もう随分前のことになるが、
「あなたにとってのおふくろの味」とかいうエッセイを募集した会社があって、
その、選考委員の方のエピソード、というのを読んだ。
「膨大な量のおふくろの味を読んでいると、
-おふくろの味なんていらない、
結婚したらそれがかえって邪魔になる、
特に再現を強いられるお嫁さんが大変だ、
二人で、新しい味を作っていくのがいいー
というような趣旨のものがとても面白いと思い、
推挙したら他の人も良いといい、それが選ばれた。」
というような、内容だったかと思う。
そのときにうっすら感じた違和感を
最近になって、説明できるようになった。
おふくろじゃなくてもいいんだけど、
子どもに主に食事を作る人は、高校卒業ぐらいまでと見積もっても
18年間、膨大な量の食事をその子の為に作ってきたはず、
なのに、「あ~あの時食べたアレがまた食べたいなあ」などと
1回も思わせないとしたら、作り手食べ手両方に不幸なことではないか。
どんなに料理が嫌いという人でも、
どうせ、長きに渡って作らざるを得ないものなら、
もう少し、「心に響く」料理を作る努力があってもいいと思う。
人が成長する過程では
大好きだったおやつとか
友達と喧嘩して「涙の味の晩御飯」とか
入試のときに作ってくれた手作り弁当とか
思い出の味が、きっとあるはず。
そんなときの作り手の思いも「おふくろの味はあとで邪魔になる」から
否定してしまうの?
再現をするのは嫁、という思い込みも、気に入らない。
私には息子しかいないが、息子達が気に入ってる我が家の「あの味」は
ダイレクトに息子に伝えたい。
友人が初めて婚約者の家でごはんを食べることになったときのこと、
お手伝いします、と台所に入ろうとすると、
「いいのよ、いいのよ座ってて~」とお義母さん。
「でも、こちらの味も勉強したいですし。」
「うちの味なんてないのよ、ハ○スのあれで作るんだもの、
ハ○スの味よお~。」
クリームシチューの夕食だったらしい。
私の「その時」が来たら、
もちろん、精一杯もてなすと思うけど、
「この料理、でかまるも作れるから、作ってもらうといいよ。」なんて
言いたいな~。
そしてやっぱり、なんとかの素じゃなくて、
「うちの味」だといいな~。
そう、つまり「おふくろの味」というネーミングがいけないんであって、
「思い出の味」は絶対に必要よね、という意見。
とにかくとりあえず、「家族のごはん」を作ることになっている皆さん。
わかりますとも、その大変さ。
でもね、逃げないでいっしょにがんばりましょうよ。
家族を巻き込んでいく方法も考えて、
疲れたときのとっておきの手抜きも考えて。
みんなで作ろう、新・おふくろの味。
毎日毎日なんだかんだ家族を想って作る手料理、
(今日は○夫の好きなギョーザにしよう、とか
疲れてるって言ってたから、梅干のおにぎりはどうか、とか)
きっと気持ちが伝わるはず。
私はそんなことが、今の子ども達にとても必要な気がしてならないのです。
「あなたにとってのおふくろの味」とかいうエッセイを募集した会社があって、
その、選考委員の方のエピソード、というのを読んだ。
「膨大な量のおふくろの味を読んでいると、
-おふくろの味なんていらない、
結婚したらそれがかえって邪魔になる、
特に再現を強いられるお嫁さんが大変だ、
二人で、新しい味を作っていくのがいいー
というような趣旨のものがとても面白いと思い、
推挙したら他の人も良いといい、それが選ばれた。」
というような、内容だったかと思う。
そのときにうっすら感じた違和感を
最近になって、説明できるようになった。
おふくろじゃなくてもいいんだけど、
子どもに主に食事を作る人は、高校卒業ぐらいまでと見積もっても
18年間、膨大な量の食事をその子の為に作ってきたはず、
なのに、「あ~あの時食べたアレがまた食べたいなあ」などと
1回も思わせないとしたら、作り手食べ手両方に不幸なことではないか。
どんなに料理が嫌いという人でも、
どうせ、長きに渡って作らざるを得ないものなら、
もう少し、「心に響く」料理を作る努力があってもいいと思う。
人が成長する過程では
大好きだったおやつとか
友達と喧嘩して「涙の味の晩御飯」とか
入試のときに作ってくれた手作り弁当とか
思い出の味が、きっとあるはず。
そんなときの作り手の思いも「おふくろの味はあとで邪魔になる」から
否定してしまうの?
再現をするのは嫁、という思い込みも、気に入らない。
私には息子しかいないが、息子達が気に入ってる我が家の「あの味」は
ダイレクトに息子に伝えたい。
友人が初めて婚約者の家でごはんを食べることになったときのこと、
お手伝いします、と台所に入ろうとすると、
「いいのよ、いいのよ座ってて~」とお義母さん。
「でも、こちらの味も勉強したいですし。」
「うちの味なんてないのよ、ハ○スのあれで作るんだもの、
ハ○スの味よお~。」
クリームシチューの夕食だったらしい。
私の「その時」が来たら、
もちろん、精一杯もてなすと思うけど、
「この料理、でかまるも作れるから、作ってもらうといいよ。」なんて
言いたいな~。
そしてやっぱり、なんとかの素じゃなくて、
「うちの味」だといいな~。
そう、つまり「おふくろの味」というネーミングがいけないんであって、
「思い出の味」は絶対に必要よね、という意見。
とにかくとりあえず、「家族のごはん」を作ることになっている皆さん。
わかりますとも、その大変さ。
でもね、逃げないでいっしょにがんばりましょうよ。
家族を巻き込んでいく方法も考えて、
疲れたときのとっておきの手抜きも考えて。
みんなで作ろう、新・おふくろの味。
毎日毎日なんだかんだ家族を想って作る手料理、
(今日は○夫の好きなギョーザにしよう、とか
疲れてるって言ってたから、梅干のおにぎりはどうか、とか)
きっと気持ちが伝わるはず。
私はそんなことが、今の子ども達にとても必要な気がしてならないのです。