だと思いませんか。

 私が小学生に「おはよう」と言ったら、小学生は「おはよう」と答えました。
 小学生に「大人に対しても「おはよう」と挨拶をしてもよい」と教えたようなものです。
 私が小学生に「おはようございます」と挨拶をしていれば、「おはようございます」と答えてくれたのかもしれません。多いに反省しています。

 そして中学生に対しても私から「おはようございます」と言いたいと思います。
 中学生にとっても、私たち教師がよいお手本になることができるからです。

 生徒の言葉は、教師の言葉の鏡なのかもしれません。
 

(223)教師のエチケット 口臭

2011年12月04日 | 生徒とふれあい

 ここ数年、私に欠かせないアイテムがあります。
 それは口内洗浄液です。
 海外メーカーで有名のはリス○○ン、国内ならモン○○ンなどです。
 職員室の引き出し、ホームルームの机の引き出しの中に常備してあります。
 授業前に1分でも余裕がると、口内を洗浄しています。
 昼休みには歯磨きの時間がないこともあります。そんなときにも使っています。
 口臭で迷惑をかけないためです。

 このブログで言うまでもありませんが、人は自分の口臭は気にならないものです。
 しかし、人の口臭は気になります。

 私は、自分に対応してくださるサービス業の方の口臭が気になると、もうごめんなさいという気持ちになります。
 私が気にしすぎでしょうか。
 私ぐらいに口臭を嫌う生徒は少なくないと思います。
 思春期の中学生は過敏です。

 喫煙されている方は、とくに配慮しましょう。
 ご自身の口臭に気づかず、生徒や同僚に迷惑をかけていることが多々あります。
 本当です。
 残念ながら、誰も「口臭がありますよ」とは指摘してくれません。

 人と接する職業人であることを自覚して、口臭を気にしたいものですね。
  


(185)○○さん、おはようございます。

2011年11月24日 | 生徒とふれあい
 研修会で他校の先生からよい実践をお聞きしました。
 簡単ですぐできます。
 
 それは挨拶をするときに、児童生徒の名前を添えるのです。

 「○○さん、おはようございます。」
 「こんにちは、○○君。」

 この実践を聞いた翌日から私もチャレンジしています。
 これは、いいです。

 惰性になりがちな挨拶に心がこもる感じです。

 名前を覚えることと苦手とし、名前の忘却が加速している私の脳にもとても良いです。

 すぐできます。
 いいですよ。
 お試しください。

(184)教師のモラルが問われる? 教師の禁句 「あなたは・・・の弟?」

2011年05月10日 | 生徒とふれあい
 私の中学校1年の忘れられないシーン。
 技能教科の授業です。
 教科担任の先生は私たちに自己紹介をさせました。
 そのとき、こう付け加えたのです。
 「お兄さんやお姉さんがいる人は、教えてください。」

 兄、姉のいる級友は自己紹介の中でこう言います。
 「加藤次郎(仮名)です。兄は高校生に太郎(仮名)がいます。」
 教科担任は反応します。
 「ああ、太郎の弟・・・。」
 教科担任の先生は、兄弟姉妹の表情や雰囲気が似ていることなどを一人で楽しんでいました。

 さて、私たち教師は生徒児童の兄弟姉妹で、顔が似ているとか仕草が似ているとか、雰囲気が似ているとか気になります。
 私は気になります。
 思わず、「あなたは花子さんの妹?」と尋ねたくなります。

 しかしです。
 兄や姉のことを教師に言われてうれしい生徒がどのくらいいるでしょうか?
 私のあくまでも勘ですが、うれしい人はほとんどいないと思います。
 ほんの少しでも不快になる生徒も少なくないと思います。

 教師が生徒と向かいあうときは、一対一であるべきだと思います。
 兄は兄、弟は弟です。

 だから、私は生徒と話すときに、できるだけ兄や姉のことについては触れないように心がけています。

 みなさん、どう思われますか?
 
 

(162)貫禄と威厳

2009年03月30日 | 生徒とふれあい
 休日に私が敬意を抱いているA先生の講演会に行ってきました。
 この先生は人気があり、会場には100名ほどの聴講者が集まりました。
 光栄にも、A先生は私に気付いて声をかけてくださいました。光栄なのですが、私は挨拶以上に何を言ったらよいか分からず、言葉が出ませんでした。
 私はA先生のお話は、受講料、交通費を払ってもお聞きしたいと思っています。A先生が書かれたものを熱心に読んでいます。A先生の実践や考え方を吸収したいと思っています。
 しかし、実際に目の前にA先生がおいでになると、緊張して何も話せなくなってしまします。また、自分のレベルの低さを見透かされるような心配もあります。
 「お話しましょう」と誘われても、なかなか近くへいく事ができません。
 実にもったいないことです。

 このとき、私のクラスの生徒のことを思い出しました。
 私に対して、敬意ある言葉と態度を示してくれる生徒がいます。しかし、私の一対一になるといつも緊張しています。私が呼ばないと、近くにきません。嫌われている、避けられているのと違った感覚です。
 彼らの行為をよく受け取るのであれば、A先生の前の私と同じでないかと思いました。

 私は教職歴20年目を迎えようとしています。
 20代の頃は、中学生の兄貴分のように振舞って、楽しい日々を送ったこともあります。
 今は40代になり、生徒と一定の距離を持っています。時には一緒に笑うこともあります。しかし、20代の頃の関係とは違います。
 もしも、生徒たちが私に「貫禄と威厳」を感じてくれているのであれば、今の距離感は私の年相応にふさわしい関係だと思います。

 「貫禄」と「威厳」のキーワードは、野村克也著「あぁ、監督」(角川oneテーマ21)にありました。

(152)長期欠席の生徒とコミュニケーション

2009年02月15日 | 生徒とふれあい
 長期欠席の多い生徒と休日に遊びました。
 私が、バトミントンと卓球のどちらがよいか尋ねると「卓球ならいい。」と答えました。
 私が彼の家に迎えに行くと、彼はマイラケットを取りにとりに行きました。
 家の方のお話によると、最近は卓球に夢中だとのことです。
 学校へ彼を連れて行き、卓球場で1時間ほど楽しみました。
 私自身が楽しめるように、BGMで私の好きな音楽を流しながらプレーをしました。
 「彼のために付き合っている。」という雰囲気は、子どもに伝わってしまいそうですから。
 練習を簡単に済ませ、3試合を行いました。
 私は、生徒とのゲームは何でも本気で戦います。
 先生の圧勝でもよいと思っています。
 その方が、生徒は大人に対して威厳を感じます。
 さらに生徒は「またチャレンジしたい」と思うからです。
 しかし、この日は彼に2勝されてしまいました。
 別れ際に、「今度こそ勝つぞ・」と私。
 「絶対に負けない。」と彼。
 彼は、いつか私と対戦するために学校の卓球場に来る未来像を明確に描いたことでしょう。

 彼とのプレイ以外にも、長期欠席や授業に不適応がある生徒と、卓球を通してコミュニケーションを取れた例がいくつかあります。
 卓球は対面型のスポーツであり、相手の表情を見たり、話したりとコミュニケーションがあります。
 体を動かすことができ、健康的です。
 生徒とコミュニケーションをとる上で、いい方法だと思います。
 お試しください。

 スポーツ以外では、オセロ、ジグソーパズルなどを一緒に楽しみながら、コミュニケーションをとっています。

(151)宿泊行事で生徒を寝かせる

2009年02月05日 | 生徒とふれあい
 修学旅行などの宿泊行事で、消灯時間が過ぎても興奮して眠れない生徒もいるものです。
 「朝まで話そう」と決めている生徒もいます。
 就寝後の就寝について、厳しく管理をしなくてもよいとする考え方もありますが、私は寝かせるように努めています。
 眠りたい生徒がうるさくて眠れないということをなくしたいと考えているからです。

 就寝の指導で私はこうしています。
 まず、事前に次のように話します。
 「なかなか寝付けない人もいるかと思いますが、疲れて眠りたい人もいます。
 寝付けない人は、布団に入って静かに目を閉じていてください。」

 これだけでは眠ってくれません。
 就寝時間が過ぎても、しゃべり声が聞こえてくる部屋にはこのようにします。

 生徒たちが就寝するまで、その部屋にいる。

 シンプルですが、これだけです。 
 30分もすれば、ほとんどの生徒たちは眠ります。
 眠らない生徒をきつく叱る指導もありますが、私はこれで今のところうまくいっています。
 そのまま私も朝まで眠ってしまうことがあります。

 私は男性教師です。
 この手は、女子生徒には使えません。
 私の同僚の女性陣は、「女子のことは私たちに任せて」との気概があり、指導してくれています。
 本当に助かります。

(137)心に余裕があるので本気で叱る

2008年09月10日 | 生徒とふれあい
最近はよく生徒を叱っています。
かなり大きな声で叱ることもあります。
強い口調で叱りながら、私の内心は極めて冷静です。
叱られている生徒の反応を冷静に見ながら、叱る側の私の態度や言葉を選んでいます。
今は心に余裕があるので、強く叱っても失敗が少ないと考えています。

正すべき行為に対してきちんと叱ることで、よい循環も生じています。

①冷静に、厳しく強く叱る指導をする。
②私の毅然とした指導の姿勢を学級の生徒が理解する。
③(私の前では、)学級の生徒はいい緊張感を持って生活をしている。
④生徒がきちんと生活をするので、私が笑顔で褒める場面が増える。
⑤生徒たちも笑顔になる。

よく叱るようになったと書きましたが、私に心の余裕ができて、笑顔が多くなりました。

今のいい循環のきっかけは、私の心の余裕です。
メンタルヘルスは大切ですね。

(132)中学校男性教師 女子生徒の肩をたたかない

2008年08月18日 | 生徒とふれあい
男性教員は気をつけなくてはいけないと思います。
男性教師が生徒とリレーションがあると思って、女子生徒の肩を叩くことがあります。
教師にとっては一瞬の行為ですが、女子生徒は敏感に受けとめています。
そして多くの生徒が、程度の差はあれ不快に思います。
男性教師の何十人のうちの一人で、肩を叩いてもいやらしさを感じさせないさわやかな人もいるかもしれません。
自分はそういう存在ではないと自覚するほうが無難です。

このブログを読まれている方には信じられないことかと思いますが、私がこれまで勤務してきた学校の多くに更衣室がありませんでした。
女子生徒は、教室で着替えていました。
生徒たちは下着になって着替えないように、Tシャツと短パンを着用していました。
それが日常になっているので、更衣室がない異常さを生徒も職員も忘れてしまっているのです。
このような学校で、女子生徒のこんな会話を耳にすることがあります。
「○○先生は、私たちが着替えているところを見ていた。」
○○先生には、彼女たちと関係がうまくいっていない若い先生のお名前になることがほとんどでした。
女子中学生は敏感なのです。

これを教訓に、私は男性教師として女子生徒への対応に気をつけています。
女子生徒に触れないように気をつけています。
私の視線にも気をつけます。

要するに、中学生であっても大人の女性と同じように扱えばよいのだと思います。
同僚の女性に「元気出せよ」と肩を叩きませんから。

(99)何でも教師がやり過ぎない

2008年05月08日 | 生徒とふれあい
 前回に続き、部活動指導に秀でた原先生(仮名)からの教えです。

 原先生はこうおっしゃいます。
 「今は何でも教師が生徒にやってやりすぎます。
  だから考える力がつかない。
  もっと生徒に考えさせ、やらせたほうがいいです。」

 私はこれまでこうした教師の発言に対し、放任主義の理論として好ましく思っていませんでした。

 現実の生徒の姿はこうです。
 原先生の指導する部活動の生徒は、先生が荷物を持っていると、「先生、手伝います。」と言って荷物を持ってくれます。
 部活動ミーティングでは、部員が着席し開会の準備ができてから先生を呼びに来ます。
 こうした行為をやらされているというよりは、しっかりやることの心地よさを味わっているように見えました。

 私はこの事実を見せていただき、「この生徒たちは、世の中で使いものになる。」と思いました。

 私はこれまで、生徒でもできることを私がやってしまうことが多かったです。
 ある時期は、「サービス業だから。」を口癖にと何もかもやってしまう勢いでした。
 その背景には「私の指示に生徒が納得しなかったらどうしよう。」という私の気弱さがありました。
 指示する、指導する、依頼するわずらわしさからの逃げの気持ちもありました。

 原先生の指導の事実を見てから、私の意識は変わりつつあります。
 先日こんなことがありました。
 生徒が教科担任に提出したものが、教師のチェックを経て返却されました。
 返却後、二人の生徒が私の所に来ました。
 「先生、私たちの用紙がありません。」
 以前の私でしたら「先生(私)が○○先生に聞いてみます。」と言って、ばたばたしていました。
 今では、こう言います。
 「確かに提出したのですね?
  では、○○先生のところに行って、聞いてきなさい。」
 二人の生徒は、○○先生のところに行きました。

 このエピソードを読まれた多くの方は、このくらい当たり前と思われることでしょう。
 こういう自分のことは自分でやらせる点が弱い教師は私も含めて少なくないと思います。

 生徒に考えさせる場面では、こんな対応をしています。
 生徒「先生、○○はどうしたらいいですか?」
 私「○○さんは、どうしたらよいと思いますか?」
 このように質問を返すのです。
 生徒の質問の内容によっては、きっぱりと「いいです。」「ダメです。」と言った方がいい場面もあります。
 質問を返すのも一つの方法です。

 何でもかんでも教師がやり過ぎない。
 しばらく、私の仕事のテーマにします。

(今日は長い。長いとテーマの一貫性に欠けてしまします。反省。ここまでお付き合いくださいありがとうございました。)

(98)生徒の目を見て話す

2008年05月07日 | 生徒とふれあい
本ブログ(96)で登場した原先生(仮名)の続きです。
原先生は部活動の指導のときに、原先生に対し目を合わせない部員に合わせるよういいます。
生徒たちは、原先生の目を見て話を聞いています。

私自身、日常生活でも人と目を合わせて話すことが苦手です。
そのような意識すらなかったのです。
ここ数年は、教壇に立つときは生徒全員と目を合わせるように心がけています。

先日のことです。
休み時間に一人の生徒と話すときに、別のほうを見て話している自分に気づき驚きました。
生徒も私でないほうを見ていました。
これを20年近く続けてきたのです。

私のクラスに、私が話すときに私の目を見ている生徒がいます。
私はこのことを彼に尋ねると、彼は社会体育のコーチから目を見て話を聞くよう習慣化されているとのことでした。
基本とのことでした。

私は体育会系の経験がありません。
体育会系を経験された方にとっては基本的なことである、目を見て話すこと、目を見て聞くことの認識が欠けていたことを残念に思います。
今からでも、心がけていくしかありません。

(85)教室に入る前の儀式

2008年04月24日 | 生徒とふれあい
教室に入る前の私のちょっとした儀式です。
教室のドアを開ける前に、スッと息を吸います。
笑顔を作ります。
ドアをあけて、自分でできる一番のさわやかさで挨拶します。
「おはようございます。」
生徒たちは大きな声で挨拶を返してくれます。
「おお、いい声だね。」
生徒たちの挨拶がとても気持ちよいので、私のうれしさと気持ちを、表情と言葉で伝えます。

私は、人間関係があまり上手ではありません。
一緒にいると楽しいというタイプの人間ではありません。
いやなことがあると、悪い空気を周囲に漂わせてしまうと思います。
きっと、こうした悪い空気を生徒は敏感に感じ取ると思います。
そして学級の雰囲気が悪くなるのだと思います。
このような学級の雰囲気の悪さをかつて何度も味わってきました。

悪い空気を漂わせてはいけない。
そう思い、今は教室に入る前に、自分を変える儀式をしています。
教室へ向かう廊下を歩いている間に、自分を変えていきます。
そして、笑顔を作り、さわやかな挨拶をしようと努力を続けています。

あまり極端なことをすると生徒も引いてしまうかもしれません。
適度に、笑顔で元気よく挨拶を続けています。

(74)食事中、生徒が牛乳をこぼした どうする?

2008年04月13日 | 生徒とふれあい
生徒が牛乳をこぼしました。
さて教師はどうする?

数年前、今以上に気弱で、生徒に媚を売っていた私は、生徒を助けようと一緒に始末をしました。
困っている生徒を助けたいとの純粋な思いだったのでしょうか。
それとも、生徒に好かれたいとの思いだったのでしょうか。

今は、基本的な考え方が違います。
「自分で片付けなさい」ときっぱりと言います。
目の前の生徒が自立できるためには、自分のことは自分で始末できないといけないと考えています。
私は全く手を出さないわけではありません。
でも、基本は自分の始末は自分でさせています。

ここ数年、学校のトイレで便器からはみ出た排泄物をたまに見ます。
これは自分の失敗を始末できない象徴的な場面だと思います。
とりわけ、排泄物の処理は人にさせてはいけない基本的なことだと思います。
(排泄行為の支援を必要とする人もいるので、この表現を悪く取らないでください。)

牛乳をこぼした生徒には、自分で始末をさせるとよいと思います。